第232戦、4月13日発売号●【予想】大木金太郎、NWAの勧告に従いインターナショナル王座を返上(81年全日本プロレス六本木事務所)【正解】"雪崩式"を新聞紙上で初公開した誤算、阿修羅・原公開練習(81年国際プロレス大宮道場)【参考】2016年4月13日発売号はインターナショナル選手権試合、大木vsフリッツ・フォン・エリック(73年日本プロレス大阪府立体育会館)
81年は合っていたのですが…。予想、正解共に国際プロレス崩壊間際に関わるエピソードとなりました。
【予想解説】80年2月18日、前79年暮れの「世界最強タッグ決定リーグ戦」まで全日本プロレスのリングに上がっていた大木が高田馬場BIG−BOXで国際プロレス入団記者会見を行っています。
大木は「力道山先生の遺産であるインターナショナル王座の防衛戦を日本で行いたく、国際プロレスのリングに上がることになりました。」と説明。大木は日本プロレス崩壊後、母国韓国において同王座の防衛戦を行っていましたが、日本では「月刊プロレス」が時折掲載するだけ、また時折ノンタイトル戦として報じられらることもありました。
馬場が代表を務める全日本プロレスで馬場自身、PWFヘビー級王座よりも愛着が深かったインターナショナル王座の防衛戦を大木が行える訳もありません。
大木の国際プロレス入団は「国際プロレスアワー」の視聴率向上のテコ入れ策として東京12チャンネル(テレビ東京)が主導で行われ、大木が「日本のお兄さん」と慕うプロレス評論家の菊池孝氏を交渉窓口に進められました。ギャラは東京12チャンネルの負担で先ずは半年契約、視聴率が上がれば更新の可能性はありました。
大木は国際プロレスのリングでジョー・ルダック、ジプシー・ジョー、ビル・ドロモ、上田馬之助を相手に防衛戦を行いましたが、「デビリッシュ・ファイト・シリーズ」11月8日、新潟県新井市民体育館でのエル・ドーベルマン戦を最後に「右角膜エロゲオン」という眼の病気を理由に韓国ヘ帰国しています。実際は契約が更新されなかったものでした。
81年に入り、再び全日本プロレスと接触した大木は3月4日、ソウルで全日本プロレスの「エキサイト・シリーズ」に来日していたボブ・ブラウンを破ってインターナショナル王座を防衛。
一方で馬場の全日本プロレスでは3月27日、後楽園ホールで開幕する「第9回チャンピオン・カーニバル」の終盤1週間(4月24日横浜文化体育館〜30日松戸市運動公園体育館)を「インター・チャンピオン・シリーズ」として開催、NWA会長、ジム・クロケット・ジュニアの裁定により「大木がNWA以外のテリトリー(国際プロレス)で防衛戦をやっているのはルール違反」としてタイトルを剥奪、改めて「復活インターナショナル・ヘビー級王座決定トーナメント」を開催すると発表しました。
トーナメント参加選手はチャンピオン・カーニバル上位7選手にドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、前王者である大木にもトーナメント出場資格を与え、10選手によって開催するとの内容です。
この裁定に怒った大木は突如インターナショナルのベルトを持って来日、六本木の全日本プロレス事務所を訪れ、ベルトを叩きつけるように返上、トーナメントには不参加を発表しています。
大木には77年10月29日、黒磯市公会堂での馬場とのPWFヘビー級王座とのダブルタイトル戦で馬場が勝ち獲得以来、一度も防衛戦をやっていなかったアジア・ヘビー級王座のベルトが馬場から返還され、前代未聞の「ベルトトレード」となりました。
【正解解説】予想の続きにもなりますが、大木が去った国際プロレスは81年に入ると1月4日、後楽園ホールでの「新春パイオニア・シリーズ」開幕戦から「ルー・テーズ杯争奪リーグ戦」の予選をスタートさせました。
