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2023年04月12日23:19

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週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(43)

第260戦、10月26日発売号●【予想】「アメリカン・ドリーム」ダスティ・ローデス、猪木と初対戦、猪木&藤波辰巳組vsローデス&ペドロ・モラレス組(79年新日本プロレス後楽園ホール)【正解】分岐点となった初公開の延髄斬りに隠された謎と奇跡、格闘技世界一決定戦、猪木vsチャック・ウェップナー(77年10月25日新日本プロレス日本武道館)【参考】2016年10月26日発売号はWWFジュニア・ヘビー級選手権試合、タイガーマスクvs小林邦昭(82年新日本プロレス大阪府立体育会館)

猪木vsウェップナー戦は予想を開始してからまだ8戦目の2017年10月25日発売号で予想しましたが、正解は「第1回カール・ゴッチ杯争奪戦開幕」(74年新日本プロレス後楽園ホール「闘魂シリーズ第2弾」開幕戦)だった為、外れています。

【予想解説】本連載(17)4月27日発売号予想で書きましたが、この年の「第2回MSGシリーズ」に元NWA世界ヘビー級王者、ジャック・ブリスコが特別参加、長らくNWA系、というより全日本プロレス系の大物外国人レスラーを呼べなかった新日本プロレスにとっては朗報でした。

前78年、国際プロレスを退団した剛竜馬がフロリダのヒロ・マツダを頼って渡米、藤波に挑戦表明をしてからそれまで全日本プロレス寄りだったマツダと新日本プロレスがビジネス開始、11月の「プレ日本選手権」ではマツダが「狼軍団の首領」というポジションで新日本プロレスのリングで試合をしています。

エディ・グラハムが主宰するフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)の共同オーナーだったマツダは79年4月にブリスコを新日本プロレスにブッキング、そして同年秋の「闘魂シリーズ」にはアンドレ・ザ・ジャイアントと並ぶ全米1、2の売れっ子「アメリカン・ドリーム」ローデスをブッキングします。

ローデスは8月21日、フロリダ州タンパでハーリー・レイスを破り第53代NWA世界ヘビー級王者となりましたが、8月26日、フロリダ州オーランドでレイスにベルトを奪い返され、5日天下に終わりました。

結果的には日本での全日本プロレスの馬場同様、フロリダ州内でレイスとベルトのキャッチボールをしたに留まりましたが、これは当時業績の良かったフロリダのEグラハムに対するNWAの謝礼みたいなもので、元NWA会長でミズーリ州セントルイスのプロモーターのサム・マソニックがローデスのショーマンスタイルを嫌っており、長期政権を任せることはさせなかった為と言われています。

しかし、ローデスを初招聘する新日本プロレスにとっては5日天下とは言え「前NWA世界ヘビー級王者」の肩書がついたのは大きなビハインドでした。

79年最終シリーズとなった「闘魂シリーズ」はシリーズフル参戦外国人がモラレス、グレッグ・バレンタイン、ニコリ・ボルコフ、前半戦特別参加がローデス、パット・パターソン、中盤戦〜後半戦特別参加がタイガー・ジェット・シン、ジョニー・パワーズ、終盤戦特別参加がWWFヘビー級王者のボブ・バックランド、ウィリエム・ルスカという豪華メンバー。

これまで、シリーズのエース外国人として「ピン」で呼んでいたメンバーを1シリーズで呼んでしまうという新日本プロレスのファンにとっては大変画期的なシリーズとなり、このシリーズを機に以後、新日本プロレスの外国人メンバーは質量共に全日本プロレスに優るとも劣らない陣容になっていきます。

79年6月にモハメド・アリ戦で背負った7億円とも10億円とも言われた負債を完済し、猪木、坂口征二に代表権が戻されたことも大きい要因の一つでしょう。

ローデスの新日本プロレス初登場第1戦は開幕戦の10月26日、後楽園ホールで行われ、元WWWFヘビー級王者モラレスと組んで猪木&藤波組と対戦。赤い豪華なロングガウンに同色の帽子、先日亡くなられた坂本龍一さんとカクトウギ・セッションの演奏する「カクトウギのテーマ」で入場してきたローデスはこれまでの新日本プロレスのカラーをガラッと変えてみせました。

