第245戦、7月13日発売号●【予想】猪木&藤波辰巳師弟コンビテレビ初登場、vsペドロ・モラレス&チャボ・ゲレロ組(78年新日本プロレス室蘭市体育館)【正解】"喧嘩番長"がレスラー魂を賭けて鶴田相手にファイト、UNヘビー級選手権試合鶴田vsディック・スレーター(81年全日本プロレス北海道・砂川市総合体育館)【参考】2016年7月13日発売号はWWF入りしたテリー・ファンクがMSGに登場、vsラニー・ポッフォ(85年ニューヨークMSG)
今回は本当は国際プロレスの80年、兵庫県八鹿町(現在の養父『やぶ』市)体育館で行われたラッシャー木村にランディ・タイラーが挑戦したIWA世界ヘビー級選手権試合で、R木村が新兵器「裏足4の字固め」でギブアップ勝ちした試合を予想したかったのですが、当たりそうになかったので差し換えましたが当たらず…。
今回は予想、正解とも夏の北海道巡業でのエピソードとなりました。
【予想解説】78年、WWWFジュニア・ヘビー級王者として凱旋帰国、ドラゴンブームを巻き起こした藤波。猪木との師弟タッグ実現が期待されていましたが、凱旋シリーズの「ビッグ・ファイト・シリーズ」では実現せず。
猪木と藤波の初タッグは次の「MSGシリーズ」第2戦、4月22日、大館市青果市場特設リングで星野勘太郎を加えた6人タッグマッチでニコリ・ボルコフ&チーフ・ジェイ・ストロンボー&コロソ・コロセッティ組に2−1で勝利。4月29日、藤波の地元となる大分県浮羽町大石方水路特設リングでは猪木&藤波&長州力組が上田馬之助&ボルコフ&マーティン・ジョーンズ組を2−1で降しました。
5月2日、鹿児島県根占町グラウンド特設リングで、留学生時代のバッファロー・アレン(バッドニュース)とのトリオで上田&ボルコフ&Mジョーンズ組を2−1で破り、5月6日、沖縄市体育館では木戸修を加えたトリオで上田&トニー・ガレア&コロセッティ組に2−0のストレート勝ち、5月9日、鹿児島県国分市総合体育館で長州とのトリオで4日の那覇市奥武山公園体育館から特別参加のアンドレ・ザ・ジャイアント&ボルコフ&Mジョーンズ組と対戦しこちらは2−1で敗戦しました。
猪木&藤波2人だけのタッグは5月10日、熊本市体育館でようやく実現し、アンドレ&コロセッティ組と対戦、コロセッテイから2本奪って2−0で快勝、終盤の5月28日、宇和島市営闘牛場でアンドレ&ガレア組に2−1で勝利を収めていますが、いずれもノーテレビでした。
もう一方の全日本プロレスの師弟コンビ、馬場&鶴田組は鶴田がアメリカ修行から凱旋帰国した73年10月の「創立1周年記念ジャイアント・シリーズ」第2戦の10月8日、高崎市体育館で初結成され、ドリー・ファンク・ジュニア&ラリー・オーディ組を2−1で破り、その翌日の10月9日、蔵前国技館ではドリー&テリー・ファンク組のザ・ファンクスのインターナショナル・タッグ王座に挑戦、1−1から61分時間切れ引き分けとなり、鶴田の出世試合となりました。
この時藤波はデビューして7年、猪木はもっと早く藤波とテレビマッチでタッグを組んでも良かったように思います。
猪木&藤波組の師弟コンビは藤波が凱旋帰国して3シリーズ目となった「サマー・ファイト・シリーズ」7月13日、室蘭市体育館でのテレビ収録(14日放送)で初のテレビマッチでタッグを結成、相手は元WWWFヘビー級王者、ペドロ・モラレス&元アメリカス・ヘビー級王者、チャボ・ゲレロ組という豪華タッグチーム。ニューヨークとロサンゼルスの元2大王者が合体しました。
1本目は17分10秒、藤波がチャボを首固め(公式決まり手は『小包固め』)、2本目は6分51秒、モラレスが藤波を体固め、決勝の3本目はヒスパニック系の荒々しい性格を剥き出しにしたモラレス&チャボが暴走し、3分55秒、日本組の反則勝ち。猪木&藤波組が2−1で辛勝しています。
【正解解説】「喧嘩番長」スレーターは1951年5月19日、フロリダ州タンパ出身、タンパ大学時代はレスリングとアメリカンフットボールで活躍。フットボールのチームメイトには後にプロレス入りするポール・オーンドーフもいました。アメフトのマイアミ・ドルフィンズからの勧誘もありましたが、卒業後はハイスクール時代の友人マイク・グラハムの口利きにより、マイクの父エディ・グラハムが主宰する地元フロリダのNWA傘下団体、チャンピオンシップ・レスリング・フロリダ(CWF)にて72年に21歳でデビュー。
