79年の全日本プロレスは、11月8日に「ジャイアント・シリーズ」が閉幕すると、3週間のオフを経て11月30日、後楽園ホールより暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」が開幕。
参加チームは前年度優勝チームの馬場&鶴田組を初め、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組、ミル・マスカラス&ドスカラス組のマスカラス・ブラザーズ、ワフー・マクダニエル&フランク・ヒル組、大木金太郎&キラー・トーア・カマタ組、ミスター・レスリング&マスクド・ストラングラー組の7チーム。
総当たりリーグ戦で激突し、シリーズ最終戦、12月13日、蔵前国技館での公式戦全日程終了時点で最多得点チームが優勝となります。
前年の6チームより1チーム増の7チーム参加で、少数精鋭方式は変わらず、馬場&鶴田組、ザ・ファンクス、ブッチャー&シーク組のトップ3は同リーグ戦の前身である「世界オープン・タッグ選手権」から3年連続不変。
全日本プロレス本隊からはタイガー戸口、天龍源一郎、高千穂明久、グレート小鹿&大熊元司組の極道コンビなどからの「第2チーム」のエントリーはされず。相性はともかくせめて戸口&天龍組あたりは参加させて欲しかったと思います。
Mレスリングは当初、6月に6年3か月に亘る全日本プロレスの助っ人外国人生活からアメリカに帰国したザ・デストロイヤーと組んで参加予定でしたが、デストロイヤーのスケジュール調整が上手くいかず来日キャンセルとなり、代わりにストラングラーが選ばれました。
ストラングラーの正体は73年4月の日本プロレス最終シリーズ「アイアン・クロー・シリーズ」にマスクマンのクラッシャー・リバースとして初来日、75年9月、国際プロレスの「ビッグ・ゴールデン・シリーズ」に素顔で来日したプエルトリコのベテラン中堅レスラー、ホセ・リベラでした。
開幕戦の11月30日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆3,400人超満員発表)大会。メインイベントの公式戦はブッチャー&シーク組の地上最凶コンビがワフー&ヒル組のインディアンコンビと対戦(公式戦は全て45分1本勝負)、ブッチャーとシークは五寸釘と棒状の凶器でヒルの額を代わる代わるメッタ刺し、ヒルは額から大流血。
カットに入ったワフーが得意のトマホーク・チョップでブッチャー、シークを蹴散らすと超満員の観客席から大歓声が沸き上がりました。
初来日は73年10月の国際プロレス「ビッグ・ウインター・シリーズ」で11月9日、和歌山県那智勝浦観光会館でストロング小林を2−1で破り、IWA世界ヘビー級王座を奪取、S小林の当時の日本シングルタイトル防衛記録を25でストップさせたワフー。
その後76年2月には全日本プロレスに転じ、馬場のPWFヘビー級、鶴田のUNヘビー級王座に挑戦していますが、日本での人気は高いとは言えず。
4度目の来日でワフーが初めて日本のファンのハートをガッチリ掴んだ瞬間でした。雑誌「ゴング」の編集長だった竹内宏介氏が「ワフーは米国の力道山だ」と評していたのがよくわかりました。ベビーフェイスで初めてその魅力が日本で理解された試合でした。
試合はブッチャーが新兵器のバックフリップ(山嵐)でヒルを投げつけ、シークが馬乗りになりキャメルクラッチ(ラクダ固め)の体勢から無防備になったヒルの額に凶器打ちの連発、ダウンしたヒルをそのまま押さえてカウント3、シークがヒルを体固めで破りました。
ヒルはこの一戦がテレビ中継で流されたことでそのやられっぷりから「弱いインディアン」として名が知られることになりました。
セミファイナルはマスクマン対決、マスカラス&ドスカラス組とMレスリング&ストラングラー組の公式戦で、マスカラスがダイビング・ボディアタックからの体固めでストラングラーを破っています。
セミ前では馬場&鶴田組とファンクスが小手調べとして公式戦外のタッグマッチ30分1本勝負で対戦して時間切れ引き分け。
第4戦、12月3日、札幌中島スポーツセンター(テレビ収録、観衆7,800人超満員発表)大会。メインイベントの公式戦では馬場&鶴田組とブッチャー&シーク組が対戦し、両チームリングアウトの無得点試合になりました。
セミファイナルはマスカラス&ドスカラス組のマスカラス・ブラザーズがワフー&ヒル組と対戦、マスカラスがヒルをダイビング・ボディアタックから体固めで降しています。
夢のシングルマッチはドリーがMレスリングを逆さ押さえ込みで破り、テリーはカマタに反則勝ち。
第5戦、12月5日、仙台・宮城県スポーツセンター(テレビ収録、観衆6,000人超満員発表)大会、この日は夢のシングルマッチが目白押し。
ドリーとマスカラスの日本初対決は30分時間切れ引き分け。
ワフーとブッチャーの待望の一騎討ちは両者リングアウトとなりました。両者の一戦は82年2月5日、新日本プロレスの札幌中島体育センター(80年4月に建物の所管が札幌市から北海道に移行し「北海道立札幌中島体育センター別館」が正式名称に変更された。99年に閉館)。でも実現していますが、こちらはテレビ生中継開始前に試合が終了、日本テレビで収録された全日本プロレスでのこの試合が唯一、日本で残された試合映像になります。
馬場とシークの一戦は、馬場の反則勝ちとなりました。(この項続く)
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