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2023年10月12日22:32

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ストロング小林さん追悼(532)

79年新日本プロレス掉尾を飾る「闘魂シリーズ」は10月26日、後楽園ホールで開幕。

前半戦特別参加がダスティ・ローデス、WWF北米ヘビー級王者パット・パターソン、グレッグ・バレンタイン、中盤戦特別参加がタイガー・ジェット・シン、ジョニー・パワーズ、終盤戦特別参加がWWFヘビー級王者ボブ・バックランド、ウィリエム・ルスカ。シリーズ全体を通しての参戦がペドロ・モラレス、ニコリ・ボルコフ。外国人ヒールサイドとしてマサ齋藤が参戦。

この年、新日本プロレスは76年6月26日、日本武道館でのモハメド・アリvs猪木の一戦で7億円とも9億円とも言われた負債をテレビ朝日に肩代わりしてもらった代わりにテレ朝から役員が出向してきて管理下に置かれましたが、猪木、坂口征二に代表権が戻り、再び経営が順調に推移してきていました。

資金が潤沢になった新日本プロレスはWWFとの提携を強化、このシリーズは一気に外国人勢が豪華になりました。

ローデスは新日本プロレス初登場になりますが、パターソン、シン、パワーズ、モラレスの4選手はこれまで「ピン」でシリーズのエース格だったレスラー。

Gバレンタインは75年5月、11月の来日はエースではなかったものの、2番手のポジションにいたと言ってよく、ボルコフもベポ・モンゴルからロシアン・ギミックのボルコフに変身し、最初に新日本プロレスに来日した74年8〜10月の「闘魂シリーズ」ではピンのエースで、タッグマッチながら猪木からフォールを奪ったことがありました。

年末は全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」の豪華外国人メンバーの集結により、馬場の物量攻勢の前に興行戦争では敗北していた新日本プロレスでしたが一気に巻き返してきました。

新日本プロレス初参戦となる「アメリカン・ドリーム」ローデスは75年12月の全日本プロレス「オープン選手権」を負傷を理由に途中帰国して以来約4年ぶりの来日。

ローデスは本名ヴァージル・ライリー・ラネルズ・ジュニア、1945年10月12日、テキサス州オースチン出身の当時34歳。187cm、135kg。

ウエスト・テキサス州立大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍。卒業後はコンチネンタル・フットボール・リーグのハートフォード・チャーターオークスを経て、68年にプロレスに転向、テキサス州ハーリンジンでレジー・パークスを相手にデビュー戦を行いました。

当初はダスティ・ラネルズのリングネームで五大湖地区のオハイオ州でジョバーとしてキャリアを積み、レスリングベア(アトラクション用に調教された熊)とのハンディキャップ・マッチも経験。

68年5月より地元のテキサスに戻り、ローデスに改名。フリッツ・フォン・エリック主宰のダラス地区のNWAビッグタイム・レスリングを中心に若手のヒールとして頭角を現し、アルゼンチン(ビットリオ)・アポロ、グリズリー・スミス、ビリー・レッド・ライオン、デューク・ケオムカ、さらにはアメリカ武者修行中の坂口とも対戦。8月にはフリッツ月保持していたNWAアメリカン・ヘビー級王座に挑戦しています。

同年10月にミズーリ、カンザスを中心としたNWAセントラル・ステーツ地区で同じテキサス出身で1歳年下のディック・マードックとヒールのタッグチーム「テキサス・ジ・アウトローズ」を結成。以降、NWAとAWAの両テリトリーを股に掛けて活躍。

70年にはアウトローズとして後に新日本プロレスと親密関係になるパワーズ、ペドロ・マルチネスが中心になって結成されたNWFに登場、3月12日、オハイオ州クリーブランドで開催された初代NWF世界タッグ王座決定トーナメントに出場、決勝でベン・ジャスティス&ザ・ストンパー組を破り初代王者チームに輝いています。

AWAルートから71年10月に国際プロレスの「ビッグ・ウインター・シリーズ」に26歳で初来日、12月12日、飯能市体育館ではストロング小林の保持していたIWA世界ヘビー級王座に挑戦、2−0で反則含みのストレート負けを喫していますが、度胸満点のラフファイトは高い評価を得ました。

