第219戦、1月12日発売号●【予想】猪木、ボブ・ループに苦戦しNWFヘビー級王座を反則勝ち防衛(79年新日本プロレス川崎市体育館)【正解】「タッグ日本統一」に向けて国内3団体が基本合意、新日本の提唱に全日本、国際が反応(77年)
【予想解説】ループは42年7月22日、バージニア州ブラックスバーグ出身の当時36歳。高校時代からアマレスで頭角を現し、AAUのライト・ヘビー級王者となり、大学進学後の67年にはNCAA(全米大学体育協会)の王者となっています。68年にはメキシコオリンピックアマレス米国代表に選ばれ出場。
レスリングエリートとして69年にエディ・グラハム主宰のCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロリダ)でデビュー。「将来のNWA世界ヘビー級王者」の呼び声高く70年9月、日本プロレス「NWAタッグ・リーグ戦」に初来日。公式戦でタッグながら馬場や猪木と初対決しました。
帰国後はNWA世界ヘビー級王者だったドリー・ファンク・ジュニアに挑戦、また稀代のシューターとして知られ拠点としたフロリダではポリスマンとして活躍し、レスラーに挑む腕自慢の素人を容赦なく痛めつけるなど武勇伝は数知れず、74年7月の全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」ミル・マスカラス、ダニー・ホッジ、ジョージ・スチール、まだ新人だったボブ・バックランドらと一緒に来日。開幕戦の7月5日、後楽園ホールではタッグながら馬場からショルダーバスターで決勝のフォールを奪っています。
ループはフロリダではヒール側のマネージャーとなっているグレート(ラリー)・マレンコと親しい関係になっていました。マレンコはボリス・マレンコのリングネームでフロリダを拠点「チェーンデスマッチの鬼」として活躍、日本プロレス、全日本プロレス、新日本プロレスにも来日。フロリダではタキシード、ステッキ、葉巻をトレードマークに悪の紳士をイメージしたヒール側のマネージャーとなっていました。
マレンコはリング上ではヒールとして悪虐非道の限りを尽くしていましたが、フロリダにマレンコ道場を構え、ガチガチのシューターとして鳴らし、フロリダ州オデッサに自宅を構えていたカール・ゴッチとは昵懇の仲でした。
プロモーターのEグラハムとマレンコ、ゴッチは仲が悪く、特に76年8月にジャック・アドキッセン(フリッツ・フォン・エリック)の後任としてNWA会長に就任してからはマレンコと親しかったループにも邪険な態度を取るようになり、同年秋、マレンコはEグラハムと仲違いしてCWFを去り、ノースカロライナ州を中心としたNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションに移籍、そこでジートとのザ・モンゴルズを解散してクロケット・プロに転戦しマスクマンのマスクド・スーパースターのマネージャーとなります。
Eグラハムは77年、ロイ・シャイアが主宰していたサンフランシスコのトップスターだったパット・パターソンを引き抜くと代わりにループにサンフランシスコ行きを命じ(期限付きのレンタル移籍)、衰退したサンフランシスコマット建て直しのミッションを負わせました。
サンフランシスコへブッカー兼任で転戦したループは同年9月17日、カウパレスでディーン・ホーを破り同地区の看板タイトルであるUSヘビー級王座をも獲得するも、建て直しどころかますます観客動員が落ち込んでしまったことで大失敗に終わり、シャイアから解雇されてしまいました。
サンフランシスコマットのテコ入れに失敗したループはフロリダに戻りましたが、クロケットプロに移籍していたマレンコから新日本プロレスに参戦するように誘われると、ループはこのままではいずれフロリダからリリースされてしまうと考え、マレンコの誘いに応じ、ボスのEグラハムの承諾のないまま新日本プロレスへ参戦を決めました。
