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2021年01月11日23:07

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(5)

第121戦 2月5日発売号●【予想】谷津嘉章、天龍をジャーマンで降し長州力&谷津組がインターナショナル・タッグ王座を獲得。(86年全日本プロレス札幌中島体育センター)【正解】鶴田&天龍組vsマサ齋藤&長州組(85年全日本プロレス東京体育館)【参考】2014年2月5日発売号はPWFヘビー級選手権試合、馬場vsタイガー・ジェット・シン(85年全日本プロレス東京体育館)

【解説】ちょうど1年違いでの予想となり、内容も類似していることから、先ずは正解から解説します。83年暮れ、この年に起きた新日本プロレスの運転資金が猪木の個人事業であるアントンハイセルに流用されているのでは?という疑惑から発生した社内クーデターの影響で、同社営業部長であった大塚直樹が退職して「新日本プロレス興行株式会社」を設立、加藤一良、伊藤正治らが行動を共にしました。

新日本プロレス興行は後楽園ホールなどの関東大会を中止に新日本プロレスから年間50大会の興行を買うことで合意、新日本プロレスの内部分裂を冷静に見ていた馬場が大塚に声をかけ、全日本プロレスの興行を買って欲しいと打診。新日本の名前はついているものの、資本関係はなく、あくまで別法人、4月1日には後楽園ホールでの全日本女子プロレス、ミミ萩原の引退興行も買っている新日本プロレス興行としては断る理由もなく、6月22日に記者会見を行い、全日本プロレスと新日本プロレス興行が業務提携を結んだと発表、提携第1弾として8月26日、田園コロシアム大会の開催を発表しました。

これに激怒したのが新日本プロレスの坂口征二副社長。坂口は大塚に「全日本プロレスの興行を買うならウチの興行は売らない、どちらを取るか返答しろ」と二者択一を迫りました。これに対し大塚は全日本プロレスを選択、同時に「新日本プロレスの中で懇意にしている選手に声をかけて引き抜く」と報復宣言。

9月21日、キャピトル東急ホテルにて記者会見が行われ、前日の9月20日まで新日本プロレスの「ブラディ・ファイト・シリーズ」に参戦していた長州力、アニマル浜口、谷津嘉章、小林邦昭、寺西勇の維新軍5人が新日本プロレス興行ヘの移籍を表明、次いで9月25日には永源遙、栗栖正伸、保永昇男、新倉史裕、仲野信市が移籍会見、27日にはキラー・カーンが移籍を発表。

10月に入ると在米フリーのM齋藤、レフェリーのタイガー服部、新人の笹崎伸司が移籍し社名を「ジャパンプロレス株式会社」に変更、興行会社から選手13名、レフェリー1名を抱える団体ヘと発展、12月4日、高松市民文化センターで旗揚げ興行を行った後、12月8日には長州らジャパン軍団が全日本プロレスの愛知県体育館の会社に姿を現しリング内に入り込んで馬場と対峙。

12月12日、横浜文化体育館で行われた「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦に長州&谷津&浜口組が出場、全日本の石川敬士&グレート小鹿&大熊元司組を撃破しました。

明けて85年、1月2日、後楽園ホールで開幕の「激突!オールスター・ウォーズ」からジャパン勢がフル参戦、1月23日からはM齋藤も合流、シリーズ最終戦は2月5日、東京体育館で開催され、11,640人(超満員発表)の大観衆を動員、セミファイナルで鶴田&天龍組とM齋藤&長州組による全日本対ジャパンのタッグ頂上対決が実現、16分53秒に両チームリングアウトの引き分けに終わっています。

ちなみに流さんが6年前の同日発売号で採り上げているのがこの日のメインイベントとなる馬場vsシンのPWFヘビー級選手権試合となる訳です。

そしてそれからちょうど1年後の86年2月5日、「ニューイヤー・ウォーズ SUPER BATTLE86」最終戦、札幌中島体育センターで鶴田&天龍組の持つインターナショナル・タッグ王座に長州&谷津組が挑戦。

この試合は二番勝負の第2戦で、1月28日、東京体育館で行われた同一カードによる初戦は22分21秒、天龍がパワーボムからのエビ固めで谷津を破り鶴田&天龍組が6度目の防衛に成功しています。

ハイスパートレスリングを標榜するジャパンと、じっくり受けて立つ全日本のスタイルの違いはありましたが、1年に亘る軍団抗争によりお互いが練れて着ておりこの時期になると試合のテンポがスイングするようになりハイレベルな攻防が随所に見られるようになっていました。

札幌での再戦は4人の中で唯一、国内でタイトル獲得歴のなかった谷津が奮起、24分1秒、ジャーマン・スープレックスホールドで天龍から3カウントを奪い、国内初戴冠、日本プロレス時代からの歴史と伝統を誇る全日本の至宝が新興勢力であるジャパンに移動。また、長州&谷津組は新日本プロレス入団時の師匠にあたる猪木、坂口が日本プロレス時代に馬場と組んで巻いていたベルトを手にしたことになります。

「あの日あの時」も2巡目に入り、1回目と同じ興行での別の試合を採り上げるのは珍しいことではなくなっていました。流さんはおそらく、この後84年4月にM齋藤がアメリカで起こした警察官暴行事件により収監されてしまい、出所後は新日本プロレスに戻ってしまうことで、希少価値のあるM齋藤の全日本プロレスでのテレビマッチを採り上げておきたかったのでないかと思う次第です。

※対戦成績は121戦24勝97敗、勝率198。
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