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2023年02月23日21:57

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週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(46)

第212戦、11月17日発売号●【予想】猪木戦を前にしたビル・ロビンソンがMSGのリングに初登場、vsジョニー・ロッズ(75年ニューヨークMSG)【正解】「実力日本一決定」「日本選手権」のラストチャンスが頓挫した真相、プレ日本選手権開幕戦(78年新日本プロレス後楽園ホール)

この週に関しては前週までプレ日本選手権の開幕戦を予想に出すつもりでおりました。私のは山本小鉄vs上田馬之助の一戦でしたが。ただ、前週に猪木vsカール・ミルデンバーガーが来た為に「海外と国内の違いはあれど2週連続78年の新日本プロレスネタはやらないだろうなぁ」と思い、直前に差し換えて外しました。

【予想解説】この年の12月11日、蔵前国技館で猪木との「夢の対戦」が決まったロビンソン。これまで主戦場にしていたAWAを離れ、11月17日、初のニューヨークMSGに登場。

と言ってもWWWF地区に転戦して来たという訳ではなく、WWWFの提携先である新日本プロレスからの依頼によるゲスト出場で、この試合のビデオテープをNETがテレビ放送する為でした。

ロビンソンの相手を務めたのは実力派ジョバーであるロッズ。前74年4月1日には全日本プロレスからMSGに遠征してきたジャンボ鶴田の対戦相手を務めて11分56秒、ダブルアーム・スープレックスからの体固めで敗れましたが、鶴田の良さを存分に引き出しています。

試合は静かな立ち上がりから、ロッズにリストを取られたロビンソンがクルッと側転して切り返すという得意のムーブを披露、カール・ゴッチや弟子の藤波辰巳がよく見せる相手の頭部を両足で挟み込んでから首を両腕で押さえてクルッと一回転させてエビ固めに丸め込みを見せました。

ロッズの身体を横抱きにして物凄いスピードのサイド・スープレックスで投げつけ、最期はワンハンド・バックブリーカーから7分23秒、片エビ固めでフォール勝ち。猪木戦に向けて死角なし、絶好調の仕上がりを見せています。

この試合は11月28日放送(久留米・福岡県立体育館からの生中継)の「ワールドプロレスリング」で放送されています。

これは映像素材をNETが借りただけで著作権はWWEにあるので現在は視聴出来るか不明。誰がYou Tubeにあげてくれないですかね….

【正解解説】プレ日本選手権開幕戦後楽園ホール大会は猪木が「欧州世界選手権シリーズ」参加中の為不出場で、決勝トーナメントから出場となっています。

この日の予選リーグ戦では坂口征二がマサ齋藤に15分22秒、リングアウト勝ち、藤波はサンダー杉山を6分57秒、回転エビ固めに丸め込み、先程触れた小鉄vs上田は小鉄が場外の上田めがけコーナーポスト最上段からのダイビング・プレスを透かされて自爆、ビール瓶で額を割られて2分10秒、体固めで敗れ、以後の公式戦を棄権。テレビ生中継はこの3試合で、番組の冒頭には前回の正解となる猪木vsミルデンバーガー戦を放送、坂口vsM齋藤は試合の途中で放送時間が終了しています。

テレビ中継に入らなかったストロング小林と長州力の注目の公式戦はS小林のバックドロップを長州がコーナーマットを蹴って両者ダウン、長州が覆い被さりフォール勝ちと新日本プロレスならではの残酷な「番付入れ換え」がさり気なく行われていますが、

今回のコラムの話題はテレビ中継でも触れられていましたが、S小林がかつての恩師である国際プロレスの吉原功社長のプロレス生活25周年を記念して同時期に開催されていた「日本リーグ争覇戦」の11月25日、蔵前国技館大会に「吉原社長に恩返しをしたい」と参戦表明をしたことに着目しています。

吉原社長とS小林と言えば74年2月にS小林が国際プロレスを退団表明し、馬場、猪木に挑戦状を送付。猪木が受けて立つことになる訳ですが吉原社長は「交わしてある契約書は有効、退団は認めない。他団体のリングに上がる場合は違約金1,000万円を払うこと」と対立。

本連載(10)3月10日発売号の正解に書きましたが、猪木vsS小林戦の主催者に名を連ねた東京スポーツ新聞社井上博社長の英断で東スポがトレードマネーとして1,000万円を支払い金銭解決しましたが、吉原社長とS小林の間に感情的なしこりは残りました。

それから4年9か月、S小林が自分を業界に入れてくれたかつての恩師の為に花を添えたいと申し出、これを受けた新日本プロレスでは11月25日、国際プロレスの蔵前国技館大会にS小林と小林邦昭の「ダブル小林」を派遣すると吉原社長に申し出、吉原社長もこれを快諾しました。

これに対して馬場が激怒、「日本リーグ争覇戦」には全日本プロレスから鶴田、グレート小鹿、大熊元司、ロッキー羽田にアメリカ遠征中のミスター桜田、対外的にはフリーながら実質的には全日本所属だったキム・ドク、天龍、プリンス・トンガと相次いで全日本に入団し、馬場が日本相撲協会との軋轢を避ける為にフリーとして海外に行かせていた元大ノ海の石川孝志(隆士)らを派遣しており、「それで十分ではないか、何で新日本の選手まで必要なんだ、吉原さんは何を考えてるんだ!」と親しいプロレスライターの菊池孝氏に激昂して怒りをぶちまけたと言います。(当時は菊池氏は吉原社長のブレーンでもあった)

馬場は吉原社長が自分に黙って新日本プロレスの選手をリングに上げること決めてしまったことが我慢ならなかったのです。

吉原社長からすれば、自分は馬場より先輩であり、真の主役はプロレス生活25周年を迎えた自分であり、その御祝儀として3団体のレスラーが一同に会した記念大会を開いたとしても文句を言われる筋合いではない。さらにはマッチメイクにも配慮し、全日本と新日本の選手が対戦するようなカードは組んでいないのだから馬場から何か言われる必要はないといったところでしょう。

結果として72年10月の馬場の全日本プロレス旗揚げから続いていた両団体の交流は「日本リーグ争覇戦」を以て最後となりました。

※対戦成績は212戦39勝173敗、勝率184。 
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