ループの参加した79年「新春黄金シリーズ」には他にジョニー・パワーズ、クルト・フォン・ヘス、トニー・ロコ、ヘクター・ゲレロ、トニー・セントクレアーらが参戦(マレンコもマネージャーで来日)していましたが、パワーズは既に下り坂、ループはエース扱いでした。過去2回の来日ではぽっちゃりとした体型でしたが見事にシェイプされ、星条旗をあしらったツーショルダータイプのコスチュームでまさにアマレス出身の本格派。
猪木NWFヘビー級王座への挑戦はテレビ中継2週目となる1月12日、川崎市体育館で実現となりました。が、本来猪木のNWF戦は都内、大阪、名古屋、札幌など大会場中心で組まれることが多く、川崎という中規模都市で組まれることは異例でした。神奈川県では横浜文化体育館がありますが、横浜文体でも同タイトル戦は行われたことはこれまでありません。
猪木もシリーズ終了後の2月6日、大阪府立体育会館大会ではミスターXとの「格闘技世界一決定戦」が決まっており、前78年11月でのヨーロッパ遠征「欧州世界選手権シリーズ」で硬いマットで首、肩、腰を痛めて体調が最悪の状況だったこともあり、今シリーズはコンディション調整の為に自分はタイトル戦は行なわず、終盤には1月26日、岡山武道館でパワーズvs坂口征二のNWF北米ヘビー級選手権試合、最終戦2月2日、札幌中島スポーツセンターでは坂口&ストロング小林組vsループ&ヘス組の北米タッグ選手権試合で締めくくろうと考えていました。(藤波辰巳はニューヨーク、ロサンゼルス遠征の為序盤3大会のみ出場し渡米)
しかし「ワールドプロレスリング」を放送していたテレビ朝日から、1月中にNWFのタイトルマッチを組むよう要請され、やむを得ずに川崎で行なわれることになりました。まだシュツットガルトでのローラン・ボック戦でのダメージが残る猪木にはガチンコの強さでは定評のあるループは難敵。
開幕戦の1月5日、大田区体育館での前哨戦のタッグマッチ(猪木&S小林組vsループ&ヘス組)でもループのショルダーバスターを喰らって痛めていた右肩に更に痛め、満身創痍の状態でループを迎え撃たなければならなくなりました。
試合開始、猪木がヘッドロックからロープに飛んでのショルダータックルを仕掛けるが、ループはジャンピング・ニーで切り返して猪木を場外へ、猪木はセコンドのマレンコの動きを気にしながらリングにカムバック。ループはアマレス流の片足タックルから腕を固めて猪木の動きを封じ、ロープに押し込んでニードロップ、猪木はたまらず場外へエスケープするがリングに戻るとループに捕まり、足を取られてレッグシザースで倒されて、グラウンドレスリングに引き込まれてしまいました。猪木は逃れるも再び捕まり動きを封じられました。
猪木もヘッドシザースで切り返しましたが、ループは猪木の痛めている左足を攻めて反撃、両者スタンディング状態から猪木は張り手を見舞っていきましたが、ループは軽くいなします。しかしスタンドではループは攻めて来ない。猪木も「カマン!」と挑発しましたが、誘いには乗って来ず。セコンドのマレンコの動きを牽制しつつ、試合の流れを変えようとループをヘッドロックから素早くレッグシザースから足を捕らえようとするが、体勢を入れ換えたループは上から覆い被さりグラウンドでコントロール、猪木はヘッドシザースを狙うがループは巧みに逃れ、グラウンドに引きずり込み、足を絡めながらのバナナスプレッドからのグラウンドコブラツイストで優位に立ちます。猪木は試合の流れを変えようと場外へ降りますが、自分のペースに乗ってこないループに苛立っていきました。
