初代IWA世界ヘビー級王者となった「人間風車」ビル・ロビンソンは国際プロレスと契約を結び、「反則をしない正義の外国人エース」としてベビーフェイスとして日本側に加わり、レギュラー参戦することになりました。これも日本陣営の戦力不足、魅力不足の裏返しと言っていいですが…。
これまで力道山時代から外国人レスラーと言えば反則をするヒールが大多数を占めており、ロビンソンの存在は日本のファンにとっては貴重でした。ロビンソンは夫人と共に港区青山のマンションを借りて居住、国際プロレスをホームリングとしています。
TBS体制となって2年目となった69年は、前年の教訓を活かして国際プロレスは九州からシリーズを開幕させ、日本プロレスとのバッティングを避けました。
1月1日には宮崎県営体育館で日本初の元日興行を開催、元日興行と言えば82年の新日本プロレス、後楽園ホール大会(猪木vsローラン・ボック、ボブ・バックランドvs藤波辰巳WWFヘビー級選手権試合、飛龍十番勝負第1戦、タイガーマスクvsダイナマイト・キッドWWFジュニア・ヘビー級王座決定戦他)が有名ですが、国際プロレスはその13年も前に元日興行を開催していました。
宮崎大会でロビンソンはグレート草津を相手に2−1で勝利しIWA世界ヘビー級王座を初防衛。1月28日、足立区体育館ではチーフ・ホワイト・ウルフ(シーク・オブ・シークス・バクダッドとして74年に新日本プロレスに来日、AWAではシーク・アドナン・アル・ケーシーというアラビアン・ギミックに変身して活躍)を2−1で破り2度目の防衛。
4月22日、大田区体育館でスタン・スタージャックに2−1で勝って3度目の防衛、5月5日、新潟市体育館では木村政雄改めラッシャー木村と時間無制限1本勝負で対戦、10分42秒、スープレックスからの体固めでフォール勝ちし、4度目の防衛に成功した後、半年足らずでイギリスに帰国してしまいました。帰国の一番の要因は夫人が日本での生活に馴染めず、極度のホームシックにかかってしまったことによるものでした。
話を小林省三の欧州遠征に戻します。69年5月18日、フランス・パリのエリーゼ・モンマルトルにおいて小林は日本からやって来た豊登と組んでロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)&イワン・ストロゴフ組と初代IWA世界タッグ王座戦を行いました。
1本目は15分10秒、ロシモフが小林を体固め、2本目は5分30秒、豊登がストロゴフを逆片エビ固め、決勝の3本目は2分、小林がストロゴフを体固め、2−1で豊登&小林組が勝ち、初代IWA世界タッグ王者チームとなりました。小林のレスラー人生初の王座戴冠でした。
この試合はマスコミ発表では初代IWA世界タッグ王座決定トーナメントの優勝決定戦となっており、トーナメント決勝には豊登&小林組とロシモフ&ロジャー・デラポルト(IWA会長でパリのプロモーターながら現役のプロレスラー)組が残りましたが、デラポルトが負傷し、ストロゴフが代打に指名され、小林&豊登が勝った、というのが「正史」となっていますが、小林は前日まで西ドイツで試合をしており、何日間かかけて行うトーナメントに参加は不可能。
ワンナイトトーナメントにせよ他の試合の記録が残っておらず、やはりワンマッチによる王座決定戦だと思われます。
翌日、小林は西ドイツに戻り、ケルン・トーナメントに参加。以下はケルンでの試合記録です。
5月19日、●ジェフ・ポーツ(反則負け)
5月20日、△ホースト・ホフマン(時間切れ)
5月21日、△ヘルマン・レファンド(時間切れ)
5月22日、○豊登&小林組vsギディオン・ギダ&ジル・ボワニー組
5月23日、○ピーター・カイザー
5月24日、△ギダ(時間切れ)
5月26日、スコットランド・ハミルトン ○パット・ローチ(カウントアウト)
5月26日、西ドイツ・ケルン ○ギダ&小林組vsジーン・ルイス・ブレストン&ボワニー組
5月27日、○ホフマン
5月28日、△ブレストン(時間切れ)
5月29日、○ハンス・ロックス
5月30日、○ボワニー
5月31日、○マイケル・ネイダー
6月1日、○ギダ
6月2日、●ブレストン
6月4日、●レファンド
ケルンでのサーキットは終了、IWA世界タッグ王者となった小林は6月の終わりに8か月ぶりに凱旋帰国が決定、帰国前最後の仕上げとして同じ西ドイツのクレーフェルト・トーナメントのツアーに入りました。
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