第200戦、8月25日発売号●【予想】雨中の田コロ決戦、年間ベストバウトに選ばれた鶴田vsミル・マスカラスUNヘビー級選手権試合(77年全日本プロレス田園コロシアム)【正解】「猪木は右膝から下を切断しなければ命が危なかった」猪木、坂口征二、ストロング小林が緊急座談会(75年新日本プロレス南青山事務所)
【予想解説】77年2月の「エキサイト・シリーズ」から入場テーマ曲にジグソーの「スカイ・ハイ」を採用したことでミル・マスカラスが71年2月、日本プロレスに初来日以来の人気再ブレイク。
「スカイ・ハイ」はオーストラリアと香港の合作B級アクション映画でサントラ盤は既に発売されていましたが特にヒットした訳でもなく、マスカラスのテーマ曲に使用されたことで、オリコンの洋楽部門チャート第1位に輝きました。
これによって日本でもプロレステーマ曲文化というものが根付いたという歴史的意義のある出来事であったと言えます。
マスカラスがメキシコからアメリカのロサンゼルスに闘いの拠点を移した68年に創刊された「ゴング」では、「マスカラスのゴングか、ゴングのマスカラスか?」を謳い文句に創刊当初から海外のマスカラスの試合を詳報していましたが、この年のマスカラスブーム再燃でその本領を発揮。
72年12月に発売されて完売になっていたマスカラスの写真集増刊「ミル・マスカラスその華麗なる世界」のPART�兇鬘儀遒鉾�売、毎号のようにマスカラス特集を組んでいました。
マスカラスは8月13日、越谷市体育館で開幕の「サマー・アクション・シリーズ2」にこの年2度目の来日。以後、マスカラスの「夏休み時期の来日」は日本マット界の「風物詩」として定着することになる訳で、翌78年には実弟のドスカラスが初来日、マスカラス・ブラザーズが「チビっ子ファン」に夢を与えることになります。
開幕戦ではセミファイナルでロッキー羽田と対戦、12分49秒、ダイビング・ボディアタックからの体固めで快勝。
夏休み中のビッグイベント、8月25日、田園コロシアムでマスカラスは鶴田のUNヘビー級王座に挑戦。観客は6,200人発表。当日は夕方より小雨がぱらついていました。
第1試合が伊藤正男が淵(渕)正信に勝ち、第2試合はミスター林が肥後宗典を破りましたが次第に雨足が強くなり第3試合ではミツ・ヒライが百田光雄を降していますが、第3試合終了後、場内アナウンスがあり、第4試合にセミファイナルの馬場&天龍組vsタンク・パットン&スウェード・ハンセン組を、第5試合にメインイベントの鶴田vsマスカラス戦を行い、その他のカードはそれ以後の雨の状況によってやるか中止にするか決めると発表されています。いわゆる「逆取り」。
試合は両選手がファンの作った騎馬に跨り、マスカラスは「スカイ・ハイ」、鶴田は「チャイニーズ・カンフー」のテーマ曲に乗って入場、このあたりは新しい時代を感じさせる入場でした。
1本目は22分48秒、マスカラスが鶴田を座らせておいて背後から両足を鶴田の両腕に絡めて絞め上げる「ジャベ」の一種、変形背骨折りでギブアップさせて先制。2本目は7分46秒、鶴田がエアプレーン・スピン(飛行機投げ)からコーナーポスト最上段からのミサイルキックからの片エビ固めで返して1−1。
決勝の3本目はマスカラスが場外の鶴田めがけプランチャ・スイシーダを見舞いましたが、飛ぶ際に足が滑ったか、鶴田を飛び越えるような形になり、着地の際に客席のイスに足を取られてしまい、イスを外そうともがいている間に鶴田がリングに戻り、3分20秒、鶴田のリングアウト勝ち、2−1で鶴田が3度目の防衛に成功しています。
この試合はこの年の東スポプロレス大賞年間ベストバウトに選ばれました。
天気はどうにか持ちこたえ、その後第6試合でグレート小鹿&大熊元司組vsサムソン・クツワダ&ロッキー羽田組、第7試合高千穂明久vsマヌエル・ソト、最終第8試合、ザ・デストロイヤーvsザ・シャドー(アレックス・ペレス)まで無事行われました。
【正解解説】75年8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで坂口征二と組んでのジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドスとの北米タッグ王座を賭けた死闘を大苦戦の挙げ句、ノーコンテスト、タイトル預りとなった猪木。
その後アメリカ東部マット界の視察を終えた猪木は8月14日に帰国、8月19日には世田谷区野毛の新日本プロレス道場で8月22日、群馬県高崎市体育館から開幕する次期「闘魂シリーズ」に向けて調整の為の練習に入りましたが、ここで左膝に痛みを感じ始め、翌8月20日には、新日本プロレス入団を祝して新たに結成された「ストロング小林後援会」発足パーティーに出席するも、その夜に40℃という高熱に襲われてしまいました。
とりあえず猪木は応急処置として自宅近所の病院に駆け込んで強い麻酔注射を打ってもらい、翌朝には主治医である菊屋橋病院院長・佐藤三蔵氏の治療を受けると「左膝ウィルス性関節炎」(蜂窩織炎)との診断を受けました。
ウィルス性関節炎は、関節液や関節組織の感染症で、通常は細菌感染が原因というのが一般的で、ウイルスや真菌の感染によって起こることもあると言われており、8月1日ロサンゼルスでのハリウッド・ブロンドス戦で凶器攻撃を受けた際切り傷が出来て、そこから細菌が入り込んで膝関節に広がり、痛みや高熱を起こしていました。
凶器攻撃が直接的な原因ではなく、要因はリングマットに無数に付着しているウィルスによるものでした。
猪木は即入院となり、シリーズは欠場、「無事是名馬」の馬場とは違い、怪我による欠場も多かった猪木ですが、これほどの重傷による欠場はこの時が初めて。
ノーコンテストによりカリフォルニア州アスレチック・コミッショナー預かりとなっていた北米タッグ王座ですが、猪木&坂口は日本で、Hブロンドスはロサンゼルスでの王座決定戦を主張していましたが、前王者である猪木&坂口の主張が通り、このシリーズ日本で王座決定戦が行われることになりました。しかし、肝心の猪木は欠場…。
8月25日、南青山の新日本プロレス事務所に猪木、坂口、取締役として入団したストロング小林が加わり緊急座談会が行なわれ、S小林が「猪木さん、北米タッグは僕に任せて無理せず治療に専念して下さい」と促し、9月22日、愛知県体育館で行われるHブロンドスとの北米タッグ王座決定戦は猪木の代わりにS小林が出場すると表明しています。(後日決定)
この座談会は8月26日付(25日発行)の「東京スポーツ」一面に掲載され、東京12チャンネルの解説をしていた門馬忠雄記者が聞き手になっていますが、「あの日あの時」では8月25日の出来事になっていますが、紙面をよく読むと座談会の日付は不掲載。
25日発行夕刊であれば早ければ昼12時過ぎには駅売店に並ぶので座談会が本当に25日に行われたかどうかは?であり、その前日の24日に取材されている可能性が高いと思います。
後は猪木が負傷したのは右膝ではなく左膝、糖尿病による壊死でもない限り反対の足を切断するようなことはあり得ない。新間寿の談話をストレートに載せてしまったのでしょうが、日付の有耶無耶は仕方ない面はあっても負傷箇所の間違いは看過出来ません。
※対戦成績は200戦38勝162敗、勝率190。
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