1本目は15分25秒、2本目は4分11秒、いずれも外国人組の反則負けとなりスコアの上では2−0のストレートで猪木&藤波組に軍配が上がりましたが内容は外国人組が優勢に終わっています。

【正解解説】77年10月25日に日本武道館で「格闘技世界一決定戦」が行われ、13,500人満員発表の大観衆を動員しました。猪木vs元プロボクシング世界ヘビー級8位のチャック・ウェップナーと坂口征二とモントリオール五輪柔道重量級銅メダリスト、バッファロー・アレン(アレン・コージ)の柔道ジャケットマッチの2大格闘技戦が行われています。

セミファイナルの柔道ジャケットマッチは特別レフェリーをウィリエム・ルスカが務めました。5ラウンド2分7秒、坂口が送り襟絞めでアレンをギブアップさせて元柔道日本一の実力を見せつけています。

ウェップナーは75年3月24日、オハイオ州クリーブランドでWBA&WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリに挑戦、アリは前74年10月30日、アフリカのザイール共和国キンシャサでジョージ・フォアマンを破り王座に返り咲き、絶対不利と言われた闘いに勝利し「キンシャサの奇跡」と言われました。

初防衛戦の相手となったウェップナーは1939年2月生まれの36歳でスラム街の不良からボクサーになり世界ランカーまでのし上がりましたが当時では既にロートルの「噛ませ犬ボクサー」、アマチュアボクシングからプロ入りしたエリートのアリとは対照的。

「初防衛だから勝てる相手を選んだ」と言われ戦前の下馬評ではアリが早いラウンドでKO勝ちを収めるのでは?という声が強かったです。

しかし、打たれても打たれても倒れないタフネスさを持つウェップナーを持て余して手こずり、手数と有効打でアリが圧倒的優位でしたが、隙が生じて9ラウンドに不覚のダウンを奪われてしまいました。

試合は最終15ラウンドまでもつれてアリのTKO勝ち。思わぬ苦戦を強いられ初防衛。この試合を見た当時は売れない俳優だったシルベスタ・スタローンが「ロッキー」の脚本を一夜にして書き上げたのは有名なエピソードです。

ウェップナーを倒したアリが「次は東洋人とやるぞ、空手家でも柔道でも何でもいい、誰か俺とやろうという勇気ある東洋人はいないのか!」と挑発、これに猪木が反応し挑戦表明、紆余曲折を経て76年6月26日、日本武道館でアリと猪木の「20世紀最大のスーパーファイト」が実現することになります。

アリvs猪木のクローズドサーキット(有料の衛星中継、今で言うライブビューイング)の権利を買ってそれに合わせてプロレスの興行を行い、会場のスクリーンでアリvs猪木戦の模様を流すプロモーターもおり、新日本プロレスと提携歓迎にあったWWWFのビンス・マクマホン・シニアはニューヨーク・シェア・スタジアムでビッグマッチを開催、ウェップナーはアンドレ・ザ・ジャイアントとミックスドマッチで対戦、3ラウンド1分52秒、アンドレがウェップナーをリング下に投げてリングアウト勝ち。アリvs猪木戦に比べて、エンターテイメント色の強い試合でした。

猪木は77年8月2日、日本武道館で全米プロ空手世界スーパー・ヘビー級王者のザ・モンスターマンを破り、続いてアリが苦戦したウェップナーと3分10ラウンドで対戦。

この試合で猪木は初めてオープンフィンガーグローブを装着して試合を行い、猪木がウェップナーのラビットパンチ(後頭部へのパンチ)の連打を浴びて苦戦しましたが、延髄斬りの原型といえる回し蹴りをウェップナーに見舞いました。 

右足はウェップナーに頭をすくめて避けられてしまいましたが、左足がウェップナーの後頭部にヒット、これでダメージを受けたウェップナーを一気に逆エビ固めに捉えて6ラウンド1分35秒、猪木がギブアップ勝ちを奪っています。

この大会は翌10月26日午後7時30分からの「水曜スペシャル」で録画中継されました。

※対戦戦績は260戦46勝214敗、勝率176。
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