79年新日本プロレス「ブラディ・ファイト・シリーズ」を総括したいと思います。前哨戦3大会+本戦33大会の36大会の過密スケジュールで、76年6月26日、日本武道館でのモハメド・アリ戦以降、「アリ・ショック」と言われ、興行人気が下がった77、78年の停滞期から再び盛り返したと言えます。
猪木のファイトスタイルも74〜75年のいわゆる全盛期からアリ戦を経て、アリキック、延髄斬り、腕ひしぎ逆十字固めなどの異種格闘技戦のエッセンスを取り入れたスタイルにシフトチェンジし、ようやくそのスタイルが確立されて来て、第2の全盛期に入りました。
元々、猪木の試合スタイルはカール・ゴッチの流れを組む、ブリッジを多用しており、首、肩、膝の故障、また112Kgあった体重もアリ戦の時に100.5Kgまで落としました。そうしなければ持久力でアリとは互角には闘えなかったのですが、
アリ戦が終わってからも体重は少しは戻したとは思いますが、元の112kgには戻らず。余分な肉を削ぎ落とした身体付きになりスピードがついてキレがよくなりましたが同時にパワーダウンし、得意としていたバックドロップも力感がなくなり、大型外国人相手に説得力を欠くフィニッシュが多くなりました。
そこでマーシャルアーツ的な動きを取り入れることでスピードでパワー不足を補った感じです。
8月26日、日本武道館での「プロレス夢のオールスター戦」は猪木、新日本プロレスにとっては追い風になりました。
タイガー・ジェット・シンは以前にも書きましたが、75年6月26日、蔵前国技館で猪木にNWF世界ヘビー級王座を奪回された以降は勝率も分が悪くなりましたが、79年は巻き返し、タッグマッチ、6人タッグマッチながら猪木から2本、コブラクローで2度フォール奪い「狂虎復活」を印象づけました。
9月21日、仙台・宮城県スポーツセンターで坂口征二を破りNWF北米ヘビー級王座を獲得。10月2日、大阪府立体育会館でのノンタイトル戦では回転エビ固めの丸め込みの前にフォール負けしましたが、最終戦の10月4日、蔵前国技館でのNWFヘビー級選手権試合本番ではノーコンテストに持ち込んで面目躍如。
しかし客入りは蔵前国技館7,500人発表と満員には成らず、東京の大会場で猪木vsTJシンのNWFタイトル戦で満員にするのはもはや難しくなって来ていました。
猪木とTJシンのNWFヘビー級王座を巡る闘いはこの試合が最後になり、翌80年以降はUWA世界ヘビー級王座を巡る攻防にシフトしていくことになっていきます。
マスクド・スーパースターは今シリーズはTJシンがエース格にいた為、2番手のポジションでしたが、9月6日、福岡スポーツセンターでの坂口とのNWF北米ヘビー級選手権試合はリングアウト負け。9月28日、愛知県体育館での猪木とのシングルマッチは反則負けと猪木、坂口相手に一本負けを許さず、今シリーズはノーフォール、ノーギブアップで帰国しました。
今シリーズ何回か組まれた1対2ハンディキャップマッチはその強さを誇示することにはなりましたが、「怪物系」プロレスラーではないのでこのあたりはマッチメイクに一考を要するかと。
ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドスはこの時は既にアメリカではチー厶を解散してソロ活動しており、Hブロンドスとしては最後の来日となりました。
最初の新日本プロレス参戦(75年8月)が上出来すぎただけで本来のHブロンドスのポジションはこの位なんだろう思います。
8月31日、宮崎・南九州学院短大体育館で坂口&長州組の北米タッグ王座に挑んで2−1で敗れましたがかつての功労者に対しての新日本プロレス側のはなむけではなかったでしょうか?
ガマ・シン、ジョー・ロッシーに関してはあっさりと負け過ぎで覇気のなさが目立ちました。ロッシーは海外武者修行前の若手の小林邦昭にも負けており、不本意な結果に終わりました。
このシリーズは外国人ヒールサイドで闘ったマサ齋藤がゲームメーカーとして上手く外国人側をコントロールしていましたが、ピート・ロバーツのような仕事の出来る本格派外国人レスラーが中堅どころに1人いれば、シリーズがもっと引き締まったように思います。(この項続く)
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