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2022年04月15日08:30

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ストロング小林さん追悼(99)

74年ビンス・マクマホン・シニアの来日の際に決定したストロング小林のアメリカWWWF修行、小林がビンスに直談判したという説もありますが、本日記(95)に記載の3月19日、蔵前国技館での猪木とのNWF世界ヘビー級選手権試合の試合後の猪木のインタビューに、

―「小林が再度、挑戦したいと言って来たら?」

猪木「OKだ。だが、今すぐにではなく…アメリカあたりに行って鍛え直してからにして欲しいね。『小林よ、強くなってもう一度かかってこい!』そんな気持ちだね。」

とある通り既定路線でしょう。「アメリカで再修行して鍛え直して猪木に再挑戦」という、小林戦で2度稼ごうというプランはあったかと思います。国際プロレス時代はバーン・ガニアのAWA地区でファイトしメインイベンターとしての扱いを受けていた小林ですが、全米一のマーケット、ニューヨークを本拠とするWWWF地区でどのようなファイトを見せるか?

ビンス・シニアが2月に新日本プロレスにアンドレ・ザ・ジャイアントをブッキングしたということは馬場も刺激を受けていました。馬場は全日本プロレス旗揚げに際し参加外国人レスラーのブッキングルート開拓の為に渡米していますが、親友である当時は元WWWFヘビー級王者のブルーノ・サンマルチノ(73年12月10日、ニューヨークMSGでスタン・スタージャックを破り王座返り咲き)に協力を要請。

旗揚げシリーズに自らサンマルチノが来日、73年2月にも再来日し、旗揚げ戦の72年10月22日、日大講堂では1−1の引き分けに終わった馬場の(PWF)世界ヘビー級王座争覇戦の第1戦の再戦を2月15日、札幌中島スポーツセンターで時間無制限1本勝負で行い、25分32秒、馬場がアバランシュ・ホールド(雪崩固め)からの体固めで勝っています。

ビンス・シニアと新日本プロレスの提携は73年に遠藤幸吉の仲介で新日本プロレスの外国人ブッカーの1人となったロサンゼルスのマイク・ラーベル繋がりでしたが、猪木は「サマー・ビッグ・ファイト・シリーズ」を途中欠場してこの年の8月3日、ネバダ州ラスベガスで行われたNWA総会で加盟を申請しましたが、親馬場派のプロモーターが結託(馬場が現金を手渡ししていたと書いてある文献もある)、反対多数で加盟は却下されていました。

それだけにビンスと新日本プロレスの接近に関しては馬場は心中穏やかではなく、仲のいいサンマルチノ、WWWFの運営会社である「キャピタル・レスリング・コーポレーション」で共同オーナーとなっているやはり馬場と懇意のゴリラ・モンスーン(もう1人の共同オーナーはペンシルベニア州フィラデルフィアのプロモーター、フィル・ザコ)を通して愛弟子、ジャンボ鶴田の74年3〜4月におけるアメリカサーキットの際、MSGへの出場をコースに組み入れることに成功、4月1日、MSGに初登場した鶴田はジョニー・ロッズと対戦し、11分56秒、ダブルアーム・スープレックスからの体固めでフォール勝ちしています。

そして「第2回チャンピオン・カーニバル」の次期シリーズは「MSGシリーズ」を開催、元WWWFヘビー級王者ペドロ・モラレス、モンスーン、スパイロス・アリオン、ムース・モロウスキー(国際プロレスにスタン・ザ・ムース、ドクター・デスとして来日)、ケビン・サリバン、ミスター・フジ、ロッズ、エル・タピアの外国人選手を招聘、モロウスキーはカナダ・バンクーバー、サリバンはフロリダ、タピアはアマリロからのブッキングで全員WWWFのメンバーではありませんでしたが、豪華なメンバーを集めました。

シリーズ途中より特別参加のモラレスはビンス・マクマホン・シニア代表より贈呈されたという「MSG杯」という特大カップを持参(実際は日本で造られたもの)、5人の日本側選手と「MSG杯争奪戦」を行うと発表、サムソン・クツワダ、サンダー杉山、鶴田に勝ち、ザ・デストロイヤーとは両者リングアウト、シリーズ最終戦、6月13日、東京体育館(テレビ収録、観衆7,500人発表)では馬場のPWFヘビー級王座とモラレスのMSG杯を賭けた二冠戦となり、馬場が2−1で勝ってPWFヘビー級王座16度目の防衛をすると同時にMSG杯も獲得しています。

そして「MSGシリーズ」終了後に予定されていた馬場のアメリカサーキットにMSG登場が加わり6月24日には馬場が64年の2度目のアメリカ武者修行時代以来、実に10年ぶりにMSGに登場することが決定しています。

このあたりの馬場の一連の行動は明らかにビンス・シニアと猪木、新日本プロレスとの提携を牽制する目的でしょう。「WWWFとはウチも親密な関係にありますよ。」とアピールしてみせました。

しかし、この馬場の動きが小林のWWWF修行に影響を及ぼしました。既に書いた通り、小林が国際プロレスからの退団を決意した際、新日本プロレスの新間寿営業本部長と水面下で激しい獲得争奪戦を展開していたのが他ならぬ馬場。

建前は小林から挑戦状が内容証明郵便で送られてきたものの、「吉原社長と完全に切れていなかったことが確認出来たので現時点では挑戦は受けられない。」と友好関係にあった国際プロレスへの義理を通して「小林の挑戦は黙殺」しましたが、猪木戦実現に際し、大会主催者である東京スポーツ新聞社から1,000万円のトレードマネーが支払われ、(東スポは吉原社長に慰謝料的意味合いでさらに500万円上乗せして払ったという文献もあり)権利がクリアーになったことは知っており、「東スポが違約金を肩代わりしたことで余計な金を払わずに小林を獲得出来る」と考えました。

小林が6月からWWWFのサーキットに入れば、ほぼ間違いなく、6月24日のMSG定期戦で馬場と遭遇します。そうなるとそこで馬場に口説かれてしまう可能性が高い。小林はリングを降りれば人一倍優しく温和、気が弱く、全日本プロレス入りを電話で断った馬場に会ったら入団を口説かれると、新間に相談。

新間も「大切な商品である小林を馬場からの誘惑から守らなくてはならない」とビンス・シニアに打診したところ、ビンス・シニアからは親密関係にあるフロリダのプロモーター、エディ・グラハムを斡旋され、少しの間フロリダをサーキットしろと言う連絡がありました。

NWAの主要テリトリーで、当時のNWA世界ヘビー級王者、ジャック・ブリスコのホームリングであったフロリダですが、小林にはかつての師匠格だったヒロ・マツダもおり、仕事がし辛い場所ではありません。ただしほとぼりが冷めたら、WWWFのリングで試合をすることは決まっており素顔ではなく、ザ・デストロイヤーばりの白覆面を被った正体不明のマスクマン、コリアン・アサシンとしてフロリダをサーキットすることになりました。

ですが…海外情報の収集に関しては馬場が一枚もニ枚も上、フロリダでエディとCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロリダ)の共同オーナーであるマツダはこの時は馬場派。エディはこの年の2〜3月に息子のマイク・グラハムと一緒に全日本プロレスの「エキサイト・シリーズ」にマツダと共に参戦しており、馬場には小林のフロリダ入りは筒抜けでした。

馬場はMSGの後に、フロリダでの試合を入れて来たのです。

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