第247戦、7月27日発売号○【予想、正解】荒馬テリーが初来日、第1戦で猪木&吉村組に快勝、猪木&吉村道明組vsドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組(70年日本プロレス大田区体育館)【参考】2016年7月27日発売号はWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合、藤波辰巳vs剛竜馬(78年新日本プロレス日本武道館)
【解説】77年12月、全日本プロレスの「世界オープン・タッグ選手権」で日本における地位を不動のものにした「テキサスブロンコ」テリー・ファンク。1944年6月30日インディアナ州ハモンド出身で初来日は70年7月の日本プロレス「NWAワールド・チャンピオン・シリーズ」に26歳で初来日。
兄のNWA世界ヘビー級王者、ドリー・ファンク・ジュニアは1941年2月3日、インディアナ州インディアナポリス出身でテリーとは3歳違い。
ドリーはウエスト・テキサス州立大学でフットボール選手として活躍し62年のサンボウル優勝メンバーとなりました。一方で父ドリー・シニアより子供の頃からレスリングの英才教育を受けており大学卒業後、63年1月10日、テキサス州アマリロドン・ファーゴ相手にデビュー。同年11月にはデビュー10か月目にして時のNWA世界ヘビー級王者ルー・テーズと対戦しました。
69年2月11日、フロリダ州タンパにおいてジン・キニスキーを破り28歳の若さで第46代NWA世界ヘビー級王者となりました。これまでの直近の王者であるテーズ、ディック・ハットン、パット・オコーナー、キニスキー、またタイプは異なりますがショーマン派の王者だったバディ・ロジャース達のような畏怖を感じさせるような感じではなく、テキサスの田舎の青年がそのまま世界チャンピオンになった感じで筋骨隆々の肉体を持っている訳でもなく、見た目がひ弱に見え父ドリー・シニアがマネージャーでついていたこともあり「過保護チャンプ」揶揄されていました。
しかし、一旦リングに上がれば、無類の打たれ強さと底なしのスタミナを誇り相手の攻めを受け流しながら要所要所を押さえて最後は王座を防衛するというパターンで長期政権を築きました。
ドリーは69年に日本プロレスに初来日、12月2日、大阪府立体育会館で猪木と60分ノーフォール時間切れ引き分け、翌12月3日、東京体育館では馬場と1−1から時間切れ引き分けで王座を防衛し、帰国。
そして翌70年7月、実弟のテリーを連れて再来日、来日第1戦となった7月27日、大田区体育館大会はテリーの日本初戦でもありましたが、以後90年代まで全日本プロレスのリングで人気を不動のモノにした伝説のタッグチーム、「ザ・ファンクス」が日本で初結成された試合でもありました。
1本目は19分36秒、猪木がテリーをアバラ折り(コブラツイスト)、2本目は3分8秒、テリーが吉村を体固め、決勝の3本目は4分、ドリーが猪木を体固めで降し、2−1でファンクスの勝利に終わっています。
この試合は当日、NET(テレビ朝日)の「ワールドプロレスリング」で生中継されています。
※対戦戦績は247戦45勝202敗、勝率182。
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