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2022年09月13日07:24

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ストロング小林さん追悼(247)

76年新日本プロレス「闘魂シリーズ」が終わると、猪木はすぐさま韓国遠征に出発しました。大韓プロレス協会派の招きで10月9日、大邱市、10月10日、ソウル市での2連戦。

猪木を迎え撃ったのはアメリカでは大木金太郎以上の知名度を持つ「コリアン・アサシン」パク・ソンナン(朴松男)。

初日10月9日、大邱でのノンタイトル戦はテレビ放送がなく、猪木がパクの目に指を入れて戦意喪失させた試合として語り継がれている伝説の一戦で07年に発売された柳澤健氏著「1976年のアントニオ猪木」でも詳しく書かれていますが、柳澤氏も現場で試合を観戦していた訳ではなく、後の取材によって判明したことを書いているので全て事実とは言い難い面も当然ありますが、おおよそ以下のような事実となるでしょう。

今回の韓国ツアーは猪木とパクの2連戦、初日の大邱はノンタイトル、2日目のソウルはNWFヘビー級選手権試合、プロモーターとしてはパクの商品価値を上げるよう「モハメド・アリと対戦した男」猪木に対し、初日の大邱ではパクに花を持たせる為に猪木に負けてもらい2日目のタイトル戦本番では猪木が勝ち、1勝1敗の五分の成績に終わらせると提案。

ミスター高橋からこのマッチメイクを聞かされた猪木は激怒しこれを拒絶、勝敗の結末がが決まらないまま猪木とパクは対戦、怒りをパクにぶつけた猪木がセメントを仕掛けレフェリーの死角を突いてパクの目に指を入れてしまい、試合は大荒れのノーコンテスト。

翌日のソウル市奨忠体育館(観衆6,000人)は試合前にパクが試合に出たくないとゴネ出して当日の韓国の公営放送局KBSの生中継が約40分近くに亘り無人のリングを映すという放送事故になりましたがようやくパクが周囲に説得されてリングに登場。

この日の試合はNET「ワールドプロレスリング」でも収録されて10月15日に放送されています。こちらの試合、NWFヘビー級選手権試合は60分1本勝負で行われ至って普通の試合展開でしたが、18分3秒、場外で鉄柱に打ちつけられたパクが額から大流血して再び戦意喪失、猪木がリングアウト勝ちで5度目の防衛に成功しています。

全日本プロレスとの興行戦争ですが、全日本プロレスは新日本プロレスの「闘魂シリーズ」(8月27日後楽園ホール〜10月7日蔵前国技館)に2週間先駆けて8月14日、埼玉県熊谷市体育館から「ブラック・パワー・シリーズ」が開幕、9月9日、大阪府立体育会館で最終戦を迎え、2週間のオフを経て9月24日、埼玉県大宮スケートセンターから10月28日、蔵前国技館まで「ジャイアント・シリーズ」を開催。

まず「ブラック・パワー・シリーズ」では、かつて日本プロレス時代に猪木、坂口征二が腰に巻いていたUNヘビー級王座(日本プロレス時代の呼称は「ユナイテッド・ナショナル選手権」)が8月6〜8月にネバダ州レークタホーにおいて行われたNWA総会で馬場の要請により復活が認められました。同タイトルはNWAが認可、日本プロレス(残務整理中)が管理することとなり、

同王座の最終保持者、高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)とジャンボ鶴田の間で開幕戦の熊谷大会で日本代表決定戦を行い、勝者が8月28日、日大講堂でアメリカ代表、前NWA世界ヘビー級王者であるジャック・ブリスコと王座決定戦を行うと発表されました。

しかし、開幕戦当日になり、最終保持者である高千穂が日本代表の権利を鶴田に譲るとして日本代表決定戦への出場を辞退、開幕戦での鶴田vs高千穂戦はカード変更はなく、通常の60分1本勝負として行われ、鶴田が回転エビ固め勝利を収めています。

このシリーズ、日本プロレス崩壊時にアメリカ、中南米遠征に出て日本を留守にしていた林牛之助(本名・林幸一)がミスター林のリングネームで凱旋帰国、全日本プロレスに入団しました。開幕戦の熊谷大会ではタンク・パットンと両者リングアウトで引き分けるという殊勲の星?を挙げましたが、以後は前座戦線に定着、ミツ・ヒライとのコンビでコミカルな試合で観客を楽しませています。