スタンディングで猪木が挑発するとループは場外へ逃れてマレンコから何やら耳打ちされてリングに戻るという具合で間合いを外された猪木はアリキックを放っていくも、ループは再び片足タックルからグラウンドに持ち込み、ループがマウントを奪ったまま両者場外にもつれ込むも、ループは鉄柱攻撃からリングに戻りアームバーで猪木の動きを再び封じにかかりました。
これを逃れた猪木は足を取って足4の字固めを決めましたがループは身体を反転させて逃れ、場外へ落ちたループは足を痛めたのか呼吸を整えてリングに戻ると、猪木は片足タックルから逆片エビ固めで絞り上げるも逃れたループはまたもグラウンドに引き込んでクルックヘッドシザース、これを逃れた猪木はボディスラム、しかしループは間合いを外して攻撃させず、片足タックルでコーナーへ押し込むと、マレンコがエプロンからステッキで猪木を攻撃。
ループはネックブリーカー・ドロップ、リング下に降りた猪木は場外のマレンコに襲い掛かり、マレンコもたまらずリング内に逃れる。
ループはリングに戻った猪木にパンチ、エルボーを放ち、打撃ならこちらのモノと猪木はナックルパート、逆水平チョップで応戦も、ループは猪木を軽々と担ぎ上げるとマンハッタンドロップからエルボードロップと猪木に試合の主導権を握らせず、逆片エビ固めで猪木を追い詰める。
ループはベアハッグからのフロントスープレックス狙い、体勢を入れ換えた猪木はバックドロップ、ストンピングを浴びせるも、ループがバックを奪うとそのままアマレスの「リフト」と呼ばれる反り投げで投げてから身体を密着して離さず、バックから猪木の動きを封じました。
スタンディングになると猪木はブレーンバスターで投げ捨てましたが、セコンドのマレンコが巧妙に猪木の視界に入り込む為に気を取られてしまい、攻撃が連続しません。
ループはタックルからサイドポジションを奪い、腕を固めるが猪木はアームホイップ、フライングメイヤーで反撃するとループはドロップキック、差し合いのままループはロープ押し込むとボディブローの連打から必殺のショルダーバスターを決め、とどめの2発目のショルダーバスターを度狙ったところで滑り降りて逃れた猪木はアリキックの連打からコブラツイスト。
そこへマレンコが乱入してミスター高橋レフェリーを襲撃、これに怒った猪木は技を解いてマレンコに殴りかかると、ループもマレンコのステッキで猪木を殴打、坂口を初めとした新日本勢と外国人勢がリングに上がり乱闘となって試合終了、27分2秒、猪木の反則勝ちで18度目の防衛となりました。
試合後猪木は「こんな早い段階でタイトルマッチが組まれてしまったのは不本意。もう少し、自分のコンディションを考えてもらわなければ困る」と強引にNWFヘビー級選手権試合を要請したテレビ朝日側に不満をぶつけました。
ループはこのシリーズ、ノーフォール負けで帰国しましたが、2度と呼ばれることはありませんでした。
猪木にしてみればループが自分のやりたい攻めだけをやって猪木の攻撃を徹底的に防御されたことに大いに不満だったのでしょう。しかし、後年ループは「あの試合で最高のものを出し切った充実感はあったから再戦には拘らなかった、猪木も同じような気持ちだったと思うよ」と満足していたようでした。
【正解解説】76年12月8日、新日本プロレス横浜文化体育館大会。メインイベントは坂口&S小林組にパターソン&ラリー・ヘニング組が挑戦した北米タッグ選手権試合。これまで両チームの対戦は11月25日、鹿児島大会では王者組が2−1で2フォール奪われて負け、12月1日、岩国大会では1−1から両リンの引き分けでしたが王者組は1フォールも奪えずと王者組はいいところなし。
1本目は17分28秒、S小林とパターソンが両者リングアウトで1−1。決勝の2本目は7分11秒、坂口&S小林組がLヘニングに2人がかりのダブル・ブレーンバスターを決めて坂口が体固め。2−1で坂口&S小林組が5度目のタイトル防衛を果たしました。
