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2022年06月02日22:49

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ストロング小林さん追悼(147)

75年新日本プロレス「ゴールデン・ファイト・シリーズ」開幕戦、5月30日、後楽園ホール大会でストロング小林の新日本プロレス入団が発表されています。

今では既定路線として知られている話ですが、当時は一匹狼として自分を試してみたいと言っていたS小林がまた組織に所属することになった、というのは色々な見方がありました。

「別冊ゴング」75年7月号では、「なぜ小林はわずか1年3か月で一匹狼の看板をおろした」という見出しで2ページに亘り特集記事を掲載しています。そこから本人の談話も交えて引用してみたいと思います。

【イントロダクション】“打倒!猪木“−その目標に向かってひたすら打ち込んだ燃える男ストロング小林が一匹狼の看板を外し、さる5月30日付をもって正式に新日本プロレス入りした。自由な戦いを求めてフリーになった小林が、なぜ再び組織に戻っていってしまったのか…。

【本文】ストロング小林が新日本プロレス入りした。新日本プロレスでは5月30日、東京・後楽園ホールで小林が正式に新日本プロレスのメンバーになったことを発表した。

昨年(74年)2月、国際プロレスを飛び出し「フリーになって一匹狼として自分の力を試してみたい。」と宣言、ジャイアント馬場、アントニオ猪木に挑戦状を叩きつけたストロング小林だが、国際プロレスを飛び出してから1年3か月で一匹狼を捨て、再び組織の中に飛び込んだ。

小林はなぜ“一匹狼“を捨てたのだろうか?

「昨年、フリーになって馬場さんと猪木さんに挑戦状を出し、馬場さんは受けてくれなかったが、猪木さんは受けてくれた。そしてフリーになってからの今までの一年余は“打倒!猪木“の為だけに存在したと言っていいでしょう。ワールド・リーグ戦の試合も含めて、私は猪木さんと4度闘って3度負けた。(1引き分け)

しかし、“打倒!猪木“をあきらめた訳ではないんです。猪木さんとの闘いを通じて、私が肌で感じ取ったことは…猪木さんは、私がこれまで闘った全てのレスラーの中で最高の実力者だということです。

バーン・ガニアとも闘ったし、ビル・ロビンソン、ブルーノ・サンマルチノ、アンドレ・ザ・ジャイアント…そういう一流と言われる人達と比較しても猪木さんは上ですよ。

馬場さんとは闘えなかったが、僕が思うには猪木さんの実力は馬場さんより上だと思います。口はばったいですが一年間“打倒!猪木“に死物狂いの努力をした。そして、ついに勝てなかった。僕は自分の力を試す為にフリーになった。

猪木さんと闘って何度か勝てるチャンスがあった。猪木さんとの闘いで自分の力を見極めることが出来た。追いついたなと思ったら猪木さんはまた先へと行っている。

この時僕はハッキリ思ったんです。猪木というレスラーは僕の生涯の目標であると。“打倒!猪木“を捨てる訳じゃない。これからの僕のプロレスラーとしての生活は猪木というレスラーの全てを僕のモノにする。そして、いつかは闘って勝ってみせる。

その為には猪木さんに密着することだ。猪木さんの懐に飛び込むことだと思ったのです。この気持ちをわかってくれるかな。決して“打倒!猪木“を忘れた訳ではない。

毎年、ワールド・リーグ戦だってある。それに、猪木さんは必ず日本選手権大会を開催するだろう。その時は真っ先に日本選手権大会に参加して猪木さんにぶつかる。

その日の為にも僕は猪木さんの懐に深く飛び込んで、出来るだけ猪木さんというレスラーを研究しておきたいです。その為に新日本プロレスに入る決意をしたんです。」

(5月)30日、後楽園ホールでアンドレ・ザ・ジャイアントと壮絶な闘いをやってのけた後、ストロング小林は自宅への帰途、新宿の京王プラザホテルのレストランで美しい東京の夜の灯を見ながら、しみじみと心境を語ってくれた。

「肌で感じ取った」、「全てを僕のモノにする」、「密着する」、「懐に飛び込む」などS小林をよく知る人達には気になるワードもいくつか出て来ますが…。

いずれにしても軍門に降っての新日本プロレス入団だったことは間違いないところです。

(次回ヘ続く)
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