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2023年05月02日07:14

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ストロング小林さん追悼(369)

ストロング小林は78年3月30日、「ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦、蔵前国技館ではセミ前に出場、星野勘太郎とシングルマッチ30分1本勝負で対戦、8分24秒、カナディアン・バックブリーカーでギブアップ勝ち。最終戦を白星で飾りました。  

シリーズ終了後、S小林は4年ぶりにWWWF地区に遠征する為渡米しますが、4年前、初回の猪木とのNWF世界ヘビー級選手権試合(74年3月19日、蔵前国技館)後にフリーで試合した時と同じヒールのポジションでした。

「ゴング」78年6月号(4月27日発売号)では本文記事4ページの特集として「新日本プロ第三の男から再び一匹狼へ…これがストロング小林の『野性の証明』だ!!」という記事が掲載されています。以下本記事より引用してみたいと思います。

新日本プロレスの第三の男、ストロング小林が米国のニューヨーク地区で不可解な言動と行動を続けている。正式に新日本プロレス入りして3年…再び野生の一匹狼としての血を燃え上がらせた小林は本誌の加山浩特派員のインタビューに答えて「猪木、坂口とは結局、同じ道を歩くことは出来ない…」と宣言している。一体、小林は何を考えているのだろう。

ストロング小林がアントニオ猪木に"反旗"を翻した、というから穏やかではない。しかも、その背後には…あの日本のプロレス・ファンにとって憎みても余りある銀髪の吸血鬼フレッド・ブラッシーがついているという。一体、その"真相"とはどうなのだろうか。

本誌、加山浩特派員の現地情報も加えて「小林反旗の真相」を探ってみることにしよう。ストロング小林がアントニオ猪木に対して反旗を翻したという経緯はこうだ。ストロング小林は4月2日、午前10時東京国際空港発の日航機でアメリカへ出発した。

名目はもちろん「日本代表としてフィラデルフィアで4月4日(日本時間5日)に行われる格闘技戦でバッファロー・アレンと対決」するためだ。この格闘技世界選手権大会(通称=格闘技五輪)にはアントニオ猪木も坂口征二も出場する。坂口は既に3月に出発してロサンゼルスからニューヨーク地区を転戦、東部マットで暴れまくっているが、猪木は新間寿マネージャーと共に出発したのは4月1日の午後9時30分東京国際空港発の日航機である。つまり小林は1人でニューヨークへ向かった訳だ。

なぜ、猪木と小林は一緒に行かなかったのだろうか。新間マネージャーは「猪木はロサンゼルスでマイク・ラベール氏(プロモーター)と、いろいろビジネス上の話し合いもあり、ロサンゼルスで一日二日、トレーニングする都合があってロス経由にした。小林の場合はニューヨークへ直接行ってトレーニングしたいと言うのでシアトル経由、ニューヨーク直行便にしたんです。猪木と小林がなぜ一緒に行かなかったかは別に理由はありませんよ」ととぼけている。

しかし、その後の小林の行動はまったく不可解だった。加山特派員によればニューヨークのケネディ空港に着いた小林をも待っていたのは何とフレッド・ブラッシーと彼の愛妻の美也子さんだ。小林がタラップを降りてくると「よく来た、よく来た」とあの銀髪鬼が格好を崩して小林に抱きつき、自分の車へ乗せて何処へともなく走り去ったという。

これは何を意味するのか?小林は出発前にブラッシーに飛行機の便名を知らせ、連絡を取っていたということになる。もともと、今回の小林のニューヨーク行きは新日本プロレスとWWWFとの本格的提携によるブッキングによるもので「まず坂口が3月から4月まで、その後は小林が6月まで、7月、8月には猪木がMSGに出場します。これはWWWFのビンス・マクマホン(シニア)氏の要請に基づくもので、新日プロがWWWFタイトル挑戦の目的を持って送り込むものです。(新間マネージャー)」

ところが小林はブラッシーと連絡を取り、ニューヨークへ到着した途端に「ブラッシーを頭領とするMSGの悪の陣営」へ飛び込んでしまったのだ。小林の奇怪な行動はそれからも続く。

4月3日、小林はニューヨークからフィラデルフィアに乗り込んだが、この時もブラッシーをマネージャーとして伴っていた。

ロスから乗り込んだアントニオ猪木、やはりニューヨークから来た坂口らはフィラデルフィアのヒルトン・ホテルに泊まったが、小林はブラッシーと共にニューヨークから来た悪党レスラー、バロン・シクルナ、スパイロス・アリオン、ニコリ・ボルコフらと共にウェッジ・ホテルというレスラー宿、それも悪党レスラーばかりが泊まるホテルに宿を取った。

アメリカ・プロレス界ではベビーフェイスと言われる正統派の善玉レスラーとヒールと呼ばれる悪党レスラー達は、私生活でも犬猿の仲で、宿舎もそれぞれ固まっていて、同じホテルには絶対に泊まらない。

それでも小林はヒルトン・ホテルにおける日本陣営のミーティングには出てきた。この時、猪木に「おい、ブラッシーとは深入りしない方がいいぞ。アメリカにおけるマネージャーが欲しかったらビンス・マクマホンに話してアーノルド・スコーラン(元ブルーノ・サンマルチノのマネージャー)に話をしてやる」とブラッシーとの接触を注意されている。

この時、小林は「大丈夫です。自分のことは自分でやります。ブラッシーには以前も世話になったし、今回も彼に任せれば安心ですから」と猪木の注意を突っぱねている。

猪木はムッとなったが、格闘技世界戦の前であり、それはそれだけになった。しかし、小林は北米タッグチャンピオンのパートナーの坂口征二とも白々しいムードであまり口を利かず、ミーティングが終わるとさっさと「ブラッシーのところへ引き揚げてしまった」という。(この項つづく)

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