第131戦 4月15日発売号○猪木、ブルーザー・ブロディ決戦3日前の公開スパーリング(85年新日本プロレス後楽園ホール)【参考】2015年4月15日発売号は史上初の三冠王座統一戦、PWFヘビー級、UNヘビー級、インターナショナル・ヘビー級三冠選手権試合、(PWF&UN王者)天龍源一郎vs(インターナショナル王者)ブルーザー・ブロディ(88年全日本プロレス大阪府立体育会館)
【解説】3月18日(猪木vsジョニー・パワーズ)、4月1日(タイガーマスクvsスティーブ・ライト)に次いで1週おきに正解を当てるという好調さ。
ブロディは全日本プロレス「激闘!エキサイティング・ウォーズ」最終戦、85年3月14日、愛知県体育館でのセミファイナル、馬場&鶴田&天龍組vsブロディ&ラッシャー木村&鶴見五郎組の6人タッグマッチで試合中に控室ヘ帰ってしまい、全日本プロレスとの訣別を決めました。
一旦は帰国したブロディですが、3月19日夜のテレビ朝日「ニュースステーション」で新日本プロレス移籍が報じられています。報道局と連携して「外電」として電撃的に移籍を報じたのはテレ朝、新日本プロレスがいかにブロディを特別扱いしていたかが伺えます。
2日後の3月21日、後楽園ホールで行われた新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾」最終戦は「ブロディが現れるかも知れない」ということで2,515人(超満員)発表の観客が詰めかけました。
メインイベントの猪木vsハックソー・ヒギンズ戦の試合前、突如南側客席にスポットライトが当てられると最後列にスーツ姿で片手にチェーン、片手に花束を持ったブロディが現れ「運命」のテーマ曲に乗って客席を通ってリングに登場、猪木と激しい睨み合いを展開。
猪木とブロディの初対決は次期「ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾」最終戦、新日本プロレス初進出となる4月18日、両国国技館で行われることが決定しました。
その決戦3日前となった4月15日の月曜日、シリーズオフだった新日本プロレスは急遽後楽園ホールを押さえており、チケット代2,000円を徴求しての猪木、ブロディの有料公開スパーリングを開催しました。
新日本プロレスはこれまで76年6月20日、後楽園ホールで6日後の6月26日、日本武道館で行われるモハメド・アリvs猪木戦の時と、80年2月10日、後楽園ホールで2月27日、蔵前国技館で行われる猪木vsウィリー・ウィリアムス戦の時と2度、有料公開スパーリングを実施していますが、いずれも異種格闘技戦であり、プロレスラー同士の対戦で事前に有料公開スパーリングを観客に見せるのは初でした。
会場には1,518人発表の観衆が詰めかけ、先に登場したブロディはブラック・キャットをワンハンド式ボディスラム、ドロップキック、そしてキングコング・ニードロップで失神させました。
さらに金秀洪をドリルアホール・パイルドライバーでKO、後から入って来た猪木とおよそ3分間に亘る視殺戦を展開。
猪木の方は当時の新日本プロレスのユニホームである白と水色に別タイプのライオンマークがプリントされたTシャツとジャージ姿のまま縄跳び、ヒンズースクワット、棒を使ったプッシュアップ、ブリッジと基礎練習を披露してから寝技中心のスパーリング。
ヤングライオン杯参戦中の小杉俊二をボディシザースでギブアップさせています。
本番の4月18日、両国国技館大会は前84年秋、長州力以下ジャパンプロレス勢が大量離脱して選手層が薄くなり、地方巡業で集客力が落ちていた新日本プロレスは11,066人(超満員)発表の観客を動員、猪木vsブロディ注目の初対決は、試合前、新装なった両国新国技館でブロディにチェーン使用禁止を通達、怒ったブロディが試合前に猪木の控室(国技館の場合は支度部屋)に殴り込みをかけてチェーンで猪木の左肘を滅多打ちにし、猪木の入場が遅れるアクシデントはありましたが、26分20秒に両者リングアウトの引き分けに終わりました。
※対戦成績は131戦28勝103敗、勝率213。
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