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2022年03月16日07:54

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ストロング小林さん追悼(69)

72年国際プロレス「ビッグ・ウィンター・シリーズ」終盤戦、猛威を振るったディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組の「ブル・クラ」が帰国して残り3大会、2日間のオフを経て、12月3日はストロング小林の地元・青梅に近い福生市営球場(おそらく移動体育館を使用、観衆3,500人満員発表)大会。

小林はメインに出場、グレート草津とのタッグでレッド・バスチェン&デニス・スタンプ組と対戦、1本目は20分3秒、小林がスタンプを逆エビ固め、2本目は4分55秒、バスチェンが小林を体固め、決勝の3本目は2分45秒、小林がバスチェンを体固めに決めて小林が地元で2本取る大活躍を見せて2−1で小林&草津組が勝利を飾りました。

セミファイナルはマイティ井上とマリオ・ミラノのシングルマッチ45分3本勝負、1本目は15分12秒、両者リングアウト、決勝の2本目は3分55秒、井上が回転エビ固めでミラノからフォール勝ち。2−1で井上が勝っています。

田中忠治&大剛鉄之介組vsホセ・アローヨ&ダイドーネ・ムッソリーニ組は22分42秒、大剛がムッソリーニを回転エビ固め。寺西勇はブル・バリンスキーを12分53秒、体固めで降しました。

12月7日、神奈川県川崎市体育館(テレビ収録、観衆3,000人発表)大会、この年最後のテレビマッチ。メインイベント(最終試合)は草津とバスチェンが金網デスマッチで対戦、22分18秒足4の字固めでギブアップ勝ちを収めています。

セミファイナル(実質メイン)は小林&井上&田中組がトリオを結成、ミラノ&アローヨ&バリンスキー組と対戦、1本目は12分24秒、バリンスキーが田中を体固め、2本目は4分45秒、小林がバリンスキーを体固め、決勝の3本目は7分31秒、井上がミラノを体固めに決めて2−1で小林&井上&田中組が快勝しています。6月に草津と共に凱旋帰国を果たしたベテラン田中でしたが、ポジションは帰国前より下がり、小林、草津、井上をサポートする立場になりました。また、若手のコーチも兼任しています。

寺西はムッソリーニとシングルマッチで対戦、11分16秒、回転エビ固めでフォール勝ちを収めました。

シリーズ最終戦、今年度ラスト興行は12月8日、埼玉県熊谷市民体育館(観衆3,000人発表)大会。メインイベントは小林&草津組がバスチェン&ミラノ組と対戦、1本目は15分7秒、両チームリングアウトの引き分け、決勝の2本目は8分2秒、草津がミラノをアバラ折り(コブラツイスト)でギブアップさせて2−1で小林&草津組の快勝。小林はIWA世界ヘビー級、同世界タッグ王座の二冠王者、さらには春の「第4回IWAワールド・シリーズ」優勝と、国際プロレス不動のエースとして1年を締め括りました。

小林の地元に近い福生と熊谷ではIWA世界タッグ王者チームの小林&草津組がメインイベントに出ていますから、非公式のタイトルマッチが行わている可能性はあると思います。

ミラノは国際プロレスには初登場でしたが、68年5月に日本プロレスに初来日、同年6月17日、仙台・宮城県スポーツセンターでカリプス・ハリケーンと組んで馬場&猪木組のインターナショナル・タッグ王座(2−1で敗戦)。また前71年12月暮れから72年2月にかけて開催された、日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」に来日したばかりでしたが、国際プロレスではタイトル挑戦の機会もなく、本領発揮には至りませんでした。

この後、75年1月にはマスクマン、ザ・バラクーダに変身して全日本プロレスに登場、以後は全日本のレギュラーになっていきます。結局、バスチェン、ミラノ、ブル・クラの4人いずれも後年全日本プロレスに来日することになり、馬場は国際プロレスの外国人レスラーを多数引き抜くことになる訳です。

セミファイナル井上とバリンスキーのシングルマッチ45分3本勝負、1本目は15分15秒、エビ固め、2本目は2分12秒、回転エビ固めで井上が連取、2−0のストレート勝ちとなりました。このシリーズ凱旋帰国した井上は、今までの国際プロレスのメインイベンター級にはいない空中殺法を駆使した華麗なマット捌きで国際マットに新風を吹き込みました。当時まだ23歳であり、先の期待が大きく持てるレスラーに成長しています。

バリンスキーは70年1月にカナダルートでバッドボーイ・シールドとして初来日した際は小林のUSAヘビー級王座に挑戦、シリーズ後半に特別参加したバーン・ガニアに取り入り、AWAと契約、バリンスキーに改名しましたが、今回は中堅どころにもコロコロ負けて精彩を欠きました。

田中&寺西組とアローヨ&ムッソリーニ組は15分26秒、田中がアローヨをアバラ折り(コブラツイスト)でギブアップさせて田中&寺西組の勝利。寺西はこの年メインイベンターとなり、モンスター・ロシモフ、ビル・ロビンソンからタッグながら1本取るという殊勲の星を挙げました。海外遠征は本人が単身赴任を好まず、家族と離れて暮らすことが出来ないからと話があっても断り続けていたそうです。

全日本プロレスとの協調路線は続き、旗揚げ第2弾シリーズとなる「ジャイアント・シリーズ第2弾」(12月2日足立区体育館〜21日後楽園ホール)に国際プロレスからデビル紫、本郷篤、米村勉の3選手が参加、本郷は付き人を務めていた草津の酒癖の悪さに辟易させられており、年末に全日本プロレスへの参戦を契機に吉原功社長に国際プロレスを退団、全日本プロレスへの移籍を申出。馬場と吉原の会談で本郷の移籍が認められ、本郷はリングネームを「肥後宗典」に改めて翌73年から全日本プロレスの所属となりました。

韓国・金一道場からの留学生、羮成英(南海山)、呉均銭(呉大均)、梁鎮五の3人とスウェーデンからの留学生、ヤーン・ヘルマンソンは年内一杯で帰国。

また紫はシリーズ終了後、テネシー地区へと海外武者修行に出発しています。リング外の話題としては12月12日、草津が71年夏の海外遠征前に婚約を発表した芦屋令嬢の森山智子さんと千代田区紀尾井町のホテルニューオータニで挙式。

国際プロレスの事務所が渋谷区渋谷2丁目の三貴ビルから新宿区高田馬場2丁目の原田ビルへ移転。三貴ビルの地下に借りていた道場は埼玉県の大宮市に新しく建てられた道場兼合宿所に移転が決定しました。
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