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2022年03月30日05:55

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ストロング小林さん追悼(83)

73年国際プロレス「第5回IWAワールド・シリーズ」9月27日、愛知県体育館(テレビ収録、観衆5,000人発表)大会メインイベントでは、3日前の9月24日、札幌中島スポーツセンター大会で反則負け防衛決着に終わったバーン・ガニアとストロング小林のAWA世界ヘビー級王座を賭けた再戦が行われています。

試合は61分1本勝負、レフェリーは札幌と同じ阿部脩。世界を制した切り札スリーパー・ホールドをレフェリーにチョークに取られ、怒りのガニアはスタートから、故意に小林の喉元にチョーク気味のスリーパーを入れ、反則カウント4で手を離すという作戦に出て若い小林を翻弄していきます。

ロープブレイクの時、離れ際に張り手を見舞い、小林を小馬鹿にしたような試合ぶり。怒った小林もベアハッグ、アトミック・ドロップで反撃していきましたが、ガニアはノラリクラリとかわしながら反則のチョークスリーパー攻撃を繰り返していきます。ガニアは小林のバックに回り、またもチョークスリーパー狙いに来るかと小林の注意が頭部にいった瞬間、小林の脇に頭を入れたガニアは足を持って担ぎ上げてのバックドロップからフォールの体制へ。

不意を突かれた小林は返すことが出来ず、21分11秒、体固めでフォール負け、ガニアがタイトル防衛に成功しています。試合後小林は「ガニアの懐が深かったということです。これからも精進して、もう一回挑戦したい」と敗戦の弁を語りましたが、これが最後のガニアへの挑戦になってしまうとは本人も思っていなかったことでしょう。

Aブロック公式戦、リーグ代表が見えてきたラッシャー木村とラーズ・アンダーソンの一戦は、試合前にアンダーソンから要求があり、急遽金網デスマッチに。(この試合のみ時間無制限1本勝負)アンダーソンがコーナーポストの金具を緩めてロープを外し、ロープを使って木村の首を絞め上げていきました。木村はこれを外し、逆にロープを使ってアンダーソンの首を絞めて体力を奪い、欧州遠征土産のダブルアーム・スープレックス一閃。

20分58秒、木村がカウントアウトでアンダーソンを破り、4戦4勝の4点、アンダーソンは5戦4勝1敗の4点となりました。

Bブロック公式戦、日本人同士のブロック頂上対決と言っていいグレート草津とマイティ井上の一戦は前半は井上が攻勢に出ましたが、草津も終盤に反撃に出てニークラッシャーから足4の字固めに井上を決めたところで30分時間切れ。審判団の協議の結果、井上が優勢勝ちを収めました。

観客席は決して納得のいった反応ではなかった様子で、プロレスの判定というのはやはり難しいと思います。井上は4戦2勝1敗1両リンの2点、草津はこれまでウイリアム・ホール、大磯武、グレッグ・ガニアに3連勝し初黒星ですので4戦3勝1敗で3点です。

Bブロック公式戦、デール・ルイスとホールの対戦は10分50秒、エビ固めでホールが勝利、同じくBブロック公式戦、アニマル浜口vsグレッグは15分8秒、体固めで浜口が勝ちました。

公式戦外の試合では、田中忠治&寺西勇組とブラックジャック・マリガン&ボブ・ブラッガーズ組は16分30秒、マリガンが寺西を体固め。ムース・ショーラックはミスター珍&栄勇組と1対2ハンディキャップマッチで対戦、11分10秒、栄を体固め。大磯はフリッキー・アルバーツを10分23秒、体固めで撃破しています。

9月28日、岐阜市民センター(観衆2,500人発表)大会。メインイベントは草津&寺西&浜口組とマリガン&Lアンダーソン&ブラッガーズ組の6人タッグマッチ。1本目は17分25秒、マリガンが浜口を片エビ固め、2本目は5分25秒、日本組の反則勝ち、決勝の3本目は3分17秒、浜口がブラッガーズを体固めに決めて2−1で草津&寺西&浜口組が勝利。

セミファイナルはAブロック公式戦、7月9日、大阪府立体育会館での初の日本人同門によるIWA世界ヘビー級選手権試合の再戦、小林と木村が2か月半という短いスパンで激突、20分50秒、小林が木村を体固めで破り返り討ちにしてみせました。小林は4戦3勝1敗の3点、木村が5戦4勝1敗の4点。

Bブロック公式戦、井上vsホールは18分35秒、体固めで井上がフォール勝ちを収め、浜口、草津の同門対決での勝利に次いで3連勝。

ルイスは大位山勝三を14分10秒、体固め、グレッグは栄を16分35秒、体固めでそれぞれ降し、ショーラックは田中&珍組と1対2ハンディキャップマッチで対戦、16分20秒、体固めで珍をフォールしています。

9月29日、岐阜県高山市体育館(観衆3,700人発表)で31歳という当時としては遅い年齢で若松市政がデビューしています。若松は1942年1月1日、北海道芦別町出身、中学卒業後、「頭で勝負」と電気技師の資格を取り電気技術者を務めた後に「身体で勝負」と港湾荷役作業者へ転職した後、72年に国際プロレスに社員として入社。資材部所属となり、会場に先乗りしてのリング運搬や会場設営の傍らトレーニングに励み念願のデビュー。

デビュー戦は大位山と対戦し5分30秒、片エビ固めで敗れています。若松は格闘技経験がある訳でもなく、資材部での仕事の他にもレフェリーを務めたり一人で三役も四役もこなす貴重な人材でしたが、国際プロレス崩壊後の84年、新日本プロレスのリングで、ストロング・マシン軍団のマネージャーとしてブレイク、テレビ朝日の「ワールドプロレスリング」金曜午後8時に毎週登場し知名度は全国区になりました。

90年に設立されたSWSでは「道場・激」の道場主となり、見事な出世ぶり。現在も自身のYou Tubeチャンネルを解説。当時、若松が80歳を過ぎてもプロレス界と関わっていると予想した人はおそらく皆無でしょう。
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