【前回記事本文続き】
■新日プロの中の一匹狼
小林は昨年(74年)3月、東京・蔵前国技館でアントニオ猪木のNWF認定世界ヘビー級選手権に挑戦、壮絶な死闘を展開したが惜しくも猪木の原爆固めに屈した。
小林は敗れたが、その健闘は絶賛され、プロレス史に残る名勝負と言われた。小林は「アメリカで鍛えなおしてくる」とその年の5月に単身渡米、フロリダを皮切りにアメリカ・マット界のメインストリートといわれる東部地区を転戦。
昨年10月には檜舞台のマジソン・スクェア・ガーデンにも登場。アンドレ・ザ・ジャイアントと壮絶な闘い。さらにワシントンDCのキャピタル・アリーナ、フィラデルフィア・シティ・スポーツアリーナと二度に亘って人間発電所ブルーノ・サンマルチノと連続死闘。
堂々「MSGのメインイベンター」の実力を身につけて11月末に帰国。12月12日、再び猪木に挑んだ。
再度の猪木との大決戦も小林の健闘むなしく猪木の秘技卍固めに屈したが、小林の果敢な闘魂と猪木をあと一歩のところまで追いつめた実力は高く評価された。猪木・小林戦は1974年年間最高試合賞を受賞、本誌からもトロフィーを贈った。
今年に入って新春黄金シリーズから小林は新日本プロレスのマットに上がった。「内部から猪木さんを研究し、ワールド・リーグ戦に参加して死物狂いの勝負をしてみたい。」という小林の意思だった。
「よかろう」と小林の新日プロのマットヘの参加を許したアントニオ猪木の度量も大したものであった。
小林は新日プロのマットに上がったが「猪木さんとはタッグを組みたくない。」と意地を通し、自ら一匹狼であることを誇示するように新日プロ勢の真紅のトレーニング・シャツ(ユニホーム)の中でただ一人、ノーマークの青いトレーニング・シャツを着続け、新日プロの中でも「自我」と「孤独」を守り通した。
そして第2回ワールド・リーグ戦に参加した小林の活躍は目覚ましかった。初戦の坂口征二とは時間切れ引き分けだが、大木金太郎を破り、宿敵アントニオ猪木とは広島県立体育館で対戦、壮絶極まりない闘いで時間切れ引き分け。
キラー・カール・クラップに不覚の一敗を喫したが、堂々11勝1敗3引き分けで決勝トーナメントに進出。5月16日、東京・日大講堂で行われた決勝トーナメント第一試合で猪木と4度目の対戦。捨身の猛攻で猪木を苦しめ抜き、卍固めに惜しくも涙を飲んだことはファン先刻御承知のところだ。
■ビッグ3時代の到来!
猪木を追い続けて1年3か月ーだが、この1年3か月はストロング小林を大きく飛躍させた。
国際プロレス時代にもIWA世界チャンピオンとしてタイトル25回防衛の実績はあるが、フリーになって日本、アメリカのマットで闘い抜き、これだけの実績を残したということはストロング小林の実力が決して「国際プロレス」という枠の中のものではなかったということを満天下に立証した。
「フリーになって自分の力がどの程度のものか試してみたい。」といった小林の目的は堂々達成されたといえよう。
そして小林は自分の生涯の目標を発見、その目標達成の為にアントニオ猪木の懐…新日本プロレスヘ飛び込んだのだ。新日本プロレスは今や日本プロレス界のリーダーシップを完全に握って、飛躍発展を続けている。
観客動員数、テレビ視聴率、さらにはファンの熱っぽさ、リング上のファイトに対する観客の反応の大きさなど、あらゆるバロメーターで全日本プロレス、国際プロレスを上回っていることは衆目の認めるところだ。
しかも新日本プロレスの掲げる旗印は「ストロング・スタイルのプロレス」であり、総帥・猪木自ら陣頭に立って、ひとたびリング上に立てば盟友である坂口征二との死闘も辞さぬという徹底ぶりだ。
ストロング小林としては、まさに「働くところを得た」という感じだ。新日プロのメリットも大きい。この小林の参加で猪木、坂口の二枚看板に加えて今度は「ビッグ3」になった。
ストロング小林はよく間違えられるほど猪木と似ている。
これから猪木と小林が組むタッグチームは柔と剛の絶妙のコンビネーションで売り物になるだろうし、既に今年の1月から実績を積んで来ている坂口・小林のパワー・ファイター・コンビも益々、アピールすることになるだろう。
坂口も小林も“打倒・猪木“を目標に猪木の懐に飛び込んでいる。小林にとっては坂口も新たなライバルである。小林がこれから新日プロのマットでどんな暴れっぷりをみせるか…これまで以上に注目されよう。(この項了)
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