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2023年03月04日20:30

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週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(4)

第221戦、1月26日発売号●【予想】猪木、新日本プロレス設立を発表(72年新宿・京王プラザホテル)【正解】新日本、全日本の「レスリング・ウォー」が最高潮、新日本が全日本を公開批判(82年新日本プロレス南青山事務所)

【予想解説】前71年12月、日本プロレスの会社改革をぶち上げた猪木は芳の里社長、遠藤幸吉取締役らの「ダラ幹」を追放し、プロレスラーが報われる会社を作ろうと動き出します。

当初は馬場も猪木の案に同意していましたが、新体制後は猪木が会社の実権を握るのではという思いから態度を翻意、上田馬之助が芳の里社長に計画を喋ったことで事態は一転、猪木は会社乗っ取りを企てたとして12月13日、日本プロレスを除名・追放処分となってしまいます。

28歳にしてフリーとなった猪木は早速新団体設立に向けて行動開始、「まずは道場だ」と新婚の倍賞美津子夫人と住んでいた世田谷区野毛の自宅を道場兼合宿所に改装、そして1か月後の1月13日には法人としての登記を完了させるという早業を見せました。設立時の資本金は1,000万円。

猪木の日本プロレス改革の参謀であり、公認会計士の資格を持つ木村昭政氏が事務に習熟していると思われ、手続きがスムーズにいったのではないかと思われます。

1月26日、新宿・京王プラザホテルで前71年12月7日、日本プロレス札幌中島スポーツセンターで馬場と組んで、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスに敗れ、インターナショナル・タッグ王座から転落、翌12月8日には尿道結石を理由に東京・代々木の小林外科病院に入院していた猪木が50日ぶりに公の場に姿を現し、新団体「新日本プロレス」の設立を発表しています。


【正解解説】82年1月18日、渡米中の新間寿営業本部長はニューヨークMSGにて、ビンス・マクマホン・シニア、フランク・タニーの紹介でNWA会長のジム・クロケット・ジュニアを紹介され、新日本プロレスが用意したIWGPのトロフィー(詳細は前回をご参照下さい)をクロケットが持って、新間、ビンス・シニア、タニーと1枚の写真に収まりました。

翌19日、ニューヨーク・ヒルトンホテルでは新間はビンス・シニア、クロケットにNWAのタイトルマッチを管理するジョージアのジム・バーネットと会談を持っています。

そこで「IWGPにNWAとAWAが協力をすることを約束したくれた。NWA、AWAの両世界王者がIWGPに参加する可能性がある」と発言します。これを受けた馬場が真っ向から反論しますが、

これを受けて1月22日、六本木の全日本プロレス事務所で馬場はクロケットに抗議した上で会見を開き、「クロケット会長はIWGPは新日本プロレスとその関連団体が創作する新日本プロレスのローカルタイトルに過ぎないと言っている。」と改めてNWAとしての公式見解を示した。

1月24日に帰国した新間は26日に南青山の新日本プロレス事務所で反論会見をおこない、「NWAが全面協力という事実はありません、クロケット会長にIWGPの主旨を説明し、”プロレス界にとって良い計画だから、ぜひ成功させてほしい、私もNWAという枠にとらわれず協力させてもらう”という好意的な言葉で、即全面協力というようなニュアンスではない、私はIWGP開催の主旨に理解してもらえたと判断している。」と見解を示した上で、

「私もNWAのメンバーだから、現在のNWA世界チャンピオンがリック・フレアーなのは承知している。だからヘビー級に転向した藤波辰巳(当時)をフレアーに挑戦させて欲しい(飛龍十番勝負の相手として)と申し入れた。クロケット会長からは、あくまでNWAが認めている王者だから、くれぐれもワールド、あるいはリアルワールドという名称は使わないでほしいと言われている」と反論し、馬場もこれ以上、この話題について言及するようなことはありませんでした。

当時はスタン・ハンセンを全日本プロレスに引き抜かれたことでダメージを受けた新日本プロレスが「引き抜き抗争終結」を馬場に対して申入れ、2月7日には馬場、猪木、新間の3人が「ゴング」の竹内宏介氏を仲介で会談し手打ち寸前であったことから、新間も過激な発言は謹んだと思われます。

しかし、この一件は百歩譲っても19日の出来事かと…。

※対戦成績は221戦40勝181敗、勝率181。
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