8月26日、札幌中島スポーツセンター(テレビ収録、観衆4,000人発表)では馬場&鶴田組がボボ・ブラジル&パットン組を2−1で破りインターナショナル・タッグ王座11度目の防衛に成功しています。

鶴田は8月28日、日大講堂(テレビ生中継、観衆7,200人発表)でブリスコを2−1で破り、復活UNヘビー級王座を獲得、馬場との師弟コンビで保持していたインターナショナル・タッグ王座と併せて「若き二冠王」となった訳です。

この日の日大講堂大会はダブル・メインイベントで、74年7月25日、同じ日大講堂からスタートしたザ・デストロイヤーの「覆面世界一決定戦十番勝負」最終戦(PWF認定USヘビー級選手権試合)が行われました。最終戦の相手はかねてより有力視されていた「超破壊仮面」スーパー・デストロイヤー(ドン・ジャーデン)で2−1でザ・デストロイヤーが勝ち、最終戦を白星で飾りました。

最終戦9月9日、大阪府立体育会館(テレビ収録、観衆5,800人発表)では鶴田試練の十番勝負第5戦が行われ、ブラジルをリングアウト勝ち含みながら2−1で破った鶴田が十番勝負初勝利を挙げています。

「ジャイアント・シリーズ」はタイトルマッチ&ビッグマッチ・ラッシュとなりました。開幕戦の9月24日、大宮スケートセンター(テレビ収録、観衆2,800人満員発表)では8月31日深夜、ソウル市内で交通事故に遭い入院していた大木金太郎が頭に包帯を巻いて登場、ワルドー・フォン・エリックとアジア・ヘビー級王座防衛戦を行いましたが、本来の動きが出来ず1−1からノーコンテストでタイトル預かりとなりました。

また、元日本プロレスで日本プロレス崩壊時にはアメリカにいた戸口正徳が帰国、キム・ドクのリングネームで大木との「韓国師弟コンビ」を結成、馬場&鶴田組と日韓師弟コンビ対決がこのシリーズからスタートしますが、ドクをヒールサイドとして大木と組ませたのは大ヒットでした。

9月30日、盛岡・岩手県営体育館(観衆3,800人満員発表)では馬場&鶴田組がアブドーラ・ザ・ブッチャー&WVエリック組を2−1で破りインターナショナル・タッグ王座12度目の防衛。

10月2日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,600人超満員発表)ではジェリー&テッドのオーツ兄弟がグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビを2−1で降してアジア・タッグ王座を獲得。同王座は全日本プロレスで復活以来初めて外国人選手チームの手に渡りました。

開幕戦の大宮大会では交通事故の後遺症を感じさせる弱々しい試合ぶりでファンを心配させた大木でしたが後楽園大会では徐々に復調し、ドクとの韓国師弟コンビで鶴田&サムソン・クツワダ組に勝利を収めています。

10月9日、大阪・高石市臨海スポーツセンター(テレビ生中継、観衆4,300人超満員発表)大会では大木とブッチャーによる「頭突き世界一決定戦」(ノンタイトル60分1本勝負)が実現。

全日本プロレスのリングでは過去2回シングルで対戦しいずれも両者リングアウトとなっており決着が期待されました。ブッチャーはこの時35歳で肉体的にはピーク、大木を体力では上回り、大木の額を鉄柱攻撃で割って流血させました。このシリーズ、大木はずっと頭部に包帯を巻いて出場。包帯が出血で真赤に染まりましたが、頭の硬さでは大木が上、大木はブッチャーの正面、側頭部、耳にヘッドバットを見舞って反撃、場外乱闘となりスタミナ切れを起こし劣勢となった大木にドクが救援に入り、10分30秒、大木の反則負けに終わりました。

翌10月10日、大阪・千里中央万博記念公園お祭り広場(テレビ収録、観衆7,200人超満員発表)大会。同会場は3年連続同時期開催でメインイベントは3年連続デストロイヤーvsブッチャーのPWF認定USヘビー級選手権試合(時間無制限1本勝負)の同一カード。11分15秒、ノーコンテストとなり、タイトルはPWF本部預かりに。

