第181戦、4月14日発売号●【予想】興行活動休止発表の日本プロレス残党が全日本プロレスと合併記者会見(73年大田区池上本門寺)【正解】ザ・デストロイヤーvsアブドーラ・ザ・ブッチャー血の抗争、第2回チャンピオン・カーニバル第2戦(74年全日本プロレス後楽園ホール)
【予想解説】本連載(9)3月3日発売号の吉村道明引退の箇所でも少し触れていますが、日本テレビ、NETの2局放映で隆盛を誇っていた日本プロレスは71年12月、会社乗っ取りを企てたクーデター犯として猪木を除名・追放処分にしています。
猪木は独立に向けて動き出し、翌72年1月には新日本プロレスの法人登記を済ませ、26日に設立記者会見、29日には世田谷区野毛の猪木の自宅を改装して作った道場兼合宿所の「道場開き」を行いました。
自局のエースである猪木の試合が放映出来なくなったNETでは日本プロレスに馬場の試合を放送させるよう強く要請。
69年に後発のNETが日本プロレスの放送を開始する際、日本テレビとは「馬場、坂口征二の試合とワールド・リーグ戦の公式戦は放送させない」という約束でNETの放送を認めさせましたが、坂口の試合とワールド・リーグ戦公式戦はなし崩し的にNETで放送されましたが、馬場だけは日本テレビが許しませんでした。
しかし、看板レスラーだった猪木に抜けられてはNETも視聴率の問題もあり、今度ばかりは強硬に出ました。日本プロレスでは役員会を開いて馬場のNET登場を賛成多数で決め、4月3日の「ワールドプロレスリング」から馬場が登場。日本プロレスとしては「御家の一大事だけに日本テレビもわかってくれるだろう」と思っていましたが、日本テレビはこれに激怒。
5月12日、東京体育館での馬場vsゴリラ・モンスーンの第14回ワールド・リーグ戦の優勝決定戦の中継を最後に、54年以来放送してきた日本プロレスの中継をあっさりと打ち切ってしまいました。
馬場は7月29日、日本プロレスに辞表を提出、日本テレビをバックに独立の動きを見せ、9月9日に新団体全日本プロレスの旗揚げを発表しました。
馬場、猪木に去られた日本プロレスは坂口征二、大木金太郎の2大エース体制で持ちこたえようと島したが、観客動員、テレビ視聴率は下がる一方、NETの三浦甲子二常務は年末にノーテレビで負債が増えるばかりの猪木と坂口を呼び出し「もう、お前たち、一緒にやれ!」と猪木の新日本プロレスと日本プロレスを合併させる「新・日本プロレス」構想が浮上。
73年2月8日、新宿・京王プラザホテルで猪木と坂口が記者会見を行い、日本プロレスを存続会社として新日本プロレスと日本プロレスが合併すると発表されました。
これに反対したのが会見時韓国に帰っていた大木で、「俺は何も聞かされていなかった。育ててくれた日プロを裏切るような真似は俺には出来ない」とこれを拒否。僅か1年2か月前に日本プロレスを除名・追放処分にされた猪木に対する嫌悪感もあり、反対多数でこの案は頓挫。
坂口は小沢正志(キラー・カーン)、木村聖裔(たかし、健吾、健悟)、大城勤(大五郎)、田中米太郎レフェリーを連れて日本プロレスを離脱し新日本プロレスに合流。
坂口の新日本プロレス移籍でNETも日本プロレスに見切りをつけ4月から「ワールドプロレスリング」は新日本プロレスの放送に鞍替え。
坂口に出て行かれ、NETの放送も失った日本プロレスは選手会の運営で4月13日、大阪府立体育会館から「アイアン・クロー・シリーズ」を開幕させましたが、単独での団体存続は困難と判断、百田家(力道山家)の仲介で馬場の全日本プロレスに合流、合併が決定。
この日、力道山が眠る池上本門寺で墓前を前に記者会見が行われ、国内にいた日本プロレス9人の残党(大木、上田馬之助、グレート小鹿、高千穂明久、松岡巌鉄、ミツ・ヒライ、桜田一男、羽田光男、伊藤正男)の全日本プロレス合流が発表され、日本プロレスの解散が決定し、日本プロレスは4月20日、群馬県吉井町体育館で19年2か月の歴史にピリオドを打ちました。
【正解解説】全日本プロレス春の祭典「第2回チャンピオン・カーニバル」は74年4月13日、船橋ヘルスセンター・ローラースケート場で開幕。
アブドーラ・ザ・ブッチャー、ミスター・レスリング(ティム・ウッズ)、マーク・ルーイン、キング・イヤウケア、ルーファス・ジョーンズ、ジョー・ソト(インカ・ペルアーノ、ロッキー・タマヨ)、国際プロレスからレンタル参戦のセーラー・ホワイトの7外国人レスラーが参加。
ホワイトは当初参加予定だったマリオ・ミラノが来日キャンセルとなり、ストロング小林の離脱、TBSの放送打切、凱旋帰国予定だった大剛鉄之助の交通事故とトリプルショックに見舞われた国際プロレスに高千穂、大熊元司、クツワダを連れて友情参戦した馬場の目に止まり、代打として参戦が決まりました。
日本側は馬場、初参戦の鶴田、ザ・デストロイヤー、サンダー杉山、高千穂、サムソン・クツワダ、マシオ駒に助っ人参戦のマティ鈴木の8選手がエントリーし前年同様、馬場は1回戦シード。
1回戦の目玉カードはデストロイヤーvsブッチャーの組合せでした。これより3年前の71年日本プロレス「第13回ワールド・リーグ戦」では同じ外国人勢として馬場、猪木と激闘を展開していた両者ですが、デストロイヤーが日本組入りしたことで、ブッチャーの憎悪が激化。
「裏切り者デストロイヤーを制裁する」と宣言し、開幕戦の船橋大会のテレビ生中継ではブッチャーは割れたビール瓶でデストロイヤーの額を突き刺し、白覆面が血で染まる戦慄の展開となり4分10秒、ノーコンテストになりました。
トーナメントなので両者無得点試合はなく、立会人のロード・ブレアース会長の裁定により翌日の後楽園ホールで再戦が決定。
第2戦の4月14日、日曜日の後楽園ホール大会、前夜の生々しい死闘のテレビ中継で館内は超満員。
入場と同時に掴みかかったデストロイヤーとブッチャー、デストロイヤーは拳をコンクリートバンテージでグルグル巻きにしてブッチャーの額にパンチ攻撃、ブッチャーも凶器で殴り返して試合開始のゴング前から乱闘を繰り広げ、試合時間なしでまたもやノーコンテスト。
ちなみにこの日は第1試合で大仁田厚がデビュー戦を行い、佐藤昭夫(昭雄)に6分28秒、体固めで敗れています。
デストロイヤーとブッチャーは4月24日、徳島市体育館で3度目の対戦をし、5分57秒に両者リングアウトとなり、「今度決着つかなかったら両者失格」として4月27日、高知県民体育館で4度目の1回戦対決をしましたが、8分41秒にノーコンテストとなりついに両者失格となりました。
日本テレビ「金曜10時!うわさのチャンネル」でのコミカルなコントでお茶の間の人気者となったデストロイヤーでしたが、ブッチャーとの闘いでは「白覆面の魔王」が復活、凄みを感じさせました。
※対戦成績は181戦36勝145敗、勝率199。
ログインしてコメントを確認・投稿する