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2021年01月12日22:30

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(6)

第122戦 2月12日発売号●【予想】新日本プロレス、初のフィリピン遠征(84年2月12、13日フィリピン・ケソン市アラネタ・コロシアム)【正解】デビッド・フォン・エリック告別式(84年東京 渋谷バプテスト教会)【参考】2014年2月12日発売号は「平成の乱」長州力&橋本真也&平田淳嗣組vs蝶野正洋&天山広吉&ヒロ斉藤他(95年平成維震軍、新日本プロレス昼夜興行後楽園ホール)

【解説】今回は同じ84年ネタで、新日本プロレスと全日本プロレスの話題に分かれてしまいました。84年の新春黄金シリーズが終わると新日本プロレスは、2月12、13日の2日に亘り、初となるフィリピン遠征を行いました。(テレビ朝日の収録はなし)フィリピンでは元国際プロレスの大磯武がプロレス団体を作っており(インディーズのレベル)大磯が新日本を招聘したものでした。

大磯は本名摺崎武二、44年富山県出身、大相撲立浪部屋から66年東京プロレスでデビュー。東京プロレス崩壊後はラッシャー木村、寺西勇、大剛鉄之介らと共に国際プロレスに移籍。

海外遠征も行いましたが帰国しても華々しい活躍は出来ず、74年に引退してフィリピン人の妻女とフィリピンへ移住し現地でプロレス活動を再開、道場を作って新人の育成をする一方興行も行っていました。

当時の新日本では猪木、R木村、寺西、永源遙、柴田勝久レフェリーとは旧知の関係にありました。

2日間とも会場はケソン市のアラネタ・コロシアムで行われ初日は15,000人(満員)の観客を動員、メインイベントは猪木がバッドニュース・アレンとのシングル戦(ケソン市長杯争奪戦)を行い7分11秒、延髄斬りからの体固めで快勝。

セミファイナルはタケ大磯のリングネームで活躍していた大磯が弟子のMモンテロとタッグを組み、キラー・カーン、アニマル浜口組と対戦。

大磯と浜口という国際の先輩後輩同士という興味深い組み合わせとなりましたがフィリピンではWWFのビデオテープが流通していてヒールとして名前が知られていたカーンが暴走しての反則負けとなりました。

この時の遠征では何故か赤のトランクスを履いて試合に出場していた藤波はアイアン・マイク・シャープに逆さ押さえ込みで勝利。

この日は前田日明と長州のシングルマッチが唐突に組まれています。写真しかなく、長州が僅か5分21秒、リキラリアットからの体固めで完勝しています。

前年83年11月3日、蔵前における正規軍vs維新軍4対4綱引きマッチの内容を勘案するとあまりに淡白な結果となっていますが、前田が新日本本隊でのモチベーションを失っていたのかも知れません。

このあたりは82年4月のドバイ遠征で革命戦士になる前の長州が藤波とシングルで対戦し、あっさりと負けたのを思い起こします。(4月9日アハナサスポーツクラブ、11分42秒体固めで藤波の勝ち)

この他、坂口は木戸修に勝ち、小林邦昭はブラック・タイガーを撃破。フィリピンの現地選手同士の対戦はMマツラオがEボロズニオンスを破っています。

フィリピン遠征の第1試合として組まれたのが藤原喜明と高田伸彦のシングルマッチで藤原が11分、体固めで勝っていますが新日本のレベルの高さを見せた試合でした。後にUWFのセミファイナルで組まれるカードになる訳ですが…。

2日目の13日は10,000人発表の観衆を動員、メインイベントは藤波がKカーンの挑戦を受けたWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合。

この日も赤タイツで登場した藤波。試合は場外でカーンがパイルドライバーを仕掛けたところ藤波はリバースでかわし、場外でサソリ固め。場外カウントが進み13分3秒、両者リングアウトの引き分けで2度目の王座防衛を果たしています。

セミは猪木、前田組vs長州、浜口組。維新軍は合体攻撃で前田に狙いを定めていきます。前田が浜口を逆エビ固めに捕らえると長州がリキラリアットでカット。

試合は8分7秒、猪木が延髄斬りから浜口を体固めで猪木、前田組の勝利。結果的にこの試合が前田の新日本所属としてのラストマッチとなっています。

大磯、マツラオ組と木戸、藤原組は大磯が藤原を体固めでフォールし、フィリピンのエースとしての面目を保ちました。坂口はシャープと両者リングアウト、小林邦はアレンに負け、高田はBタイガーに負けています。

「鉄の爪二世」エリック兄弟の次男(戸籍上は三男)のデビッドは、84年2月10日、後楽園ホールで開幕の全日本プロレス「エキサイト・シリーズ」に来日。

来日前の2月3日、テキサス州ダラスのスポータトリアムでマイケル・ヘイズを破ってUNヘビー級王座を獲得、2月23日、蔵前国技館で天龍の挑戦を受ける予定になっていました。

2月9日に来日したデビッドは宿舎である高輪東武ホテルでUNのベルトをテーブルの前に置いて「天龍には必ず勝ってベルトをテキサスに持ち帰り、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座を奪う」と宣言しました。

開幕戦の行われる10日、集合時間になっても降りて来ないデビッドを不審に思ったブルーザー・ブロディと外国人係のジョー樋口が部屋に入るとデビッドは既に亡くなっていました。枕元にはデビッドが常用していたとされるコカインの錠剤が散乱しており、ブロディがそれを素早くトイレに流した、とされています。享年25歳。

デビッドの死は内臓疾患(急性腸炎)と発表されました。10日のシリーズ開幕戦の後楽園ホールでは追悼セレモニーが行われ、12日の昼間にエリック家の宗派である渋谷にあるキリスト教バプテスト派のバプテスト教会で告別式が行われました。

馬場を初めとする全日本プロレス勢とブロディらシリーズ参加外国人が参列、この模様は日本テレビにより収録され2月18日放送の全日本プロレス中継で放送されました。ブロディが大粒の涙を流していたシーンが印象に残ります。

デビッドの遺体は飛行機でダラスの父、フリッツ・フォン・エリックのもとに届けられましたが、馬場はフリッツが絶大なる信頼を寄せており、日本で日本プロレス時代からフリッツの世話を焼いて来たジョー樋口を介添人としてダラスまで行かせています。

この件がなければ、デビッドは帰国後にはフレアーを破ってNWA世界ヘビー級王座に着き、長期政権を築くことが、加盟プロモーターの間でオーソライズされており、「3人の息子(ケビン、デビッド、ケリー)をNWA世界チャンピオンにする」というフリッツの悲願が実現していたことになった訳です。

デビッドの急死により2月23日の蔵前国技館にはリッキー・スティムボートが急遽、来日し天龍とUNヘビー級王座決定戦を行い、天龍がグラウンド・コブラツイストで勝利し王座を獲得しています。

但し、デビッド死去は2015年2月10日発売号で1回採り上げており、完全なる二番煎じ。

デビッドの急死は「呪われたエリック一家」の「終わりの始まり」でした…。

※対戦成績は122戦24勝98敗、勝率197。
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