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2023年03月28日06:10

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週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(27)

第244戦、7月6日発売号●【予想】IWA世界ヘビー級王者、ストロング小林が凱旋帰国、チャック・カルボと初防衛戦(71年国際プロレス東京体育館)【正解】馬場が「福ノ島」をスカウト、「キング・ハク伝説」のスタート、馬場記者会見(77年全日本プロレス六本木事務所)【参考】2016年7月6日発売号は新日本プロレスが後楽園ホール初進出、坂口征二vsジョン・L・サリバン(ジョニー・バリアント)、猪木&木戸修組vsシン・リーガン&デニス・ホール(73年新日本プロレス後楽園ホール)

【予想解説】71年6月19日、ミネソタ州ダルースでアメリカ修行中のS小林は、3月4日、北九州市小倉区三萩野体育館でサンダー杉山を破りIWA世界ヘビー級王者となったビル・ミラーに挑戦、60分時間切れ寸前の58分26秒にバックドロップからの体固めでS小林がフォール勝ち、第4代王者に輝いています。

しかしこの日S小林はミネソタ州ミネアポリスで国際プロレスの「第3回IWAワールド・シリーズ」から帰国後、AWA入りしたビル・ロビンソンと対戦し敗れており、この試合がAWAでのラストマッチとなっています。

ミラーvsS小林のIWA世界ヘビー級選手権試合は別冊ゴング71年8月号には試合レポートと写真が掲載されていますが、試合の写真はなく、S小林がベルトを掲げている写真など数点が掲載されているだけ。おそらくは試合は行われておらず、写真撮影用に日本から送られて来たベルトを使って王座移動の「絵作り」を行っただけかと思われます。

この試合と、S小林が国際プロレスを退団した後の74年8月16日、コロラド州デンバーで行われたとされるスーパースター・ビリー・グラハムが第7代王者ロビンソンを破ってIWA世界ヘビー級王者となった試合は、実際にはやってないと思います。

7月2日、羽田東京国際空港に到着したS小林が帰国、真っ黒に日焼けして精悍な面構え、吉原功社長と共に記者会見を行い、上半身裸になり獲得したIWA世界ヘビー級のベルトを持ってファイティングポーズ。まさにエース凱旋という感じで、小林時代の到来を告げています。

S小林の凱旋帰国シリーズとなる「ビッグ・サマー・シリーズ」は7月6日、東京体育館で開幕、ブラックジャック・ランザ、ランザのプレーイングマネージャーであるボビー・ヒーナン、チャック・カルボ、ビッグ・コマンチ、チーフ・ブラック・イーグル(後のカルロス・コロン)、ジョニー・ケイス、ジャック・クレイボーン(残留)の外国人選手が参加。 

開幕戦のメインイベントでS小林はカルボとIWA世界ヘビー級王座の初防衛戦を行いました。1本目は13分18秒、カルボが反則勝ち、2本目は3分33秒、S小林が体固め、決勝の3本目は1分32秒、S小林が豪快なバックドロップから体固めを決め、ほぼワンサイドで初防衛を果たしています。

カルボに挑戦者としての資格があったかどうかは疑問ですが、ジョバーの挑戦者としてS小林の強さを引き出し、観客にインパクトを与える役割は果たしていたと言えます。

【正解解説】74年末、トンガ国王の命で16代朝日山親方(元幕内・二瀬山)に連れられて来日した椰子ノ島、南ノ島、福ノ島、日ノ出島、幸ノ島(後のコンガ・ザ・バーバリアン)、友ノ島の6人のトンガ力士は大相撲の朝日山部屋に入門。

福ノ島の四股名だったトンガ・ウリウリ・フィフィタは幕下27枚目まで昇進するも75年10月14日、16代朝日山親方が急死した後、元小結・若二瀬の北陣が17代朝日山を襲名して暫定的に部屋を継ぎましたが、元幕内・琉王(当時、幕下に陥落していた)を後継者に指名していた先代未亡人と17代朝日山の若二瀬の間に確執が起こり、16代夫妻の意思を優先するトンガ力6名は17代朝日山には従えないと主張、76年9月に廃業の憂き目に遭いました。

当初は朝日山部屋後援会も国際問題に発展することを恐れて16代朝日山未亡人側に協力していたが、当時独立して部屋持ちとなっていた大鳴戸(元関脇・高鐵山)が実業団相撲の板井の勧誘をほのめかすめと一転して17代朝日山の方へ後援会は態度を翻し、16代朝日山未亡人側は後継争いに敗れました。

当時は外国人力士が珍しかったため6人は入門の時から注目され、廃業の際も騒ぎとなった。国会でも75年10月15日の衆議院文教委員会において三塚博が取り上げ、19日の文教委員会には参考人として日本相撲協会監事の伊勢ノ海(元幕内・柏戸秀剛)が出席して質疑が行われています。福ノ島と椰子ノ島は入門から2年で幕下まで昇進するなど才能の片鱗を既に見せており、廃業が惜しまれました。これが国際問題に発展するのではないかと危惧されましたが、日本相撲協会が伊勢ノ海らをトンガ王国に派遣し、事情を説明したところ国王も納得したと言われています。

本コラムは7月8日付(7日発行)の「東京スポーツ」で馬場が取材に応じ、福ノ島の獲得に動いていると明かしています。幸ノ島は廃業した76年の暮れにロサンゼルスへ飛び、プロレスラーとしての道をスタートさせており、これに刺激を受けた福ノ島が日本のタニマチである東京都墨田区の西村建設専務・西村清氏を通して馬場にプロレス入りを打診したところ、馬場が快諾し近く入門させる意向とのこと。

7月29日午後3時から東京・永田町のヒルトンホテルで記者会見が行われ、福ノ島(当時18歳、183cm110kg)の全日本プロレス入りが発表されました。福ノ島は8月1日から全日本プロレス道場で、鶴田らの指導のもとトレーニングを開始。同年暮れにテキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニアの元に修行に出て、80年7月にプリンス・トンガとして凱旋帰国。

84年にプエルトリコに遠征後は日本に戻らず、WWFでキング・ハクとしてスーパースターの仲間入りを果たしWCW時代にはミングとして新日本プロレスに来日、以来新日本プロレスとは強いパイプが出来、息子のタンガ・ロア、タマ・トンガ、ヒクレオはいずれも新日本プロレスで活躍しています。

※対戦戦績は244戦44勝200敗、勝率180。
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