試合後、坂口が「シングルの日本選手権は難しそうだが、タッグなら出来るのではないか?タッグでの日本選手権を行いたい。全日本プロレス、国際プロレスのタッグ・チャンピオンチームと対戦したい」と「タッグ日本選手権」の開催を提案し、全日本プロレスの馬場&鶴田組(この日の時点では大木金太郎&キム・ドク組にインターナショナル・タッグ王座を奪われており無冠、翌12月9日、日大講堂で王座返り咲き)、国際プロレスのIWA世界タッグ王者チー厶であるグレート草津&マイティ井上組に対戦を呼びかけています。
シングルであれば馬場、吉原功社長の「猪木アレルギー」があるところから実現は難しい、ならばタッグでどうか?ということから話が持ち上がったモノですが、最初に反応したのが国際プロレスのIWA世界タッグ王者チー厶である草津&井上組。「正式に文書として事務所に送って欲しい。吉原社長がOKすればいつでも出撃する」と臨戦態勢。
どのような回答をするか注目されていた馬場は「基本的には賛成、坂口の発言には勇気がある。まずは正式に文書を送付してもらい、その後に3団体のフロントで話し合いを持つようにしてもらいたい」と同調しました。
馬場も猪木&新間寿ラインではなく、誠実な人柄を評価している坂口からの発言だけにいきなり入口でシャットアウトは出来なかったのでしょう。
本コラムは1月13日付(12日発行)の「東京スポーツ」1面記事を採り上げましたが、実際にはこの直後、1月14日、福岡九電記念体育館で上田馬之助がタイガー・ジェット・シンと組んで坂口&S小林組の北米タッグ王座に挑戦、1本目からシンと上田はS小林の左腕に的を絞り、徹底した腕攻め。コーナーマットや鉄柱を使った反則攻撃を織り交ぜながら、13分1秒、シンがS小林を逆腕固めでギブアップさせて挑戦者チームが1本を先取。
2本目はエキサイトした上田が凶器のスパナを持ち出してシンと2人がかりでS小林の腕を痛めつける暴挙に出て、レフェリーのミスター高橋は6分36秒、ノーコンテストを宣言。
シン&上田組はS小林から1本勝ちを奪いましたが、ノーコンテストで試合そのものが無効となり、ベルト移動もなければ、王者組の防衛記録にもカウントされませんでした。S小林は左肘を攻撃されてダウン。試合こそノーコンテストですが、内容は完敗です。
両チームによる北米タッグ選手権試合の再戦が2月2日、大阪府立体育会館で決定。坂口&S小林組は王座獲得から1年、最大のピンチを迎えたことになりました。
再戦はやはりS小林の左腕がシン&上田組に狙われ、巧みなカットプレーで坂口の助けを妨害、シンの度重なるキーロック攻撃にS小林は堪らずギブアップ、1本目は17分2秒、シンがキーロック(鍵固め)でS小林を破り先制。
1本目が終わった段階でS小林の左腕は使い物にならなくなりほぼ戦闘不能状態に。2本目に入ってもダウンしたS小林をシンと上田が2人がかりで左腕を攻撃、3分22秒、日本組の反則勝ちとなりました。
立ち上がれないS小林は左腕の激痛により失神、山本小鉄が入ってきてダウンしたS小林に「起きろ!」とばかり張り手を入れますがS小林は動かず、3本目はS小林の試合放棄となり、ベルト移動。シン&上田組が王座獲得。
怒りの観客席からは暴動寸前の怒号が起き、殺伐とした空気になりましたがシンと上田は本部席にあったベルトを強奪すると勝手に勝ち名乗りをあげて控室えと逃走しています。
提唱者である坂口&S小林組の惨敗により日本選手権どころではなくこの話は頓挫してしまいました。
これに対して馬場が出した痛烈な「回答」が年末の「世界オープン・タッグ選手権」の開催であり興行は空前の大ヒット、坂口&S小林組は馬場に興行のヒントを与えてしまったようです。
※対戦成績は219戦40勝179敗、勝率183。
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