第263戦、11月16日発売号○【予想、正解】猪木史上、最大の流血試合、シンとの抗争が泥沼化(73年新日本プロレス札幌中島スポーツセンター)【参考】2016年11月16日発売号は選手名鑑号(増刊扱い)の為休載。
【解説】日本で最も著名なヒール外国人レスラーとなったタイガー・ジェット・シン、本名はジャジット・シン・ハンス、1944年4月3日、インド・パンジャブ州出身、兵役を終えた後、インド古来のグレート・ガマ由来のインドレスリングを習得して65年にシンガポールでデビュー、その後カナダに渡りました。
カナダでは馬場のアメリカ修行時代の師匠でもあるフレッド・アトキンスにシュートレスリングを叩き込まれ、オンタリオ州トロントを拠点とするフランク・タニー主宰のNWA傘下団体メープル・リーフ・レスリングにおいて65年9月から本格的活動を開始、翌66年7月31日には師匠のアトキンスとのコンビで、同地区のインターナショナル・タッグ王座をホイッパー・ビリー・ワトソン&ブルドッグ・ブラワー組から獲得。
シンをプロレスラーとして高く評価していない馬場ですが、アトキンスの指導を受けていた弟弟子にあたり、アームドラッグの入り方が「俺と同じ」と著書に書いています。アドリアン・アドニスもアトキンスの指導を受けており、やはり同じ入り方でした。
67年6月11日、ジョニー・バレンタインを破って同地区のUSヘビー級王座を奪取。日本では無名の存在であったが、以降は当時のトロント地区ローカルながらメインイベンターとして活躍。
トロントに遠征してきたNWA世界ヘビー級王者ジン・キニスキーやWWWF世界ヘビー級9月24日と10月15日にはブルーノ・サンマルチノに挑戦。このあたりはプロモーターのタニーが全方位外交姿勢でトロントが優良マーケットだったことを現しています。USヘビー級王座は、エドワード・カーペンティアやドン・レオ・ジョナサンなどの大物を相手に防衛を続け68年5月まで保持、その後同王座は諸般の事情により71年まで空位となっています。
その後ベビーフェイスに転向し、インド移民の多いカナダではヒーローとなりました、71年2月に行われたザ・シークとのシングルマッチでは18,000人を超える大観衆を動員、当時の年収は80,000ドルにも達していたと言います。同71年はオーストラリアのジム・バーネット主宰のテリトリーに遠征してスパイロス・アリオンとも対戦、5月30日にはフジ・シンタロウことミスター・フジと組んでマーク・ルーイン&キング・イヤウケア組から豪州版IWA世界タッグ王座を奪取した。初来日直前の73年はオーストラリアをサーキットしており、日本で一緒になるニュージーランドのスティーブ・リッカードらとツアーを共にします。
シンを新日本プロレスに売り込んだのはシンガポール在住の吉田なる貿易商と言われており、日本に行くならヒールだとシンのヒール時代の宣材写真を新日本プロレス事務所に送り、シンの写真を見た猪木が一目で気に入ったとのこと。
シンの写真は口にナイフをくわえているモノでしたが「これじゃ面白くねぇな、サーベルでもくわえさせろ!」と言ったと言います。
シンの初来日はNETの放送がついて2シリーズ目の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」。開幕戦の5月4日、テレビ生中継の川崎市体育館大会、リングサイド最前列にターバンを巻いたシンが座り、セミファイナルの山本小鉄vsリッカード戦に乱入、小鉄をコブラクローで絞め落としてしまいました。
シンは当初の来日メンバーには入っておらず殴り込みをかけた形で新日本プロレスに登場、センセーショナルな話題を作りました。ビザの書き替えの為に一旦は香港に飛びワーキングビザに変更してからシリーズ参戦。
猪木との初対決は5月25日、岐阜市民センターでのテレビ生中継、メインイベントのシングルマッチ61分3本勝負で対戦、1本目は9分2秒、シンが体固め、2本目は1分53秒、猪木がアバラ折り(コブラツイスト)、決勝の3本目は3分53秒、猪木が暴走し反則負けを取られて2−1でシンの勝利となりました。
開幕戦の無法乱入でシンは「呼んでもいないのに勝手に殴り込んできた」としてテレビ生中継で強烈な印象を与え、猪木が制裁の為に立ち上がる、という見事な図式で、猪木とシンの対戦はテレビ放送がついた新日本プロレスが躍進するきっかけとなりました。
6月8日、大宮スケートセンターからのテレビ生中継ではシンは坂口征二とシングル初対決、試合は61分3本勝負で1本目は10分20秒、シンが体固め、2本目は4分39秒、坂口が体固め、決勝の3本目は2分10秒、坂口が反則負けを取られて2−1でシンが勝ち、反則ながらシンは猪木、坂口の黄金コンビに連勝。初来日の日本では無名の外国人レスラーが新日本プロレスの二枚看板を相手にここまでやれたのは快挙と言えます。
シリーズ最終戦、6月14日、大阪府立体育会館では猪木とシンが時間無制限1本勝負で対戦、21分39秒、猪木が反則勝ち。結局、このシリーズ、両者の決着はつかず。
シンの2度目の来日が10月の「闘魂シリーズ第2弾」。オフ日だった11月5日、新宿・伊勢丹前で買い物帰りの猪木・倍賞美津子夫妻と実弟の啓介氏が歩いていたところ、シン、ジャック・ルージョー、ビル・ホワイトの3選手が姿を現し、シンは猪木を襲撃、殴りかかりガードレールに頭部を叩きつける暴挙に出ました。
通報を受けた四谷警察署が出動する騒ぎとなりましたがシンら外国人勢は逃走、猪木は事情聴取を受けています。
伊勢丹前襲撃事件が起きた3日後の11月8日、沼津市民体育館でのテレビ収録試合、猪木&坂口&山本小鉄組vs襲撃トリオのシン&ルージョー&Bホワイト組の6人タッグマッチ。1本目から猪木とシンは試合を度外視した乱闘となり、5分32秒、両者ドクターストップによる退場となり1−1。
決勝の2本目は坂口&小鉄組とルージョー&Bホワイト組のタッグマッチの様相で行われ、14分4秒、坂口がBホワイトを体固めで降し2−1で猪木&坂口&小鉄組が勝利を収めています。
シリーズ中盤戦のヤマ場、11月16日、札幌中島スポーツセンターで事件後初の一騎討ちが組まれ、会場は9,000人、超満員発表の大観衆が詰めかけました。
入場してきた猪木をコスチューム姿のままのシンが襲撃して試合開始、両者大流血による激闘の末、16分21秒、シン側のセコンド、ルージョー、Bホワイトが介入して猪木の反則勝ちに終わり、3度目の対戦も決着つかずに終わりました。
※対戦戦績は263戦47勝216敗、勝率179。
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