10月15日、東京・永田町の東京ヒルトンホテル(キャピトル東急ホテル)で記者会見が行われ、かねてより全日本プロレス入りが噂されていた大相撲、二所ノ関部屋の最高位前頭筆頭だった天龍源一郎(本名・嶋田源一郎、当時26歳)の全日本プロレス入団記者会見が行われています。天龍は10月17日の新潟県燕市体育館大会から巡業に同行、馬場を初め、ベテラン勢からプロレスの手ほどきを受けています。

10月21日、福島県営体育館(観衆2,800人発表)ではアジア2大選手権試合が開催され、開幕戦の大宮でのノーコンテストで空位になっていたアジア・ヘビー級王座は王座決定戦で大木がWVエリックを2−1で降して王座返り咲き。

アジア・タッグ選手権試合は高千穂&クツワダ組のオーストラリア遠征コンビがジェリー&テッドのオーツ兄弟を2−1で破りベルト移動。高千穂&クツワダ組が新王者チームとなっています。

10月22日、愛知県体育館(テレビ収録、観衆3,200人発表)では鶴田試練の十番勝負第6戦がブッチャーを相手に行われ、1−1から鶴田が反則勝ちを拾い、2−1で十番勝負2勝目となり両眼が開きました。

10月24日、大阪・寝屋川市民体育館(テレビ収録、観衆3,700人満員発表)では馬場とブッチャーのPWFヘビー級選手権試合が行われ、馬場が2−1でブッチャーから2フォールを奪って32度目の防衛。春の「第4回チャンピオン・カーニバル」でブッチャーに優勝されて苦杯をなめた借りを返しました。

シリーズ最終戦10月28日、蔵前国技館(テレビ収録、観衆8,900人発表)では馬場&鶴田組が大木&ドク組とのインターナショナル・タッグ王座防衛戦。大木は交通事故の負傷癒えず、ドクはまだまだで馬場&鶴田組の防衛は確実と言われていましたが1−1から馬場&鶴田組が反則負けとなりPWFルールによりベルト移動、大木&ドク組が初挑戦で新王者チームとなる波乱が起きています。

またPWF本部預かりになっていたPWF認定USヘビー級王座決定戦はブッチャーが足4の字固めに来たところに火炎攻撃を浴びせて10分57秒、反則負けとなりデストロイヤーが王座返り咲きを果たしました。

新日本プロレスとの興行のニアミスは盛岡・岩手県営体育館が新日本が9月17日(猪木&木戸修組vsアンドレ・ザ・ジャイアント&ビル・ドロモ組)で3,000人、2週後の全日本9月30日が3,800人で全日本が800人差で上回りましたが、水増し発表の範囲内であり互角でしょう。

大阪は新日本の10月6日府立(猪木&ストロング小林組vsアンドレ&ブラックジャック・モース組)が6,600人、4日後の全日本10月10日万博記念公園が7,200人とどちらも満員となりました。600人差だけに水増し発表の範囲内でありこちらも互角。

同一会場で言えば全日本の9月9日府立がありますがここは直近の興行と比較すべきでしょう。全日本は大阪開催が多く、10月9日臨海、10月24日寝屋川はありますがキャパの違いあり。新日本プロレスは次期「闘魂シリーズ第2弾」11月19日に寝屋川市民体育館が入っており、そちらと比較することにします。

新日本の「闘魂シリーズ」、全日本の「ブラック・パワー・シリーズ」&「ジャイアント・シリーズ」で考えれば、愛知県体育館が9月3日新日本が6,000人、10月22日全日本が3,200人とダブルスコア近い数字で新日本の圧勝。

札幌中島スポーツセンターが8月26日の全日本が4,000人、9月24日の新日本が7,000人でこちら新日本が圧勝ています。

蔵前国技館はいずれも最終戦で新日本の10月7日、猪木vsアンドレが10,500人満員発表、3週後の全日本の10月28日は8,900人発表と1万人を切る発表で満員にはならず蔵前は新日本プロレスが勝ったと言えます。
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