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2023年03月10日22:06

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週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(10)

第227戦、3月9日発売号●【予想】馬場、バーン・ガニアとタッグながら初対戦、馬場&ザ・デストロイヤー組vsガニア&ワフー・マクダニエル組(76年全日本プロレス清水市鈴与記念体育館)【正解】新日本旗揚げ戦報道にみる「アウトロー団体潰し」の実態、新日本プロレス旗揚げ第1戦(72年3月6日大田区体育館)【参考】2016年3月9日発売号はインターナショナル・タッグ選手権試合、鶴田&天龍組vsザ・ロード・ウォリアーズ(85年全日本プロレス両国国技館)

個人的に一番予想したかったのは88年全日本プロレス横浜文化体育館でのスタン・ハンセンvs天龍のPWFヘビー級、UNヘビー級ダブルタイトル戦で、これまでPWF、インターナショナル・ヘビー級と比べて「二番手」の王座だったUNヘビー級王座が初めて同格に扱われた記念すべき日として歴史的意義のある試合だと思いましたが、昭和末期についてはまず書くことはないだろうなと…。

【予想解説】AWAの帝王、「ミネソタの猛虎」バーン・ガニア。ガニアは70年2月に国際プロレスに初来日、本連載(6)、2月9日発売号分記載の通り、ストロング小林(2回)、グレート草津の挑戦を退けてAWA世界ヘビー級王座を防衛して帰国。

プロモーターとしても国際プロレスとは提携関係にありましたが前75年、74年のS小林の離脱、TBSの放送打切り、凱旋帰国が予定されていた大剛鉄之助の交通事故による右足切断などトリプルショックに見舞われ、経営存続の危機に晒された国際プロレスはガニアの高額なブッキング料に資金力がついていかず。

また、レスラー生命を絶たれた大剛が新たにスチュ・ハート、マッドドッグ・バションの元で外国人レスラーのブッカーの仕事で再起を図ろうとしていた為、74年にはセーラー・ホワイト、ニック・カーター(ブッチ・ミラー)&スウィート(ルーク)・ウイリアムス組のザ・キウイズ(ザ・シープハーターズ、ブッシュワーカーズ)、キューバン・アサシンズ1&2号(86年に新日本プロレスに来日した選手とは別人)を招聘。

74年11月の来日では吉原社長に「私の親愛なる友人、吉原功様」と彫った腕時計をプレゼントしたガニアでしたがこれを知っては烈火の如く怒り、「ウチを取るか、ジョー(大剛)を取るか、はっきりしろ!」と二者択一を迫り、ガニアのシビアな商売と高圧的な態度に辟易した吉原社長は外国人ルートを大剛のカルガリールートに変更しました。

ガニアは日本でのビジネスパートナーを馬場の全日本プロレスに鞍替えし75年「オープン選手権」にバロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン、76年「新春ジャイアント・シリーズ」には前半戦にレイ・スチーブンス、後半戦にブルーザー&クラッシャー・リソワスキーをブッキング。

2月21日、後楽園ホールで開幕の「エキサイト・シリーズ」にワフーをブッキングし、終盤3大会に自身も「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」第1戦の相手として全日本プロレスのリングに初登場を果たしました。前75年11月8日、ミネソタ州セントポール・シビックセンターでニック・ボックウィンクルに敗れ、AWA世界ヘビー級王座から転落しており、この時は無冠でした。

来日第1戦は3月8日、愛知県体育館でテリー・マーチン(ザ・ビースト、レオ・バークの弟)とタッグを組み、鶴田&デストロイヤー組とタッグマッチ45分1本勝負で対戦、18分4秒、鶴田がTマーチンをジャーマン・スープレックス気味のバックドロップから体固めで降しました。

翌3月9日、清水市鈴与記念体育館で馬場とガニアが記念すべき初対決、ガニアは日本プロレスには来日したことがなく、馬場は海外修業時代はロサンゼルス、ニューヨークを廻っており、AWAのテリトリーとは接点がありません。

馬場はドクターXとしてAWAで活躍しガニアとは対戦経験のあるデストロイヤーと組んでガニア&ワフー組とメインイベント60分3本勝負で対戦、1本目は13分3秒、ガニアがデストロイヤーを体固め、2本目は2分26秒、馬場がワフーを体固め、決勝の3本目は3分7秒、ワフーが馬場を片エビ固めに決めて2−1でガニア&ワフー組が勝利を飾りました。

3月10日、日大講堂での鶴田試練の十番勝負第1戦、60分3本勝負は1本目は19分12秒、ガニアがスリーパー・ホールド(裸絞め)、2本目は9分54秒、鶴田がジャーマン・スープレックスホールド、決勝の3本目は13分26秒、ガニアの放ったバックドロップが共倒れとなり、両者カウントアウトで1−1の引き分けとなりました。

その後、全日本プロレスとAWAのビジネスは縮小し、ガニア、ニックは「一本釣り」で古巣国際プロレスのリングに登場しますが、80年6月、馬場、鶴田のミネアポリス遠征からパイプが再び強化され、81年1月18日には後楽園ホールで馬場3,000試合突破記念試合として、前80年7月18日、シカゴで約5年ぶりにAWA世界ヘビー級王者に返り咲いたガニア全日本プロレスに約5年ぶりに再来日、馬場の保持するPWFヘビー級王座とダブルタイトルマッチをおこない、1−1から両者リングアウトの引き分けに終わっています。

【正解解説】2022年は新日本プロレス旗揚げ50周年記念イヤー。新日本プロレス旗揚げ興行に関しては過去2013年3月6日発売号、2019年3月6日発売号と2回採り上げられており、発売日も6日とは離れているところから、3回目はない、と思ってはいましたが…。

流石に3回目ともなると、よほど切り口を変えて書かないといけないと思ったか、今回は「偏向報道」に重点を置いた内容になっています。

流さんのコラムは新日本プロレス旗揚げ興行の翌日に発売された72年3月8日付(7日発行)の「東京スポーツ」から引用。東スポの1面の扱いが旗揚げ興行のメインイベント、猪木vsカール・ゴッチ戦よりも、同日に行われた日本プロレスの横浜文化体育館大会(ビッグマッチではない通常興行)のメインイベント、坂口征二&大木金太郎組vsハーリー・レイス&フランシスコ・フローレス(77年にマスクマンのゴールデン・ファルコンとして新日本プロレスに来日、メキシコUWAの代表だった人物とは別人)組の扱いの方が大きかった、というもの。

猪木が新日本プロレスを旗揚げした時には日本プロレスから国内プロモーターに対し「新日本プロレスの興行を買ったプロモーターにはウチの興行は売らない」と、またマスコミには「猪木のところを応援したら、おタクにはネタはやらないからね」と圧力をかけていました。

日本プロレスからすれば、国際プロレスより弱体の新日本プロレスをひねり潰すのは簡単と思ったフシがありましたが、「驕る平家は久しからず」の言葉通り、1年後には猪木、坂口が合体し、新日本プロレスはNETの放送がついて躍進、日本プロレスは崩壊の憂き目に遭ってしまうことになる訳です。

※対戦成績は227戦41勝186敗、勝率181。
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