イキのいいラフファイトを身上とした若手のヒールとして売り出され、73年10月6日にはヒール時代のダスティ・ローデスと組んでマイク・グラハム&ケビン・サリバン組からフロリダ・タッグ王座を奪取、74年8月の全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ第2弾」に初来日、ドリー・ファンク・ジュニア、キラー・カール・コックス、ジョニー・ウェーバーらベテラン勢と一緒で大きな経験を積みました。
帰国後の74年10月1日にも日系人(実際はフィリピン人)ヒールのプロフェッサー・タロー・タナカとのコンビでフロリダ・タッグ王座に返り咲き。
75年からはジム・バーネットが主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに転戦、ボブ・オートン・ジュニアと喧嘩屋同士のタッグチームを結成、同年6月27日にボブ・アームストロング&ロバート・フラーからジョージア・タッグ王座を奪取。シングルでも76年から77年にかけて、ザ・スポイラー(ドン・ジャーデン、スーパー・デストロイヤー)、ミスター・レスリング2号(ジョニー・ウォーカー)、ポール・ジョーンズらを破りジョージア・ヘビー級王座を再三獲得しています。
77年2月、全日本プロレスの「エキサイト・シリーズ」に再来日、このシリーズは、ミル・マスカラスに「スカイ・ハイ」のテーマ曲が付けられたシリーズとして知られていますが、開幕戦の2月19日、後楽園ホールでのテレビ生中継のセミファイナルでUNヘビー級王者の鶴田と30分時間切れ引き分けの激闘を展開し、一躍ベビーフェイスとして人気が高まりました。
シリーズ最終戦の3月11日、最後の日大講堂大会ではビル・ロビンソンvs鶴田のUNヘビー級王座戦、ザ・デストロイヤーvsマスカラスのPWF認定USヘビー級王座戦の2大タイトルマッチが組まれており、テレビ放送からはあぶれてしまいましたが、2大タイトルマッチの間に、御大・馬場とのシングルマッチが組まれ、10分30秒、馬場としては珍しいブレーンバスターからの体固めで敗れていますが、馬場から「日本でのメインイベンター合格」のお墨付きをもらったと言っていいでしょう.
帰国後、NWAの総本山、ミズーリ州セントルイスを中心としたセントラル・ステーツ地区にも出場し、77年8月13日にジャック・ブリスコを降してミズーリ州ヘビー級王座を奪取。以降、前王者ブリスコをはじめパット・オコーナーやロッキー・ジョンソンなどを挑戦者に迎え撃ち、翌78年2月にテッド・デビアスに敗れるまでNWA世界ヘビー級王座への登竜門といわれた同タイトルを半年間に渡って保持、次期NWA世界王者の有力候補の1人となりました。
78年7月、全日本プロレスの「サマー・アクション・シリーズ」に3度目の来日、この時はテリー・ファンクのパートナーを務めました。ファイトスタイルがテリーに似ているところから、「右利きテリー」と呼ばれ、前年の来日より人気は急上昇、7月21日、旭川市体育館(後の常盤分館)でテリーと組んでアブドーラ・ザ・ブッチャー&ルーファス・ジョーンズ組をインターナショナル・タッグ王座挑戦者決定戦で破り、7月26日、大曲市圏民体育館で馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦しましたが、2−1で敗れました。
その後は古巣のフロリダ地区に戻り、78年から80年にかけて、ペドロ・モラレス、ブリスコ、ダスティ・ローデス、ワフー・マクダニエルらを破り南部ヘビー級王座を通算4回獲得、また、78年11月8日には初来日時一緒だったコックスと組んでミスター・サイトー(マサ齋藤)&ミスター・サト(高千穂明久)からUSタッグ王座を、79年1月2日にはジョー・ルダックからフロリダ州ヘビー級王座をそれぞれ奪取し、再びフロリダで頂点に立ちました。
