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2023年05月17日22:29

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ストロング小林さん追悼(385)

広島での猪木vsペドロ・モラレスのNWFヘビー級選手権試合が収録されたものの放送されずお蔵入りになった「真相」というのも諸説ありました。

長年、定説となっていたのが「猪木のコンディションが悪すぎて、モラレスに一方的に攻められていいところが全くなく、イメージダウンに繋がるので放送を自主規制した」というもの。また、かなり後になって当時の新間寿マネージャーから追加的に「あまりに酷い試合内容だったので、テレビ朝日に頼んで放送を見合わせてもらった」という証言も出て来ています。

確かに当時の新聞、雑誌の試合写真や記事を見ても、背骨を痛めていた猪木がモラレスに負傷箇所を集中攻撃され、起死回生の逆さ押さえ込みで大逆転勝利、という記述であり、コンディション不良の猪木が大苦戦の末にようやく勝ったというものばかり。

ですが、酷い内容のNWFヘビー級選手権試合というのはやはりモラレスと同じ元WWWF(世界)ヘビー級王者、イワン・コロフ戦(76年12月2日、大阪府立体育会館)もそうですし、風邪で40度の高熱を出して闘った2度目のケン・バテラ戦(81年2月4日、大阪府立体育会館)も然り。酷いだけで言えば、87年12月27日、両国国技館での「イヤーエンド・イン国技館」でのビッグバン・ベイダーとの初対決の方(猪木は2試合目)が、酷かったとも言えます。

猪木はいいところがなかったり、惨敗したりすることも含めて全てさらけ出しているのが大きな魅力であり、「試合内容が酷いからお蔵入り」というのはいささか無理のあるロジックだと思います。

次に出てきたのが「機材トラブルでテレビ中継用の照明が落ちてしまい、真っ暗な状態になり、映像素材を見たところほとんど映っていなかった」説。

これは当時の新日本プロレス営業部、後に旧UWFに移籍、UWF活動停止後新日本プロレスに復帰、執行役員になったものの00年代の暗黒時代で思うように成果を上げられずに終わった「土下座外交」で知られる上井文彦の証言。

上井氏も相当なホラ吹きとして知られていますがこの件に関してはホラを吹かなければならないメリットはなく、この説を私も支持していた時期もありました。当時の「月刊プロレス」、「別冊ゴング」78年9月号に掲載された猪木vsモラレス戦のグラビア(両誌ともモノクロ)を見ても、リング照明が落ちて暗い状態の写真はありません。しかし、真っ暗な写真を雑誌が使う訳もなく、ちゃんと撮れている写真しか採用しないのは当たり前の話で、上井氏の話は腑に落ちていました。

3つ目が制作を請負ったテレ朝系列の広島ローカル局、広島ホームテレビの下請業者、つまり外注先が撮影に失敗し、ビデオテープ自体がほとんど映っていなかった説。

80年代序盤位まではテレ朝系列と全日本プロレスを放送している日本テレビ系列の局では中継技術にまだまだ差がありました。もちろん日テレ系列の方があらゆる部分で上をいってました。

予算の関係でしょうがテレ朝の地方局からの中継はハンディカメラの数が少なく、ほとんどメインの固定カメラで撮影され、ハンディカメラでそれを補っていたものも多数あります。

例えば81年4月10日、新日本プロレス北九州市西日本総合展示場での藤波辰巳とダイナマイト・キッドのWWFジュニア・ヘビー級選手権試合のテレビ生中継で、電波の中継地点だった関門海峡の某所に貨物船が停泊して電波を遮り、およそ10分以上、何も映ってないという放送事故がありました。放送が再開した時には藤波vsキッド戦は終わった後でした。

生中継でありどうにもならなかったというのはありますが、日テレならミスは防げなかったにせよ、別のカメラで収録し、後日編集して放送するなどの対応措置が出来たと思われます。

よって、色々勘案すると私は3つ目の「撮影失敗」だと思います。「放送する」と2度告知しておいて放送出来なかったのは、マトモに映っていた部分も当然あり、復元など編集してどうにかダイジェストでも放送出来ないか懸命にトライしたものの、やはり観賞に耐え得るだけの映像にはならなかった、ということかと考えます。

