74年新日本プロレス「闘魂シリーズ」にアメリカWWWF地区でストロング小林のマネージャーであるフレッド・ブラッシーがWWWFルートで新日本プロレス初参戦となる「ロシアの白熊」ニコリ・ボルコフ(ベポ・モンゴル)のプレーイングマネージャーとして日本に遠征した為、ブラッシーの留守の間は"キャプテン"ルー・アルバーノが小林のマネージャーを務めることになりました。
「闘魂シリーズ」開幕戦、8月30日、後楽園ホール(テレビ生中継、観衆2,500人満員発表)の控室に韓国に帰っていた大木金太郎が姿を現し、猪木に挑戦を迫り乱闘騒ぎとなっています。
大木は猪木、馬場、坂口征二が相次いで去り、NETの放送も打ち切られ、瀕死となった日本プロレスの選手会長として最後まで日本プロレスを守ろうと決意、前73年4月13日、大阪府立体育会館から選手会の運営によりフリッツ・フォン・エリック、キラー・カール・クラップの「爪コンビ」を招聘し「アイアン・クロー・シリーズ」を開幕させていますが、力尽き、翌4月14日に力道山家(百田家)の仲介でその時に他の残党と共に馬場の全日本プロレスに吸収合併される形で合流を発表。
4月20日、群馬県吉井町体育館で最終興行を行い活動停止、6月30日、埼玉県行田市民体育館での「サマー・アクション」開幕戦から全日本プロレスに参戦。しかし馬場と折り合いが悪く、12月14日、日大講堂での「ジャイアント・シリーズ第2弾」最終戦を最後に韓国に帰り、74年の年明けからは沈黙を守っていました。
大木が公の場に姿を現したのは、3月7日、突如何の前触れもなく来日し「3月19日、蔵前国技館で行われる猪木vs小林のNWF世界ヘビー級選手権試合の勝者に挑戦したい」とアピール。
この時は一旦韓国に戻りましたが、日本の代理人を通して馬場と猪木に内容証明郵便で挑戦状を送付していました。これも新日本プロレスの仕掛けだとわかっていた馬場は案の定これを無視、大木は猪木挑戦に向けて行動を開始しました。
後楽園ホールの控室で乱闘となった大木がこれで諦めるはずもなく、9月10日、愛知県体育館(テレビ収録、観衆4,300人発表)に再び姿を現し、リングに上がるとリング上から挑戦状を読み上げました。
この日のメインイベントは8月に猪木&坂口組がロサンゼルスで獲得した北米タッグ王座の初防衛戦で、ボルコフ&シーク・オブ・シークス・バクダッド(チーフ・ホワイト・ウルフ、シーク・アドナン・アル・ケーシー)組の挑戦を受けました。挑戦者チームはマネージャーのブラッシーが巧みに介入しての反則プレイで日本組苦しめ、1本目は25分47秒、日本組の反則勝ち、2本目は3分27秒に猪木がバクダッドを体固め。反則含みながら2−0のストレート勝ちで初防衛を果たしています。
試合後、猪木は大木の挑戦を受諾、シリーズ最終戦の10月10日、蔵前国技館で両者によるNWF世界ヘビー級選手権試合を行うと発表しました。
当初、この日は3月21日、オハイオ州クリーブランドでNWF世界ヘビー級王座を賭けて対戦し、不透明決着に終わっているアーニー・ラッドが猪木に挑戦する予定でしたが、次期シリーズに延期されました。
話を小林のアメリカWWWF地区修行に戻したいと思います。小林の今回の修行の最大のビッグマッチと言えば、9月21日、ペンシルバニア州フィラデルフィア・スペクトラムアリーナでの「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノの保持するWWWFヘビー級王座への挑戦です。
サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦した日本人はこれまで64年2月17日、ニューヨークMSGでの馬場以来10年ぶり2人目。
館内は10,600人の大観衆で満員。小林はアルバーノに先導されての登場、早くも大ブーイングの嵐。アルバーノの嫌われっぷりも凄い。続いてサンマルチノがベルトを巻いて入場、上のコスチュームはなし。鍛え抜かれた丸太のようなナチュラルなボディがコスチュームそのもの。
観客は「ゴー、ゴー、ブルーノ!」の大合唱、試合開始のゴング。小林は先手を取り、アームロックからロープに詰めてのエルボースマッシュ、サンマルチノもニースタンプで反撃しボディスラム。
小林は体勢を整えてからサンマルチノの胸板にパンチを放ってから場外に落として、自分も追いかけていき場外で倒れたサンマルチノにニードロップの嵐。セコンドのアルバーノが「もっとやれ!」とけしかけていきました。
リング内での攻防、サンマルチノはベアハッグ。小林もベアハッグは得意とするところですが、こちらは世界レベルのベアハッグ。残念ながら、上腕二頭筋はサンマルチノの方が断然太いです。小林はもがき苦しみながらも強引に隙間から腕をこじ入れてベアハッグのお返し。
自分の得意とするベアハッグのお返しをされるとはサンマルチノは予想もしていなかったか、小林の絞め上げにガクッと腰が崩れました。まさに「サバ折り」です。両者もつれてロープへ、レフェリーはブレイクを命じましたが、離れ際、小林は反則の急所攻撃、下腹部を押さえて「反則だっ!」アピールするサンマルチノ、小林は両手を広げて「ボディへのキックだ」と受け流します。
館内の観客から罵声が飛び交う、小林はふてぶてしいヒールに成長していました。怒ったサンマルチノはパンチの連打、小林がのけぞったところ、サンマルチノは再度ベアハッグから一気にカナディアン・バックブリーカーに担ぎ上げました。足をバタつかせる小林、肩の上で小林が暴れた為、サンマルチノはバランスを崩しロープブレイク。小林はロープに救われました。
サンマルチノが勝負に出ました。ボディスラムの連発、小林がヨロヨロと立ち上がったところへバックドロップ気味に投げ捨てました。アルバーノが近寄ってきて劣勢の小林に何やらアドバイス、小林は下からサンマルチノのボディにパンチを放ってからまたも場外に落としました。
攻守逆転し今度は小林がサンマルチノが上がってきたところをボディスラムからカナディアン・バックブリーカー狙い。しかしこれはサンマルチノがプライドにかけて担がせない。腰を落として耐え、ベアハッグで反撃。ポジションが悪い。ロープ際、もつれて両者場外に転落。
アルバーノが椅子を持って「小林、これで殴れっ!」と指示、小林は椅子をアルバーノから受け取ってサンマルチノを殴りつける。この小林の反則暴走にリングサイドにいた観客30〜40人が「小林を止めろ!」乱闘に割って入るという事態に。そこは機転を効かせたサンマルチノがリング内に入り、上がってきた小林の持っていた椅子を奪い取って脳天を一撃。ダウンする小林。
なおもリング上で乱闘を繰り広げるサンマルチノと小林。エキサイトした観客がモノをリング内に投げ入れて収拾がつかない状態になり、レフェリーのディック・ホールは試合ストップのゴングを要請、34分50秒、レフェリーストップによる引き分けに終わっています。
というのが、日本の「月刊プロレス」、「別冊ゴング」74年11月号に掲載されている試合レポートを両誌から抜粋したもの。海外サイトのデータベースは小林の負けとなっています。私はサンマルチノと互角の引き分けというのは日本向けに作られたストーリーであり、小林は負けたと言うのが実際のところかも知れません。
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