87年「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」参加外国人選手プロフィールの続きです。
「カンザスの山猫」ジェリー・オーツもトミー・リッチ同様久々の参戦、83年7〜8月の「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�掘廾瞥茖廓�7か月ぶりの来日。45年ジョージア州コロンバス出身の42歳の大ベテラン。
72年1月、国際プロレスの「新春パイオニア・シリーズ」にジェリー・オーティス表記で初来日、全日本プロレスには76年9〜10月の「ジャイアント・シリーズ」に実弟テッドとのオーツ・ブラザーズとして初参戦し、10月2日、後楽園ホールではグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビを破りアジア・タッグ王座を獲得。(10月21日、福島市体育館で高千穂明久&サムソン・クツワダ組に敗れ転落)テッドがセミリタイア状態となってからはシングルプレーヤーとして活躍。
81年7〜8月の国際プロレス最後のシリーズとなった「ビッグ・サマー・シリーズ」に約5年ぶりに来日、8月8日、北海道・根室市青少年体育センターではテリー・ギブスと組んで阿修羅・原&マイティ井上組のIWA世界タッグ王座に金網デスマッチで挑んでいますが敗戦。国際プロレス崩壊後は82年7月、翌83年7月と連続して全日本プロレスに来ていますが、来日が途絶えていました。中堅選手としては実力者。今回はタイトル挑戦の機会はありませんが、原、M井上、大熊、高千穂(ザ・グレート・カブキ)ら因縁の相手もおり、また国際血盟軍との共闘があるかも楽しみです。
3月28日、後楽園ホールの開幕戦〜4月10日、日岡山県笠岡シーサイド・モール大会まで特別参加が「プエルトリコの帝王」カルロス・コロン。コロンも久々の来日で79年8〜9月の「ブラック・パワー・シリーズ」以来実に7年半ぶりの来日となりました。
48年プエルトリコ出身、71年7月、国際プロレスにインディアンギミックのチーフ・ブラック・イーグルのリングネームで初来日。(余談ですが79年1月にも国際に同名のチーフ・ブラック・イーグルが来ていますがこちらは別人)、73年にゴリラ・モンスーン、ビクター・ジョビカらと共に地元プエルトリコでプロモーター活動を開始、WWC(ワールド・レスリング・カウンセル)のオーナー兼トップレスラーとなります。
76年2月に国際プロレスにカルロス・コーランの表記で再来日し、この時は2番手扱い、3月13日に茨城県境町民体育館ではキラー・トーア・カマタと組んでグレート草津&M井上組のIWA世界タッグ王座に挑戦も2−1で敗れています。プロモーターとしても国際プロレスに選手をブッキングしていましたが、NWA加盟を機に78年から日本でのビジネスパートナーを全日本プロレスに鞍替え。
79年8月の来日ではアブドーラ・ザ・ブッチャー、ボボ・ブラジルと「黒い軍団」を結成、8月24日、帯広市総合体育館ではブラジルと組んで小鹿&大熊組のアジア・タッグ王座に挑戦し引き分け。8月31日、大阪府立体育会館ではこのシリーズ日本陣営で闘っていたミル・マスカラスとシングルマッチで対戦し反則負け。
NWAの中でも徐々に発言力を強め、82年にはプエルトリコのサンファンにNWA総会を招致、84年には第2副会長に就任しています。今回は全日本プロレスとのパイプをより強固なものにする為の来日でしょう。
3月28日、後楽園ホールでのシリーズ開幕戦に会場に現れたのは谷津嘉章、永源遙、栗栖正伸、仲野信市、笹崎伸司(笹崎は結局、長州と行動を共にする)の5人。
長州力、小林邦昭、寺西勇、保永昇男、新人の佐々木健介、それにジャパンプロレスのルートで全日本プロレスに参戦していたスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤のカルガリー・ハリケーンズがジャパンプロレスの事務所に籠ったまま会場には現れず試合をボイコットしています。
中立派だったアニマル浜口も会場には現れず…。
同日午後6時より後楽園ホールで来日していたロード・ブレアースPWF会長が記者会見を行い、シリーズを欠場した長州力のPWFヘビー級王座を剥奪、このシリーズ中にドリー・ファンク・ジュニアとスタン・ハンセンで王座決定戦を行うと発表しました。
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