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2022年02月05日07:32

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ストロング小林さん追悼(30)

70年代はストロング小林さんがプロレスラーとして最も輝いていた全盛期の10年間だったと言っても過言ではないでしょうか。

70年代の幕開けを飾る国際プロレス「新春チャレンジ・シリーズ」は1月3日、岡山県営体育館で開幕、モンスター・ロシモフ、マイケル・ネイダー、バッドボーイ・シールド、カシモド、エンリケ・エドがシリーズ全戦参加、2月3日、広島県立体育館からは「AWA世界戦シリーズ」として前69年夏に業務提携を締結したAWAから、AWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアが特別参加。

後に世界の大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントとなるロシモフが記念すべき初来日、ロシモフは前69年5月18日、フランス・パリのエリーゼ・モンマルトルで行われた初代IWA世界タッグ王座決定戦にイワン・ストロゴフと組んで出場し、豊登&小林組と対戦して敗れていますが、豊登が「馬場よりデカい男がいる」と吉原功社長に紹介。

吉原社長はロシモフのブッキング窓口であるエドに「直ぐに呼びたい」と交渉をしたところ、エドは「やつはキャリアが浅く(試合運びが)まだまだデクの坊だから」と乗り気ではありませんでした。しかし吉原社長は「馬場より大きいというだけで客が呼べる」と押し切り、招聘にこぎつけたものです。エドはロシモフのマネージャー的存在で一緒に来日しました。

フランスではただの「ロシモフ」でしたが「モンスター」という名前は国際プロレスのフロントで付けたリングネームでした。46年5月19日、フランスのパリ出身、スペインのカンタブリア山脈で木こりをしていたところをエドにスカウトされてプロレス入りしたという触れ込みになっていましたが、実際はパリの家具会社で家具の運搬の仕事をしていたところをエドワード・カーペンティアにその素質を見込まれてプロレス入りしたという説が一般的です。初来日時で身長218cm、体重は150kg。まだ線が細かったです。

1月3日、岡山県営体育館での昼興行(午後2時試合開始)開幕戦(テレビ収録、観衆3,500人満員発表)。メインイベントは小林とネイダーのノンタイトル戦シングルマッチ60分3本勝負。両者は68〜69年にかけての小林の欧州遠征で何回も対戦し、手の内は互いに知り尽くしています。1本目は9分12秒、ネイダーが逆エビ固め、2本目は2分49秒、小林がブロックバスターから体固め、3本目は9分59秒に小林が背骨折りでネイダーをギブアップさせ、2−1で小林が新年初勝利を飾りました。

ネイダーはミッシェル・ナドールとして81年7月にローラン・ボックと一緒に新日本プロレスに来日していますがこの時はピークを過ぎていました。

ロシモフの初来日第1戦は身長165cmの「ノートルダムのせむし男」背中にコブのある怪奇派カシモドとの凸凹コンビでサンダー杉山&田中忠治組と対戦、1本目は16分19秒、カシモドが杉山を体固め、2本目は3分41秒、杉山がカシモドを体固め、決勝の3本目は3分57秒、ロシモフが田中を首吊り(ネックハンギング)でギブアップさせ2−1でロシモフ&カシモド組の勝利。

2度目の来日となるエドは大磯武とシングルマッチで対戦、16分58秒に反則負け。シールドはマイティ井上を15分3秒、体固めで破りました。

豊登は体調不良の為開幕戦から試合を休んでおりグレート草津はアメリカに短期の遠征中でした。トリニダードトバゴ出身のプロレス留学生、黒潮太郎(本名・テディ・ハーバード)が開幕戦でデビュー、大剛鉄之介とシングルマッチで対戦、15分27秒、足取り固めで勝っています。

また、若手の浜口平吾はミスター浜口に改名、「ミスター」はおそらくボディビルダー出身の浜口に合わせたボディビルの「ミスター○○」に因んだものでしょう。藤井三吉(藤井康行、東助)はリングネームを「零戦隼人」に変えました。

