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2023年03月24日00:32

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週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(23)

第240戦、6月8日発売号●【予想】藤波辰巳、MSGのリングで婚約者を紹介、WWFタッグ選手権試合、キング&レックス・ムーンドッグvs藤波&谷津嘉章(81年ニューヨークMSG)【正解】猪木がラッシャー木村からの挑戦状を一蹴、新日本ビッグ3が電撃鼎談(ていだん、75年新日本プロレス帯広市総合体育館)【参考】2016年6月8日発売号はNWA世界ヘビー級選手権試合、リック・フレアーvs鶴田(82年全日本プロレス蔵前国技館)

【予想解説】78年WWWFジュニア・ヘビー級王者となり凱旋帰国、空前のドラゴンブームを巻き起こした藤波。防衛戦を順調に行い24度の防衛に成功、79年10月2日、大阪府立体育会館でフリーの剛竜馬に16分53秒、逆さ押さえ込みで敗れ転落、僅か2日後の10月4日、蔵前国技館で剛を14分13秒、回転足折り固め(ジャパニーズ・レッグロールクラッチホールド)で降してベルト奪回、以後、この時までに21度目の防衛を果たしていました。

また、80年2月1日には札幌中島スポーツセンター(同年4月に建物の所管が札幌市から北海道に代わり「北海道立札幌中島体育センター別館、通称札幌中島体育センター」に変更)でNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者、スティーブ・カーンと自ら保持するWWFジュニア・ヘビー級王座を賭けたダブル・タイトルマッチに勝利し二冠王となります。

その後NWAインタージュニア王座はマイク・グララムに一旦は奪われるもすぐに奪回、同年7月、右手薬指骨折の為タイトルは返上していますが、既に「ジュニアに敵なし」の存在になっていました。

藤波の人生に公私ともに転機が訪れたのがこの81年で、この年はヘビー級への転向と結婚という大きな出来事が起きています。

「第4回MSGシリーズ」が6月4日に閉幕すると、藤波はニューヨーク、ロサンゼルス地区に遠征、6月8日、MSGのリングに登場した藤波はWWF地区で武者修行を積んでいた谷津とタッグを組み、キング(国際プロレスに来日したセーラー・ホワイト)&レックス(ランディ・コーレイ)のザ・ムーンドッグスの保持するWWFタッグ王座に挑戦。この一戦はテレビ朝日が収録、6月26日の「ワールドプロレスリング」で放送されました。

試合は60分3本勝負、1本目は10分15秒、日本組の反則勝ち、2本目は5分12秒、藤波がレックスを体固めで破り、2−0で藤波&谷津組がストレート勝ちしていますが、ルールによりタイトル移動はなし。

試合後、テレ朝の勝利者インタビューに答えた藤波はリング上に婚約者の沼谷かおりさん(伽織夫人、当時27歳)を紹介しています。

かおりさんは大阪出身、プロレスファンだったかおりさんの実弟(後に新日本プロレス次長となる)に誘われて78年10月20日、寝屋川市民体育館でのチャボ・ゲレロとのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合を観戦に行きました。試合は藤波が大流血の末、1−1からの3本目、血染めのコブラツイストでチャボをギブアップさせて10度目の防衛を果たし、WWWFから「ベルト永久保持」(タイトルではない)を認められましたが頭部を裂傷。

藤波を心配したかおりさんが新日本プロレスの大阪の定宿だった「ホテル南海」に藤波を訪ねて行き藤波が一目惚れ、交際が始まり婚約発表に至りました。

【正解解説】75年6月6日、国際プロレスのエースでIWA世界ヘビー級王者のラッシャー木村から猪木に内容証明郵便で「挑戦状」が港区南青山の新日本プロレス事務所に付着、内容は「貴殿は”実力日本一”を豪語しているようだが、私も密かに実力日本一を持って任じている、どちらが真の実力日本一か、闘って決着をつけましょう」というもの。

この時新日本プロレスは「ゴールデン・ファイト・シリーズ」の開催中で北海道をサーキットしており、流さんのコラムによると猪木は翌7日に新日本プロレス事務所から連絡を受け、8日、帯広でマスコミ(東京スポーツ)の取材を受けたという記載があり、6月10日付(9日発行)の東スポ1面では、猪木、坂口征二、このシリーズから新日本プロレスに正式入団したストロング小林の「ビッグ3」が座談会を行い、猪木はR木村を「格が違う」と一蹴しています。

座談会の内容は専ら猪木が「私もプロだからメリットを考える。今、私がR木村とやったところで何のメリットがありますか?R木村と馬場さんではバリューが違う。馬場さんに挑戦した時は興行権からテレビ放映権まで全部向こうにくれてやると、馬場さんとやって勝てば、勝ったという事実が大きなメリットになる。私がR木村とやって勝ったところでメリットは何もない。テレビ放映権、興行権をこちらに一任するならやってもいい」

「挑戦してくるならR木村がここにいるS小林や大木金太郎みたいに裸(フリーの身?)になって思い切りかかってくることだ。R木村が対等の立場でやりたいと言うなら、国際プロレスは秋に全日本プロレスと合同興行をやるらしいじゃないか、ならばそこで馬場さんとやって勝ったら考えてもいい」

という辛辣なもの。北海道巡業から戻った猪木は6月12日にR木村に書面で回答。その内容は上記の座談会とほぼ同じ内容で「先輩レスラーとして言わせてもらえば木村よ、『己を知れ』と言わせて頂く」とR木村には屈辱的な内容となりました。

結局、この問題は6月24日、群馬・藤岡市のかぶら川鉱泉で会見を開いた国際プロレスの吉原功社長は「猪木君の発言は非礼極まりない。新日本プロレスに興行権やテレビ放映権を一任しろというのは到底飲める訳もない。猪木君は逃げたと解釈する」としてこの問題は暗礁に乗り上げました。

後年、流さんが当時国際プロレスを放送していた東京12チャンネル(テレビ東京)の田中元和(たなかげんな)ディレクターに聞いたところ「R木村は先輩に挑戦するなどという性格の男ではなく、あの挑戦状は吉原さんが書いたものです」とコメントしています。

東京プロレス時代にR木村の人柄を見て挑戦状は吉原社長が書いたものだというのを見越してそのような対応になったものかと思われます。

※対戦戦績は240戦44勝196敗、勝率183。
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