このシリーズが前期予選、次の2月27日、横浜文化体育館で開幕の「スーパー・ファイト・シリーズ」で後期予選が行われていますが、前80年10月4日から東京12チャンネルの「国際プロレスアワー」の放送時間帯が、毎週月曜日午後8時からが毎週土曜日午後8時からに変更。
土曜日午後8時といえばTBSの怪物番組「8時だヨ!全員集合」があり、フジテレビも「視聴率男」と言われた萩本欽一の「欽ちゃんのドンとやってみよう!」を放送しており、1年半前の79年3月には日本テレビの「全日本プロレス中継」が視聴率低迷からゴールデンタイム撤退を余儀なくされ、毎週土曜日午後5時30分から(関東地区)に移行となった時間帯。
全国ネットの日本テレビと関東ローカルの東京12チャンネルでは局側の期待値の視聴率ノルマが1/3程度違うと思いますが、ネームバリューのある豪華外国人レスラーを集結させた全日本プロレスでもダメな時間帯に国際プロレスが進出しても上手くいく訳もなく、3月28日の回(3月24日、宮城県泉市民体育館からのラッシャー木村vsレイ・キャンディのIWA世界ヘビー級選手権試合他を放送)でレギュラー放送打ち切りとなりました。
4月以降は特番にて不定期放送と発表されました。4月18日、後楽園ホールで開幕の「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に国際プロレスの救世主として半年間に亘るアメリカ修業(オクラホマ、ルイジアナのMSWA地区)からヘビー級戦士として凱旋帰国したのが阿修羅・原。
原は前80年4月3日、新日本プロレスの蔵前国技館で藤波辰巳の保持するWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦して12分56秒、逆腕固め(三角絞め)でギブアップ負け、ジュニアでの活動に限界を感じ、保持していたWWU世界ジュニア・ヘビー級王座を返上しヘビー級に転向し、当時国際プロレスに来日していたジェイク・ロバーツなどをブッキングしていたビル・ワット主宰のMSWAへ再修行に出ています。
そこでトップで活躍していたスーパー・デストロイヤー(スコット・アーウィン)がコーナーポスト最上段に乗せた相手をセカンドロープからのブレーンバスターで投げていた(「スーパープレックス」という名称で呼ばれていた)のを見た原が日本に持ち帰りました。
公開練習で原はスーパープレックスを披露、「雪崩式ブレーンバスター」と名付けられました。公開練習は4月17日付(16日発行)の「東京スポーツ」に掲載されましたが、当時九州地方を巡業中だった新日本プロレスの木村健吾が系列紙の「九州スポーツ」を見たか、17日の鹿児島県立体育館でのテレビ生中継セミファイナルで行われた藤波との「IWGPアジア・ゾーン予選」でトップロープに登った藤波にこの技を仕掛けていきました。
藤波は木村健に持ち上げられたまま、空中で身体を反転、木村健を押し潰してしまい、15分35秒、体固めで藤波のフォール勝ち。東スポを読んでない人にとっては衝撃的な場面でしたが、私は東スポを既に見ており、「人の技をパクろうとするからこういう目に遭う」と木村健の敗戦を「自業自得」だと思いました。
逆に言えば「雪崩式ブレーンバスターはこうやれば潰せる」ということを、原の凱旋帰国第1戦の前にテレビ生中継を使って見せつけた新日本プロレスの嫌がらせだったということも言えます。
原の凱旋帰国第1戦は翌18日、後楽園ホールで行われ、スティーブ・オルソノスキーとのシングルマッチで13分28秒、雪崩式ブレーンバスターを綺麗に決めて体固めでフォール勝ち。
国際プロレスの後楽園ホール大会は5月3日日曜日の午後6時より単発番組として放送されています。原の凱旋帰国が東京12チャンネルのレギュラー枠打ち切り前に間に合っていれば…とつくづく残念に思います。
※対戦戦績は232戦43勝189敗、勝率185。
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