第129戦 4月1日発売号○WWFジュニア・ヘビー級選手権試合、タイガーマスクvsスティーブ・ライト(82年新日本プロレス蔵前国技館)【参考】2015年4月1日発売号は坂口征二、新日本プロレス入団第1戦vsサイクロン・ソト(73年新日本プロレス佐賀県鹿島市中川公園移動体育館)
【解説】新型コロナウイルス感染拡大の影響により2020年のこの時期にはプロレス興行の中止、延期が相次いでいましたが、20年3月19日、後楽園ホールで行われた初代タイガーマスク、佐山聡主催のリアルジャパンプロレス(現ストロングスタイルプロレス)は開催を決行、賛否両論物議を醸しましたが、佐山重病説はこの年初めからメディアで伝えられており、パーキンソン病の疑いと報じられておりました。
初代タイガーマスクの最大のライバルであるダイナマイト・キッドが18年12月5日、奇しくも60歳の誕生日にステロイドの過剰摂取と背中の手術による後遺症で長期闘病生活の末亡くなっており、多くのプロレスファンを悲しませたこともあり、初代タイガーマスク、佐山聡の病気回復を祈念してこの試合を予想。
当初はこの日のメインイベントである第5回MSGシリーズ優勝決定戦、アンドレ・ザ・ジャイアントvsキラー・カーンの一戦を予想に出す予定でしたが差し替えました。
52年イギリス出身のライトはランカシャースタイルの正統派でありビリー・ライレージムの出身。カール・ゴッチのブッキングで75年1月の「新春黄金シリーズ」に初来日、93kgという軽量ながら同じイギリス出身のピート・ロバーツとのコンビで猪木、坂口、このシリーズからフリー参戦したストロング小林を苦しめました。
76年1月の新春黄金シリーズに再来日、77年10月の「闘魂シリーズ第2弾」では最終戦の12月8日、蔵前国技館で負傷欠場となったクルト・フォン・ストロハイムに代わりパット・パターソンのパートナーに抜擢されて坂口&S小林組の北米タッグ王座に挑戦。軽量の悲しさか1本目は16分42秒、S小林にリングアウト負け、2本目も5分10秒、坂口のアルゼンチン・バックブリーカーにギブアップ負けとライトが2本取られての2−0のストレート負けでした。
まだまだこの時期の新日本プロレスは軽量級には厳しい時代であり、同じシリーズに初来日したマーティン・ジョーンズも目立つことなく終わっています。
それから4年3か月来日間隔が空き、ライトは82年3月の「第5回MSGシリーズ」に来日。公式戦のメンバーではなく、コロセオ・コロセッティ、ブラックマンと並んでタイガーマスク要員としての来日でした。
開幕前夜祭の3月4日、後楽園ホールでライトはタイガーマスクのWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦、11分48秒、リングアウト勝ちでタイガーマスクが4度目の王座防衛に成功しましたが、ねちっこいグラウンドレスリングの前にタイガーマスクが苦戦した印象を受けました。
シリーズ最終戦、4月1日、蔵前国技館でライトはタイガーマスクの同王座に再び挑戦、タイガーマスクのリストを取って離さず、側転してはまたリストを決めると言った変幻自在の攻撃ぶりでタイガーマスクにペースを掴ませず、しかし、タイガーマスクも元はゴッチ、イギリスではウェイン・ブリッジにランカシャースタイルのレスリングをみっちり仕込まれており、「飛ばなくても強い」タイガーを披露。
17分50秒、ブロックバスター(横抱え式のスープレックス、ジョージ・ゴーディエンコ式)からの体固めでライトを破り5度目の防衛に成功。初代タイガーマスクの試合の中でもファンの間では高評価の名勝負でしたが流さんのコラムによると「自分の得意のムーブばかりやりたがる」ライト戦はあまりタイガー自身の中でも好きな試合ではなく、周りの評価程の試合ではなかったとのコメントを残しており、キッド、ブラック・タイガー(初代、ローラーボール・マーク・ロコ)に比べると評価は低かったです。
※対戦成績は129戦27勝102敗、勝率209。
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