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2021年01月10日21:57

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(4)

第120戦 1月29日発売号●【予想】新日本プロレス道場開き(72年新日本プロレス野毛道場)【正解】猪木、vsタイガー・ジェット・シン(76年新日本プロレス大阪府立体育会館)【参考】2014年1月29日発売号はIWA世界タッグ選手権試合、星野勘太郎&山本小鉄組vsマイティ井上&アニマル浜口組(79年国際プロレス勝田市総合体育館)

【解説】71年12月、日本プロレス改革の為に立ち上がった猪木でしたが、「会社乗っ取りを企てたクーデター犯」として12月13日、日本プロレスを除名・追放処分とされてしまいました。

猪木と行動を共にしたのは山本小鉄、木戸修、それに猪木の日本プロレス追放・除名処分のあった日、代官山の日本プロレス事務所で「猪木追放万歳」として乾杯をしている選手達の集合写真がありましたが、その中で「隅っこで寂しそうにしていたから声をかけた」(猪木)とされる猪木の付き人だった藤波辰巳にレフェリーのユセフ・トルコ。

猪木は1月13日に「新日本プロレスリング株式会社」を登記、26日には設立記者会見を行い、29日には猪木の自宅を改装して作った道場兼合宿所がオープン、この日道場開きのセレモニーが行われています。

数多く出版されているプロレスの歴史物の書籍の多くにこの日の「鏡割り」の写真が掲載されており、新日本プロレスの船出を象徴するような出来事だったと思います。

猪木は「先ず道場ありき」と道場の大事さを唱え、新婚だった倍賞美津子さんとは代官山のマンションに引っ越して新日本プロレスのストロングスタイルの礎を作ることに着手しました。現在はテレビ朝日の「ビフォーアフター」により新たにリフォームされた綺麗な道場になっていますが、この「野毛道場」から巣立っていったヤングライオンは数知れずです。

76年1月2日、越谷市体育館で開幕した「新春黄金シリーズ」。最終戦として発表されていたのは新日本プロレス初進出となる2月6日の日本武道館大会。開幕戦の段階ではカード発表は未定。

前75年、NWF本部によるタイガー・ジェット・シンの挑戦者指名に対し「挑戦者としての資格に欠ける」と猪木は拒否、ニューヨーク州バファローにあるNWF本部まで出向いた猪木は怒ってベルトを返上。王者である猪木にベルトを返上されてしまったNWFは、責任を取ってデビッド・ヘルマン(ディック・フェラルドマン表記の文献も有)会長が辞任。

会長代行となったジェリー・アレン・プラターは猪木の師匠であるカール・ゴッチを特使として日本に派遣、ゴッチは猪木を説得に当たり、猪木は「筋を通す」としてベルトは返上するが、シンとの王座争奪2番勝負を行うことで合意しました。(いずれも60分1本勝負)

空位となったNWF世界ヘビー級王座決定戦は75年3月13日、広島県立体育館で行われましたが、シンが前週の3月7日、横浜文化体育館で初めて見せてタッグマッチながら猪木からフォールを奪ったブレーンバスターからカウンターの凶器パンチで19分26秒、体固めで猪木を破り王座を獲得。猪木は「挑戦者としての資格に欠ける」とこき下ろしていたシンに敗れ、赤っ恥をかいてしまいました。

シリーズ最終戦、3月20日、蔵前国技館でのリターンマッチ、猪木はシンの額をナックルパンチで叩き割って流血させましたがシンの場外逃亡作戦にはまり、19分1秒に両者リングアウトの引き分け。NWF世界ヘビー級王座は1年3か月ぶりに海外流失となってしまいました。

猪木は5月19日、シンの本拠地であるカナダに乗り込み、ケベック州モントリオール・ポール・サウべ・アリーナでシンの王座に挑戦。(60分3本勝負)1本目は7分18秒、猪木が逆さ押さえ込み、2本目は5分11秒、シンが体固め。決勝の3本目は3分47秒、猪木の反則勝ち。猪木は2−1で勝ちましたがルールによりタイトル移動せず。

