68年4月、国際プロレスの救世主となるイギリス人レスラー、ヨーロッパ・ヘビー級王者ビル・ロビンソンが初来日。4月3日、横浜スカイホール(テレビ生中継、観衆2,000人発表)で開幕した「日欧チャンピオン決戦シリーズ」にはロビンソンの他、英国西部ヘビー級王者トニー・チャールス(前シリーズより残留)、ジョン・リーズ、バリー・ダグラス、ジョニー・イーグルス、コーリン・ジョイソンの外国人選手が参戦。
開幕前にマスコミに向けた公開練習でロビンソンはリバース・フルネルソンの体制からブリッジを効かせて後方へ投げるスープレックス(ダブルアームという名称は当時はつけられていなかった)を披露。当時、創刊したばかりの専門誌「ゴング」の竹内宏介記者がロビンソンに「人間風車」という異名をつけ、まさにピッタリなネーミングでした。(創刊当時のゴングの主筆は東京スポーツ新聞社の桜井康雄氏が複数のペンネームを使い分けて担当しており、竹内氏とは年齢の離れた兄弟みたいな間柄、実際には桜井氏と竹内氏の合作アイデアと思料)
開幕戦でロビンソンはセミ前に登場、木村政雄(ラッシャー)と30分1本勝負で対戦、7分37秒、スープレックスからの体固めで快勝しています。
開幕戦のメインイベントは豊登&サンダー杉山&田中忠治組がチャールス&ダグラス&リーズ組と対戦。1本目は10分54秒、チャールスが田中を得意のドロップキック3連発から体固め、2本目は5分47秒田中がドロップキックのお返しから体固め。決勝の3本目は両チームリングアウト(タイム不明)で1−1の引き分けとなっています。(時間切れ引き分けの文献もあり)
軽量級の田中は体格、スピードで欧州勢とはスイングし、先シリーズから頻繁にメインイベントに登場することになります。
小林は先のシリーズ、3月20日、大田区体育館で初タッグを組んだグレート草津とタッグを結成、イーグルス&ジョイソン組と30分時間切れ引き分け。
4月7日、兵庫県手柄山厚生会館(観衆2,000人発表)で草津がチャールスの英国西部ヘビー級王座に挑戦、1本目は12分15秒、チャールスがフライング・ヘッドバットから体固め、2本目は6分11秒、草津がドロップキックから体固め、3本目はエキサイトしたチャールスがレフェリーに暴行し反則負けとなり、ベルト移動はなし。
セミファイナルは豊登&杉山&木村組が2−1でロビンソン&リーズ&ジョイソン組を撃破、小林はマンモス鈴木と20分時間切れ引き分けに終わりました。
翌4月8日、山口県岩国市体育館(テレビ収録、観衆3,000人発表)は録画中継(10日放送)。国際プロレスは団体初の「2大タイトルマッチ」を開催しています。
当日はダブル・メインイベントとして行われ、ロビンソンのヨーロッパ・ヘビー級王座には杉山が挑戦、1本目は11分9秒、ロビンソンが体固め、2本目は2分45秒,杉山が体固め、決勝の3本目は5分54秒に両者リングアウトとなり1−1でロビンソンがタイトルを防衛。
前日の再戦となるチャールスの英国西部ヘビー級王座に草津が連日の挑戦、1本目は12分15秒、草津が回転エビ固め、2本目は5分35秒、チャールスがニードロップから体固め、3本目は2分20秒、草津がバックドロップホールド気味の原爆固め、2−1でベルト移動。草津が新王者となっています。
この英国西部ヘビー級王座というのも出土がはっきりしていないベルトで、チャールスは先の「日欧決戦シリーズ」から残留していますが、この時はタイトル防衛戦をやっておらず、急造タイトルではなかったかと思います。
ただ「英国西部ヘビー級王座は実在した」という文献もあり、これはアメリカにおいてUS王座やノースアメリカン王座が多数存在するのと同じ理屈でしょう。
1月3日、日大講堂でのTBS体制初戦でルー・テーズのTWWA世界ヘビー級王座に挑み、惨敗を喫した草津がローカルタイトルとは言え、国際プロレスでは最初のシングル王者となりました。
TBSから「スター候補」と期待されていたにも関わらず潰され、豊登&杉山組が先にTWWA世界タッグ王者になっており、草津を不憫に思った吉原功社長の温情だったかと思います。
小林はこの日ダグラスと20分時間切れ引き分け。井上末雄(マイティ)がこの日から井上円蔵に改名、後に全日本プロレスまで長い付き合いとなる先輩の寺西勇に敗れています。
他、新人の村崎昭男(デビル紫)が村崎鬼吉に、藤井康行(ヤス・フジイ)が藤井東助に改名、このあたりのネーミングセンスは、日本プロレス時代に上田馬之助、林牛之助(ミスター林)、大熊熊五郎(元司)、高崎山三吉、猿吉(北沢幹之=魁勝司)など付けた豊登が名付け親でしょう。
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