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2023年06月12日20:52

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ストロング小林さん追悼(411)

全日本プロレスとの興行戦争ですが、全日本プロレスは新日本プロレスの「闘魂シリーズ」と同日の10月6日、後楽園ホールで看板シリーズである秋の陣「ジャイアント・シリーズ」が開幕。

前半戦特別参加がPWFヘビー級王者ビル・ロビンソン、全戦参加がアブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・トーア・カマタ、ボボ・ブラジル、ビッグ・レッド、ディック・ブラッド(ティト・サンタナ)、アイザック・ロザリオ。

大木金太郎とキム・ドクの韓国師弟コンビがシリーズフル参戦。地方興行の切り札、ブッチャー投入で暮れの「世界最強タッグ決定リーグ戦」へと雪崩れ込む必勝パターンで新日本プロレスに対抗しました。

なお、両団体のシリーズ開幕戦の2日前の10月4日、鶴田と藤波辰巳が新日本プロレスの道場で「公開練習」を行い、その模様が10月6日付「東京スポーツ」(5日発行)に掲載されています。以下、一部を抜粋し引用致します。

『日本マット界の明日を背負う男、ジャンボ鶴田(全日プロ)と藤波辰巳(新日プロ)がガッチリと握手。4日夜、鶴田がフラリと東京・世田谷区等々力の新日プロ道場に姿を見せた。全日プロの道場が改築中で、開幕を控え満足な練習ができず「悪いが道場を貸してくれないか」と前から付き合いのある藤波に連絡し「世紀の顔合わせ」が実現した。午後7時から約2時間、汗を流した鶴田と藤波は歓談。「今度は俺の方にも来てくれ」と鶴田が言えば「ぜひ行きたいねえ」と藤波。明日の日本マットを背負う男と男の友情は一気に深まった』

雑誌の対談で顔を合わせたことはあったが、リング上での合同練習は初だった。あまりに突然の「大物合体」だったが、慎重派の鶴田は「僕と藤波さんが会ったといえば、すぐに何かと騒ぎ出す人がいるからねえ」と笑うや「これが例のコシティに使うやつなの」と新日本伝統の器具を手に取ったが、なかなか思うように回せず「意外と難しいよ。うまくバランスが取れない」と藤波を見るや、藤波は「僕が手本を見せるよ。タイミングの取り方がポイントなんだ」と軽々とピンを扱い、のみ込みの早い鶴田は早々とリズミカルにピンを回したという。

2人はリングに上がるや屈身運動、ヒンズースクワット、ロープ運動で汗を流した。鶴田が「スパーリングをやろうか」と持ちかけると、藤波は「ウソでしょ。まずいんじゃないですか」と笑いながらサラリとかわして約2時間の合同練習を終え、歓談が始まった。

『鶴田「WWWFの防衛戦はあるの?」。藤波「20日(寝屋川市市民体育館)にチャボ・ゲレロとやることになってます」。鶴田「何回かやったことはあるけど、ラフファイトが強いから気が抜けないね」。藤波「鶴田さんは?」。鶴田「自分としてはロビンソンのPWFに挑みたいけど…。あるのは(馬場との)インター・タッグ(25日、小樽市総合体育館)だけ。相手はブッチャーとブラジルの黒人コンビなんだ」。藤波「そっちも大変な相手ですね」と語るや「お互いに全力を尽くして戦おう」と握手した』

文中に出てくる雑誌の対談とは、「別冊ゴング」78年8月号に掲載されているもので、馬場夫妻(この時は入籍前)、新間寿マネージャーからの信頼が厚かった竹内宏介氏ならではの企画。

プロレスマスコミのオピニオンリーダーである「東京スポーツ」がこれを黙って見ている訳もなく、実際に鶴田と藤波をリング上でリングコスチューム姿で練習させる「絵作り」と対談で他マスコミに力を示してみせました。

ちなみに最老舗であるベースボール・マガジン社の「月刊プロレス」でも鶴田と藤波の対談が行われていますがこれより1年後の79年12月号。

10月9日、久留米市福岡県立体育館(テレビ収録、観衆4,700人満員発表)でロビンソンが前王者であるカマタのリターンマッチを受けてPWFヘビー級王座の防衛戦を行っています。ロビンソンは初防衛戦と思いきや、来日前の「東京スポーツ」の電話取材で、「ヨーロッパで防衛戦を行った。初防衛戦はレックス・ストロング、ホースト・ホフマン、それに2m、200kgある巨漢レスラー、トニー・セントクレアーと4回の防衛に成功した」と語っています。

おそらくこれは東スポの創作でしょう。ロビンソンは国際プロレス時代、68年12月19日、岡山県体育館で豊登と引き分け、予選リーグ戦でのバッドマークシステム(減点法)の持ち点差で「ワールド・チャンピオン・シリーズ」(第1回IWAワールド・シリーズ)に優勝し、初代IWA世界ヘビー級王者に認定されましたが、日本プロレスにはいない「正義の外国人レスラー」として国際プロレスと長期契約。

ジョイス夫人を日本に呼び寄せて港区青山のマンションに住みましたが、夫人が日本での生活習慣に馴染めず半年で帰国。その間にグレート草津、チーフ・ホワイト・ウルフ、スタン・スタージャック、ラッシャー木村と4回の防衛に成功。約1年後の70年3月、「ワールド・チャンピオン・シリーズ」(第2回IWAワールド・シリーズ)に前年度優勝者として来日、その時に「ヨーロッパで23回の防衛に成功した」と語っており、70年5月18日、千葉県館山市民センターでの草津との防衛戦が28度目の防衛戦となっていますが、その類と同じ話でしょう。

ちなみに2m、200Kgの巨漢レスラーはジャイアント・ヘイスタックス(85年1月に全日本プロレスに来日)ではないかと思われます。

1本目カマタが体固め、2本目はロビンソンの反則勝ち、決勝の3本目は9分31秒、ロビンソンが体固めで勝ち、2−1でロビンソンが5度目の防衛をしていますが、「初防衛戦」としている媒体もあります。

10月18日、宇都宮・栃木県体育館(テレビ収録、観衆5,000人超満員発表)大会ではブッチャーがロビンソンのPWFヘビー級王座に挑戦。1本目は、ロビンソンが140Kgのブッチャーの巨体を高々と差し上げてのワンハンド・バックブリーカーから体固め。

しかし、ロビンソンはこのワンハンドで古傷の膝を痛め、ブッチャーに膝を凶器で刺され、立ち上がれず2本目はカウントアウト負け、決勝の3本目はダメージから回復出来なかったロビンソンがレフェリーストップ負けとなり2−1でブッチャーが勝ち、ベルト移動。第4代王者となっています。ロビンソンは1フォールも許さないまま、ベルトを奪われてしまいました。(この項続く)
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