6月26日、蔵前国技館で猪木はシンのNWF世界ヘビー級王座に3度目の挑戦。(60分3本勝負)1本目は10分41秒、猪木がジャパニーズ・レッグロールクラッチホールド(回転足折り固め)で先制、2本目は2分47秒、シンが初公開となるアルゼンチン・バックブリーカー。決勝の3本目はシンのコブラクローにより喉に穴を開けられて首筋から流血してダメージの深い猪木がバックドロップの連発により4分28秒、体固めで勝利。ついに3か月ぶりに王座を奪回しました。

シンは猪木に握手を求めて猪木もこれに応じ、大団円。73年5月4日、川崎市体育館におけるシンの無法乱入から始まり、伊勢丹前襲撃事件、腕折り事件など2年ちょっとに亘る猪木とシンの「第一章」はここで一旦は完結。

75年12月15日、猪木は提携先であるWWWFの定期戦でニューヨークMSGのリングに初登場、フランク・モンティを破っていますが、シンは猪木を追ってMSGにも姿を現しました。当時のゴングにはシンが猪木を追って年末に極秘裏に来日し、猪木の代官山のマンションに現れたといったシンのストーカーぶりを報じる記事が載りましたがおそらくフェイクニュースでしょう。

76年1月2日、越谷市体育館での新春黄金シリーズ開幕戦、シンはセミ前で星野勘太郎とシングルで対戦、クリーンファイトを見せて、星野に対し一切の反則を使わず、ロープに詰めてもクリーンブレイク、最後は4分23秒、スクールボーイ(横入り式エビ固め)で完勝。

次のセミファイナルに出てきた猪木はシンの子分であるザ・ブルータス(ムルンバ)とシングルマッチ、シンのクリーンファイトに苛立ちを見せた猪木はブルータスの額をナックルパンチで叩き割って流血させ、9分34秒、ブレーンバスターからの体固めで仕留めました。 

するとシンがリングに上がり猪木に詰め寄りました「俺は今日反則を使わずに勝った。なのに猪木は反則のナックルを使って勝った。どちらが汚い手を使ったかはみんなが知っている。猪木こそダーティー・チャンピオンだ!」と猪木を激しく非難。

1月7日、日比谷帝国ホテルで記者会見が行われ、ミュンヘン五輪柔道重量級、無差別級金メダリスト、オランダの赤鬼ウィリエム・ルスカがプロの格闘家に転向、猪木に挑戦を表明、新春黄金シリーズ最終戦の2月6日、日本武道館では猪木vsルスカの「格闘技世界一決定戦」に決定。

「新日本プロレス初の日本武道館大会のメインは自分と猪木のNWF世界ヘビー級選手権試合」と思っていたシンは怒り心頭となり、1月9日、福岡九電記念体育館での猪木とのシングルマッチでは先週までのクリーンファイトは見る影もなく、スタートから反則オンリーで猪木を苦しめ、13分26秒に両者リングアウトの引き分け。内容は猪木が押されっ放しでした。

ルスカ戦を1週間前に控えた1月29日の大阪府立体育会館で猪木とシンの再戦が時間無制限1本勝負で行われました。「猪木に怪我をさせて、ルスカと闘えないようにしてやる」とスタートから反則のチョーク攻撃を見せるシン、サーベルの柄の部分で猪木の顔面を痛打。最後はアトミック・ドロップの要領で猪木を担ぎ上げて急所をトップロープに打ち付けて20分1秒、シンの反則負けとなりました。

猪木は左鼻の横を縫う裂傷を負い、ルスカ戦を前に大事を取って2月5日、札幌中島スポーツセンターで坂口と組んでシン&ブルータス組と防衛戦を行う予定だった北米タッグ王座は返上、猪木の代わりにストロング小林が坂口とのタッグでシン&ブルータス組との王座決定戦に出場、2−1で坂口&S小林組が新チャンピオンチームとなっています。

猪木は2月6日、日本武道館でルスカと対戦、20分35秒、バックドロップ3連発からTKO勝ちを収めていますがシンとの一戦で縫った左鼻横からはルスカの柔道着で擦れ出血が見られました。

※対戦成績は120戦24勝96敗。勝率200。
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