77年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」開幕戦、1月7日、埼玉県越谷市体育館(テレビ生中継、観衆2,800人満員発表)大会。
この大会はダブル・メインイベントとして行われましたが、番組の冒頭のダブルメイン第1試合から振り返りたいと思います。
ダブル・メインイベント第1試合は翌週1月14日、福岡九電記念体育館で行われる北米タッグ選手権試合の前哨戦、坂口征二&ストロング小林組とタイガー・ジェット・シン&ブルータス・ムルンバ組の60分3本勝負。
1本目は12分46秒、S小林がムルンバをブレーンバスターから体固めで先制のフォール。しかし2本目、私服姿の上田馬之助が姿を現しリング下へ。シン&ムルンバ組に加勢し、坂口&S小林組にシンと2人がかりで攻撃を加え、4分52秒、ノーコンテストとなりました。場外で額を鉄柱にぶつけられた坂口は左のコメカミから大流血。タイトル戦本番前に大ダメージを負いました。
坂口&S小林組は1本目はフォールを奪っていますが、2本目がノーコンテスト裁定により、勝敗は無効試合となりました。
年末まで成りを潜めていた上田でしたが、年明け早々に動き出し、何とシンと結託、凶悪コンビを結成することに。カード変更され、1月14日、福岡での北米タッグ選手権はシン&ムルンバ組に代わり、シン&上田組の挑戦が決定。シン&ムルンバ組の北米タッグ王座挑戦はおそらくダミーカードだったと思われます。
ダブル・メインイベント第2試合は初対決、猪木とスタン・ハンセンのシングルマッチ60分1本勝負。ブルーノ・サンマルチノの首を折ったハンセンは来日第1戦のテレビ生中継では早くもメインで猪木との一騎討ちというチャンスに恵まれました。
ハンセンは若くて馬力があり、動きは荒削りながらスピードも充分。75年9月に全日本プロレスに初来日した時とは動きが全然違いました。
猪木はリバース・インディアン・デスロックから弓矢固め(ボーアンドアロー・バックブリーカー)狙いにいきましたがこれは不完全。
ハンセンのジャンピング・エルボードロップは自爆、ドロップキックでハンセンを追い込んでいく猪木でしたが、10分過ぎ、ダブル・メインイベント第1試合を終えたシンと上田が登場し、場外乱闘を展開している猪木とハンセンの一戦に乱入。
シンと上田はハンセンに加担し、猪木を3人がかりで痛めつけ、11分13秒、猪木の反則勝ちとなりました。シン 、上田、ハンセンはこのシリーズ共闘戦線を張る模様です。
テレビ生中継はこの2試合を放送。木戸修とピート・ロバーツのシングルマッチは10分34秒、エビ固めでPロバーツの勝利。星野勘太郎はデビット・テイラーを7分12秒、回転エビ固めで破りました。
第2戦、1月8日、千葉県東金市中学校体育館(観衆2,700人満員発表)大会。S小林はセミ前でPロバーツとシングルマッチで対戦し12分10秒、カナディアン・バックブリーカーでギブアップ勝ち。
セミファイナルでは坂口とハンセンがシングルマッチ45分1本勝負で初対決、8分16秒、坂口の反則勝ち。
メインイベントは猪木&木戸組がシン&ムルンバ組と対戦、1本目は15分6秒、猪木がムルンバを逆さ押さえ込み、2本目は3分35秒、シンが木戸をコブラクロー、決勝の3本目は3分20秒、木戸がムルンバを体固めに決めて2−1で猪木&木戸組の勝利。
シン&ムルンバ組は北米タッグ王座挑戦がなくなったせいか2戦目から早くもムルンバが2本取られての完敗です。
この大会を当時8歳だった永田裕志少年が観戦しに行っていたかどうかは不明…。
第3戦は1月10日、長野市民体育館(観衆2,500人発表)大会。S小林はセミファイナルでシンと今シリーズ初のシングルマッチ45分1本勝負で対戦、5分39秒、コブラクローであっさりと押さえられてしまいました。
メインイベントはこのシリーズでの出会いがきっかけで親友関係となるハンセンとPロバーツが初タッグを結成、猪木&星野組と対戦しました。
1本目は12分3秒、Pロバーツが星野をエビ固め、2本目は僅か43秒、星野がPロバーツを回転エビ固め、決勝の3本目は5分51秒、猪木がPロバーツを体固めで破り2−1で猪木&星野組に軍配が上がりました。
3本ともPロバーツがフォール、被フォールになっているのは、従来ハンセンが経験していたアメリカンスタイルとは少し要素が異なり、ヨーロッパスタイルも加味された新日本プロレスのタッグマッチのスタイルをハンセンに見せて覚えさせる為に自分がゲームメイキングを買って出たのではないかと思われます。
坂口はムルンバとセミ前にシングルマッチで対戦し9分58秒、逆エビ固めでギブアップ勝ちを収めました。
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