シリーズオフの1月9日、開幕戦から欠場していた豊登が「体力の限界」を理由に引退を発表。豊登は38歳と当時の日本人レスラーとしては年齢的には上の部類に入りましたがまだまだ出来る年齢で、先の「IWAワールド・タッグ挑戦シリーズ」では衰えを感じさせない怪力ぶりを発揮していました。

「体力の限界」は表向きの理由で豊登は従来からのギャンブル依存症で、吉原社長とは前69年夏頃から不仲が表面化しており、日本プロレスとは違ってお金のない会社である国際プロレスに対してもギャラの前借りがエスカレート。800万円の借金を作ってしまい、吉原社長もこれ以上は我慢ならないと日本プロレス同様、実質的には解雇処分でした。

1月13日、鹿児島県立体育館(テレビ収録、観衆5,500人満員発表)大会。メインイベントは小林のUSAヘビー級王座に初来日のシールドが挑戦、1本目は8分17秒、小林が体固め、2本目は1分40秒、シールドが体固め、決勝の3本目は6分2秒、小林が体固めで取り、2−1で小林が2度目のタイトル防衛に成功。

セミファイナルは杉山&田中&大磯組とロシモフ&ネイダー&カシモド組の6人タッグマッチ。1本目は16分4秒、ネイダーが杉山を体固め、2本目は3分59秒、杉山がネイダーを体固め、決勝の3本目は45分時間切れとなり1−1の引き分け。大剛は17分41秒、エドを体固めで降しています。

1月14日、プロレスはTBS系列独占となっていた大分市民会館(テレビ生中継、観衆6,500人超満員発表)では、小林とロシモフがノンタイトルの60分3本勝負でシングル初対戦しています。

1本目は11分36秒、ロシモフが体固め、2本目は4分45秒、小林が逆エビ固めでロシモフをギブアップさせました。決勝の3本目は4分23秒、小林の反則勝ちとなり2−1で小林が勝ちましたが完全決着には至らず。

セミファイナルは寺西勇が抜擢され、田中と組んでネイダー&エド組と45分3本勝負で対戦。1本目は10分18秒、寺西がエドをエビ固め、2本目は7分52秒、田中がエドを体固め。非力なエドから2本取って田中&寺西組が2−0のストレート勝ち。

セミ前は杉山が若手で頭角を現して来たマイティ井上とのタッグでシールド&カシモド組と対戦、1本目は10分32秒、カシモドが井上を体固め、2本目は2分22秒、井上がカシモドをエビ固め、決勝の3本目は3分43秒に両チームリングアウトとなり1−1の引き分けに終わりました。

豊登の引退で日本人選手層が手薄になった為、アメリカ遠征に行っていた草津が呼び戻され、1月18日、福岡九電記念体育館(テレビ収録、観衆5,000人超満員発表)では空位となったIWA世界タッグ王座決定戦が行われました。

豊登のパートナーだった小林は王座決定戦には出場せず、日本代表の草津&杉山組がヨーロッパ代表のロシモフ&ネイダー組と対戦、1本目は15分9秒、杉山がロシモフを体固め、2本目は9分8秒、ロシモフが杉山を体固め、決勝の3本目はロシモフの攻撃で戦闘不能になった杉山がレフェリーストップ負け(試合時間なし)となり2−1でロシモフ&ネイダー組が勝利。第2代王者チームとなっています。

小林はセミファイナルでカシモドと対戦、1本目は10分9秒、体固め、2本目は2分51秒、逆エビ固めで小林が2−0のストレート勝ちを収めました。田中とシールドのシングルマッチは8分46秒、体固めでシールドのフォール勝ち。

1月25日、埼玉県飯能市体育館(観衆3,500人発表)大会のメインイベントでは小林とロシモフが、大分大会の再戦を行っています。1本目は32分12秒、ロシモフが体固め、2本目は2分59秒、小林が体固め、決勝の3本目は3分29秒、両者リングアウトとなり1−1の引き分けに終わりました。

セミファイナルは草津&杉山&田中組vsネイダー&シールド&カシモド組の6人タッグマッチ、1本目は24分37秒、杉山がシールドを体固め、2本目は5分37秒、ネイダーが田中を体固め、決勝の3本目は1分35秒、田中がカシモドを体固めに降して2−1で日本組が勝利を飾っています。
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