全日本プロレスとの興行戦争ですが、全日本プロレスは7月8日、後楽園ホールで「サマー・アクション・シリーズ」が開幕。序盤1週間に特別参加がキラー・カール・コックス、シリーズ全戦参加がディック・スレーター、ルーファス・ジョーンズ、ワイルド・ドン・ウエイト、ヒューラカン・カステロ(フィデル・カステロ)。

2週目から最終戦まで特別参加がテリー・ファンク、他にキム・ドクが外国人ヒールサイドとしてフル参戦。

開幕戦の後楽園ホール(テレビ生中継、観衆1,800人発表)は当初はプロ野球の巨人戦中継の為、深夜枠を予定していましたが、野球が雨天中止となり土曜午後8時からの生中継に変更。セミファイナルの馬場vsRジョーンズ戦に参加予定がなかったアブドーラ・ザ・ブッチャーが私服姿で乱入、強引にシリーズ参戦を決めました。

7月15日、埼玉県大宮スケートセンター(テレビ収録、当日深夜放送、観衆3,300人満員発表)で予定されていた馬場&鶴田組にテリー&スレーター組が挑戦するインターナショナル・タッグ選手権試合は中止され、代わりに前77年12月の「世界オープン・タッグ選手権」で因縁が生まれたテリーvsブッチャーの遺恨試合が組まれました。

試合は五寸釘を持ち出したブッチャーがテリーの左耳をそれで突き刺す凄惨な試合となり、12分40秒、ノーコンテスト。

大宮スケートセンターは新日本プロレスが先攻で6月23日、「サマー・ファイト・シリーズ」開幕戦を開催、猪木&坂口征二組vsモラレス&ピーター・メイビア組、藤波vsチャボ・ゲレロのシングルマッチで2,300人発表、全日本プロレスは3,300人満員発表で全日本プロレスの勝利。

大宮で行われる予定だったインターナショナル・タッグ選手権試合にブッチャーが横槍を入れ、Rジョーンズとのタッグで「俺達に挑戦させろ」とアピール。

来日していたロード・ブレアースPWF会長の裁定により、7月21日北海道・旭川市体育館(後の総合体育館常盤分館、テレビ収録、観衆4,300人超満員発表)でテリー&スレーター組とブッチャー&Rジョーンズ組による挑戦者チーム決定戦が60分1本勝負で行われ、15分20秒、テリーがバックドロップからの体固めでRジョーンズを倒し、当初の予定通り、テリー&スレーター組が挑戦権を獲得しています。

7月26日秋田県大曲市圏民体育館(テレビ収録、観衆5,400人超満員発表)大会でテリー&スレーター組が馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦、スレーターはこれが日本で初のタイトル挑戦、2−1で馬場&鶴田組が勝ち、2度目の防衛を果たしました。

シリーズ最終戦、7月28日、品川プリンスホテル・ゴールドホール(旧品川スポーツランド、テレビ収録、観衆5,000人超満員発表)では7月15日、大宮大会でノーコンテストとなったテリーとブッチャーが双方のセコンドがリング下を囲むランバージャック・デスマッチ時間無制限1本勝負で対戦。ランバージャック・デスマッチという名称は新日本プロレスで既に使われていた為、団体側から発表された名称は「人間金網デスマッチ」でした。

試合は前回同様、凄惨な流血戦に。コーナーポスト最上段から攻撃をしようとしたテリーをブッチャーが下からウィークポイントである左膝を攻撃、バランスを崩したテリーは股間をコーナーマットに打ち付け、勢いで場外に転落、12分18秒、テリーがリングアウト負けを喫してしまいました。

品川大会は5,000人超満員発表の観衆で埋め尽くされました。前日の新日本プロレスの日本武道館は8,700人発表と満員にはならず。バックランドvs猪木のWWWFヘビー級選手権試合は2か月足らずの間隔での同一カードの再戦であり、広い日本武道館を満員にすることは出来ませんでした。

日本武道館と品川プリンスホテル・ゴールドホールはキャパが違うので単純比較は出来ませんが、観客動員では新日本プロレスが勝ちましたが、客席の「密度」では全日本プロレスが上回りました。

全日本プロレスは北海道ツアーは客入りも上々で地方興行に強いブッチャーの追加投入が功を奏しています。

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