79年3月、全日本プロレスの春の祭典「第7回チャンピオン・カーニバル」に初エントリー、日本側でも活躍し、鶴田とのタッグでブッチャー&大木金太郎組と対戦しています。リーグ戦成績は優勝したブッチャー、準優勝の鶴田(共に24点)、3位の馬場(23点)4位のザ・デストロイヤー(22点)に次ぐ21点の5位とトップグループ入り。
「第7回チャンピオン・カーニバル」終了後はロン・フラーが主宰していたアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングに転戦、5月24日にジェリー(クラッシャー)・ブラックウェルと組んでボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニア組からサウスイースタン・タッグ王座を獲得、10月にもフットボール時代の旧友オーンドーフとのコンビで同王座を再度獲得した。シングル戦線ではモンゴリアン・ストンパー、ロニー・ガービンといったベテラン勢とサウスイースタン・ヘビー級王座を賭けて抗争を展開しました。
80年3月、前年に続き「第8回チャンピオン・カーニバル」に参戦、この年のリーグ戦はテリーが参戦しテリー、スレーター、テッド・デビアスのテリー軍団、ブッチャー、レイ・キャンディ、ミステリアス・アサシンのブッチャー軍団の抗争となりましたが、終盤特別参加のザ・シークの介入などラッキーな面はありましたが馬場、鶴田から勝ち星を挙げて19点で鶴田と並んで同点首位となり、5月1日、福岡九電記念体育館での優勝決定戦では23分45秒、ジャーマン・スープレックスホールドに敗れましたが先輩強豪多数いる中で堂々の準優勝。
80年もフロリダを主戦場に、ダスティ・ローデスやバリー・ウインダムと南部ヘビー級王座を巡る抗争を展開。同時期、日本ではベビーフェイスとして絶大な人気を得ていましたがフロリダではヒールとしてイワン・コロフ、ニコリ・ボルコフ、アレックス・スミルノフらロシア人ギミックの反米ユニットとも共闘、観客のブーイングを浴びました。また、ミスター・サイトーともタッグを組み、ジャック&ジェリーのブリスコ・ブラザーズとフロリダ・タッグ王座を巡り死闘を展開。
前年、準優勝を遂げた81年の「第9回チャンピオン・カーニバル」ではジョージア地区代表(ジム・バーネット推薦)として参加予定だったディック・スレーターは、2月6日、テキサス州サンアントニオ郊外でのフリーウェイでの自動車事故による負傷(頭と首)箇所が来日直前のフロリダでの試合で悪化、リーグ戦の調整がつく3月いっぱいまで待ったものの症状が回復しなかった為、来日する事が出来ず。
後遺症が心配されたスレーターでしたが、同年7月の「サマー・アクション・シリーズ」に来日、第2戦の7月4日、後楽園ホールでは新日本プロレスから移籍してきたタイガー・ジェット・シンの全日本プロレス参戦第1戦の相手を務め、4分43秒に反則勝ち。
7月13日、北海道・砂川市総合体育館で鶴田のUNヘビー級王座に挑戦、1本目は10分50秒、スレーターがコーナーポスト最上段からのエルボーバットからブレーンバスターを決め体固めでフォール。2本目は3分7秒、鶴田がダイビング・ボディアタックからの片エビ固め、決勝の3本目は6分17秒、鶴田がコーナーポスト最上段に上がったスレーターをチョップで落とし、ギロチンドロップを決め体固めでフォール勝ちを奪い2−1で鶴田がタイトル3度目の防衛に成功しました。
このシリーズ、最終戦の7月30日、後楽園ホールでスレーターはビル・ロビンソンと組んで馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦する予定でしたが、交通事故の後遺症(強度の鞭打ち症)が再発し途中帰国、代わりに天龍源一郎がロビンソンと組んで挑戦、天龍の出世試合となりました。
※対戦戦績は245戦44勝201敗、勝率180。
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