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2022年05月31日23:22

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ストロング小林さん追悼(145)

新日本プロレスの「第2回ワールド・リーグ戦」、全日本プロレスの「第3回チャンピオン・カーニバル」が春の祭典で真っ向勝負していた一方、マイナー団体化してしまったストロング小林の古巣である国際プロレスでも団体の大きな動きがありました。

75年2月2日、後楽園ホールでの「新春パイオニア・シリーズ」最終戦で「英国の流血王」ダニー・リンチを2−1で破りIWA世界ヘビー級王座3度目の防衛に成功したマイティ井上でしたが、次期「ダイナマイト・シリーズ」4月10日、足立区体育館で「狂犬」マッドドッグ・バションに2−1で敗れ王座転落。

シリーズ最終戦の4月19日、札幌中島スポーツセンターでラッシャー木村が金網デスマッチでバションに挑戦、7分25秒、逆エビ固めでバションをギブアップさせ、第11代IWA世界ヘビー級王者となりました。

R木村は途中1度の王座返上、3度に亘る王座転落はありましたが、81年8月の団体崩壊までエースとして国際プロレスの屋台骨を支える存在となりました。

また、前74年3月、凱旋帰国直前にカナダ・カルガリーのフリーウェイで交通事故に遭い、右足首切断の重傷を負ってレスラー生命を絶たれた大剛鉄之介はブッカーとして再起。カルガリーのスチュ・ハートのところでブッカーの勉強を始めました。

国際プロレスの吉原功社長は「大剛に生活の道筋をつけてやりたい」と大剛をブッカーに起用、第1弾としてカルガリーで活躍していた「流血大王」キラー・トーア・カマタを5月25日、栃木県烏山町体育館で開幕の「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」にエースとして初来日させることに。

これを聞いて国際プロレスの提携先であったAWAのオーナー、バーン・ガニアが激怒、「ウチを取るか、ジョー(大剛)を取るか、はっきりしろ!」と二者択一を迫りました。

全国ネットのTBSと違い、関東ローカルの東京12チャンネルでは入ってくる放映権料も低く、ガニアに対する法外なブッキング料を払えないと判断した吉原社長はAWAとの取引を解消。外国人ブッキングルートを大剛に一任することにしました。

結果的に外国人レスラーはR木村と手の合う流血ラフファイターが多くなりネームバリュー、質共に落ちていきました。

さてS小林は「第2回ワールド・リーグ戦」が終了すると、5月19日〜23日まで大木金太郎主催の韓国ツアーに参加しました。

S小林の他には星野勘太郎、山本小鉄が参加、また「第2回ワールド・リーグ戦」に初来日したスーパー・デストロイヤーが参戦。ツアー最終戦の5月23日、ソウル市奨忠体育館では大木の保持するインターナショナル王座防衛戦が決定していましたが、挑戦者が2転しています。

当初はSデストロイヤーが挑戦と発表。しかし5月3日、北九州市小倉区三萩野体育館でのワールド・リーグ戦公式戦で大木がS小林にフォール負けを喫したところから、急遽、ソウルでのインターナショナル王座防衛戦にS小林の名前が浮上。

「ゴング」75年7月号では、「5月23日、ソウルでS小林が大木のインター王座に挑戦」と2ページに亘って記事を掲載。5月3日、小倉大会終了後に勝ったS小林が「大木さんの怖いところは頭突きだけ」と発言したところから大木がこれに噛みつき「小林は何を偉そうに言ってるんだ。小倉での負けは小林がロープを掴んだせいだ。あれはレフェリーがブレイクしなければならない。俺はミスジャッジで負けた。何ならインターのベルトを賭けてソウルでやってやる」とアピール。

一転して大木のインターナショナル王座にS小林が挑戦と新日本プロレスから発表になりました。

しかし、当日になって挑戦者が元のSデストロイヤーに変更され、1本目は6分、2本目は7分、いずれも大木が体固めでフォール勝ち。2−0のストレート勝ちで大木が王座防衛に成功しています。挑戦者が再度変更された理由については発表されておらず不明のままですが、次の2点が考えられます。

�。咯�林の新日本プロレス正式入団発表が近づいており、ワールド・リーグ公式戦でS小林がフォール勝ちをしている。大木の地元の韓国ではS小林から星を返してもらわねばならず、正式入団発表前のS小林が大木に完敗しては商品価値が下がる。よって新日本プロレス側からストップがかかった。3月27日の同所での猪木戦は引き分けであり、猪木より格下であるS小林と大木が引き分けになるマッチメイクは、大木が飲まなかった。

��既にこの時、全日本プロレスから大木に引き抜きの声が掛かっており、S小林が新日本プロレスからの命令で何かを仕掛けてくる可能性もあり、最初の話通り安全パイであるSデストロイヤーに挑戦者を変更した。

のいずれか、あるいは両方かと思います。日本ではマスクを剥がされなかったSデストロイヤーでしたが、この試合でマスクを剥がされ、正体が初来日のネイル・グアイであることが明らかになりました。

大木vsSデストロイヤー戦を伝えた「別冊ゴング」75年7月号で、正体がグアイだったというレポートが掲載されていますが大木vsS小林戦中止の真相には触れていません。

S小林はこの日セミファイナルに出場。小鉄とタッグを組んで星野&千圭徳(チョン・ギ・ドク)組と45分3本勝負で対戦。2−1で星野&千圭徳組が勝っています。(スコア不明)

日本流に言えば日本でも「第2回ワールド・リーグ戦」で星野vs小鉄のヤマハ・ブラザーズ対決が行われたばかりであり、韓国でヤマハが敵味方に分かれた、となりますが、以前より在日韓国人である星野は呂建夫(ヨ・コンブ)としてファイトし、大人気を誇っていました。

よってS小林&小鉄組がヒールサイドに回り、地元の星野&千圭徳組に負けたというのが韓国での両チームの立ち位置になりました。

S小林が韓国遠征に行っている間、猪木と坂口征二はカナダ・ケベック州モントリオールに遠征。モントリオールのポール・サウべ・アリーナで猪木はタイガー・ジェット・シンの保持するNWF世界ヘビー級王座に2度目のリターンマッチを挑みました。

試合は60分3本勝負。1本目は7分18秒、猪木が逆さ押さえ込み、2本目は5分11秒、シンがコブラクローから体固め、決勝の3本目は3分47秒、猪木の反則勝ちとなり、ルールによりベルト移動はなし、シンがタイトル防衛に成功、猪木は敵陣で涙を飲みました。

坂口はこの時点では未来日だったブル・グレゴリーと30分1本勝負で対戦、6分1秒、アトミック・ドロップからの片エビ固めでフォール勝ちを収めました。


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