AWAではマードックとのコンビでディック・ザ・ブルーザーとクラッシャー・リソワスキーの「ブル・クラ」と世代抗争を展開、シングルでもワフー・マクダニエル、ビル・ロビンソンと抗争を繰り広げバーン・ガニアの保持していたAWA世界ヘビー級王座にも挑戦するなど、"ダーティ" ダスティ・ローデスの異名でテキサスの荒くれ極道としてトップヒールの座に君臨。

73年6月、国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」にマードックとのアウトローズで2度目の来日、6月19日、笠間市民体育館でS小林のIWA世界ヘビー級王座に再挑戦、反則含みで2−1で敗れ、タイトル奪取ならずも1年半前とは大きく成長した姿を日本のファンに披露しました。

6月30日、岐阜市民センターではアウトローズとしてラッシャー木村&グレート草津組の保持していたIWA世界タッグ王座に挑戦、反則含みで2−1で敗れましたが、内容では王者組を圧倒、アウトローズ強しを印象づけています。

2度目の来日以降、テキサス・ジ・アウトローズは一旦解散。ローデスは73年下期、エディ・グラハムが主宰するNWAフロリダ地区のCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に参戦。

当初はAWA時代と同じくヒールのポジションでしたが、マネージャーのゲーリー・ハート、パートナーのパク・ソンナンとの仲間割れを機に、74年5月よりベビーフェイスに転向しました。

74年6月25日、日本から遠征に来ていた全日本プロレスの馬場とフロリダ州タンパのフォートフォーマー・ヘスタリー・アーモリーでシングルマッチで60分3本勝負で対戦、1−1から正体を隠していたマスクマン姿のS小林が乱入してヒールである馬場の反則負けとなっています。

馬場がこの時フロリダに足を伸ばしたのは初回の猪木戦に敗れたS小林を全日本プロレスに入団交渉する為だと言われています。

以降、「アメリカン・ドリーム」をニックネームに名乗り、CWFを主戦場としフロリダ・ヘビー級王座を通算11回、南部ヘビー級王座を通算7回獲得。南部のヒーロー的存在となっていました。

フロリダ地区と密接な提携関係にあったジョージア地区(ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)にも頻繁に参戦しベビーフェイスとして確固たる地位をキープ。

パートナーだったマードックはテキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニアのテリトリーを中心にセントラル・ステーツ地区で試合をし、全日本プロレスのレギュラーとなっていましたが、75年11月、全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ第2弾」にマードックとのアウトローズを復活させて3度目の来日。

11月27日、札幌中島スポーツセンターで馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦しましまが2−1で敗れています。

「ジャイアント・シリーズ第2弾」は12月4日、船橋ヘルスセンター・ローラースケート場で閉幕、参戦していたローデス、マードック、ケン・マンテル、終盤戦に特別参加したアブドーラ・ザ・ブッチャーは12月6日、足立区体育館で開幕の「オープン選手権」に残留参戦。

オープン選手権は各地区のプロモーター推薦という形式が取られましたが、ローデスはフロリダのEグラハム、ミネソタのガニア推薦で参加となり、参加20選手で2週間の日程では総当たりなど到底無理な話で、ファン投票によるランキング、つまり番付により公式戦が組まれるという大相撲形式が採用され、ローデスは20選手中、9位のランキング、マードックは僅差でローデスより少なく、11位にランクインしています。

開幕戦の12月6日、足立区体育館ではアメリでは因縁のライバル、ハーリー・レイスと公式戦が組まれ、ローデスが腰振りパフォーマンスからのバイオニックエルボーを見せて観客とテレビ視聴者を魅了し、10分41秒、レイスのダイビング・ヘッドバットからの体固めで敗れましたが、ローデスが会場人気を一点に集めることに成功、アメリカンプロレスの真髄と言える試合を見せました。

第2戦の12月7日、川越市民体育館では馬場とフロリダ以来の公式戦で対戦し、12分45秒、両者リングアウトの無得点試合に持ち込みました。

12月11日、日本武道館での「力道山13回忌追善興行」ではマードックとのアウトローズでパット・オコーナー&Kマンテル組とタッグマッチ30分1本勝負で対戦し時間切れ引き分けとなりました。この一戦で再結成したアウトローズも解散となりました。ローデスはこの試合を最後に負傷を理由に途中帰国しています。(この項続く)

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