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2020年12月19日23:07

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ありがとう!横浜文化体育館(102)

長州力が03年に旗揚げした新団体WJプロレス(ワールド・ジャパンプロレス)は1年足らずの短い寿命で崩壊してしまいましたが、WJにおいても横浜文化体育館大会が一度だけプロレスの興行ではないですが、総合格闘技の興行「X−1」(サムライTV収録、観衆2,490人発表)が開催されています。

その前にWJ旗揚げの経緯について簡単に振り返っていきたいと思います。02年2月、武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンが新日本プロレスから全日本プロレスへ移籍、他にも新日本プロレスの金庫番と言われた青木謙治初め映像ソフト事業部の武田有弘(後のノアグローバルエンターテインメント社長)、グレート・ムタのコスチュームをデザインしていたデザイナーの矢部崇寛、営業の神谷昭徳ら数名のフロントが武藤と行動を共にし全日本へ移籍。

これに激怒した猪木は00年6月の三沢光晴以下ノア勢大量離脱により団体存亡の危機に陥った全日本プロレスとの交渉責任者だった永島勝司取締役を解雇、全日本との提携を推進していた現場監督の長州も猪木と衝突、02年5月31日付で新日本プロレスを退団。長州は新日本を去る時「あの人(猪木)は人間的に欠落している部分が多い」と痛烈に批判しています。

先に新日本プロレスを退職して「リキ・ナガシマ企画」という個人事務所を設立していた永島と長州が合流。長州のタニマチであった北海道で不動産業、パチンコ店、焼肉店を経営する大星実業観光開発代表取締役の福田政二より資金を借り受けて新団体WJを設立、この年10月にパンクラスの鈴木みのるとの対戦が流れ、新日本プロレスフロントに対する不信感を顕にし、辞表を提出した佐々木健介もWJ入り。

フロントにはレッスル夢ファクトリーの代表だった高田龍が入り高田ルートで谷津嘉章も入団、新日本プロレスでの待遇に不満を感じていた鈴木健想(KENSO)、長州シンパだった越中詩郎、ノアをアメリカ遠征中に退団した大森隆男、他にも石井智宏、高智政光、宇和野隆史らが旗揚げメンバーとして参戦しました。

03年3月1日、横浜アリーナで行われた旗揚げ興行は13,200人と満員発表だったものの、この日はノア日本武道館、K−1WORLD MAX有明コロシアムとのバッティング興行となり、実質的には6〜7割の入り。

旗揚げシリーズの目玉として長州vs天龍源一郎のシングル6番勝負が行われ、第1戦の横アリでは長州の勝利。第2戦、3月15日、後楽園ホールと第3戦の3月16日、仙台・宮城県スポーツセンターでは天龍が連勝しています。

しかし、当時51歳の長州と53歳の天龍の連日のシングル戦はやはり無理があり、3月18日の大田市民体育館で、天龍が負傷を理由に棄権を発表し以後の3月19日、草加市スポーツ健康都市記念体育館、最終戦の3月20日、流山市総合体育館での対戦は中止になり、旗揚げシリーズから早くもミソをつけてしまいました。

7月20日に両国国技館大会を開催、団体初のベルトとなる初代WMGヘビー級王座決定トーナメント決勝は健介が健想を破り、王座に就きましたが、海外に発注していたチャンピオンベルトが届かないという事態になり、またも観客の信用を失うことに…。

7月28日、プロレス参戦を目指してWJの道場に練習に来ていた正道会館の佐竹雅昭主宰の「怪獣王子」所属の格闘家、プロ野球の落合博満の甥にあたるジャイアント落合がロープワークの練習中に気分が悪くなり昏倒、救急搬送されて入院、緊急開頭手術を行なったものの8月8日に急性硬膜下血腫の為30歳の若さで死去しています。

旗揚げからアクシデント続きのWJが起死回生とばかり打って出たのが総合格闘技の大会「X−1」。リングをケージ(金網)で囲んだ中で行われ、UFCとPRIDEをまぜこぜにした仕様となりました。

試合は全9試合、第8試合のインターコンチネンタル王座決定戦のみ3分5ラウンド、他は全て3分3ラウンドで行われ、第1試合、ジム・チョレボン・キクチがデヴィッド・ヴェラスケスを1R1分6秒、パウンドによるKOで破り、第2試合、ジェフ・フォードはフィリップ・プリースに1R2分58秒、4点ポジションからのパンチ連打によるTKO勝ち。第3試合はダニエル・ピューダーがジェイ・マコーンに3R終了判定勝ち。

第4試合、ジミー・ウェストフォールがアダム・"ヴァーノン"・グェラに1R1分33秒、パウンドによるセコンドのタオル投入によるTKO勝ち。第5試合はジョン・フィッチがケイヴ・ガルニアに1R2分41秒、後ろ向きになったところへの鉄槌の連打によりレフェリーストップのTKO勝ち。

第6試合にWJ期待の新人、中嶋勝彦が登場、88年3月11日、愛知県出身の中嶋は中学校時代は空手で身体を鍛え、中学校卒業と同時にWJに入団。プロレスデビュー前に総合のリングに立ちました。中嶋はジェイソン・"ゴールデンボーイ"レイと対戦、度胸は十分で1R1分25秒、バックに回ってのパンチ連打でTKO勝ち。

第7試合には健介が出場、クリスチャン・ヴェリッシュを1R2分35秒、フロント・ネックロックによるギブアップ勝ち。試合には圧勝しましたが、慣れない総合の試合で力が入ったか拳を骨折してしまい、以後欠場、この年の10月19日に、長年、ヘルレイザーズとしてパートナー関係にあったホーク・ウォリアーが46歳の若さで急死した時は怪我を推してアメリカでの葬儀に参列しています。

第8試合はインターコンチネンタル王座決定戦、ボビー・サクスワースvsブライアン・パードーは2R41秒、パードーが目の上を切って出血多量となりサクスワースがTKO勝ちで初代王者となりました。

最終第9試合はWJ旗揚げから参戦しているダン・ボビッシュがベイシル・キャストーに1R1分33秒、パウンドによるTKO勝ち。

日本でも名前の知られた格闘家がほとんど出ておらず、ブッカー兼ディレクターのブライアン・ジョンストンに騙されたという話も聞きますが、リングに張り巡らせた金網が緩くて落ちてしまい、それをセコンドが支えるという何とも締まりのないイベントになりました。

ただ、これはWJに限った話ではなく、新日本プロレスも猪木事務所主導でブラジルで9月13日に「ジャングル・ファイト」等を開催しており、プロレス界が総合格闘技路線に向けて迷走していた時期でした。

WJはギャラ未払い等のゴタゴタもあり、選手が大量に退団、04年にはリキプロ興行に取って代わられました。
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