リングス99年2月21日、横浜アリーナで前田日明がアレキサンダー・カレリンと引退試合を行い、裏アキレス腱固めでロストポイント1を奪いましたがカレリンの底しれぬ体力に圧倒されてロストポイント2を取られて判定負け、20年半のプロレス、格闘技生活にピリオドを打ちました。
引退後の前田は団体を運営する傍ら、審議委員として赤のブレザーを着用してリング下に座りました。しかし、カリスマでありワンマンエースだった前田の引退によりリングスの興行成績は悪化していきます。
97年10月11日に高田延彦vsヒクソン・グレイシー戦をメインに開催された「PRIDE」はシリーズ化され、当初はKRSと言うイベント団体が運営していましたが、99年4月29日、名古屋市レインボーホール(日本ガイシホール)大会から森下直人が代表を務めるドリームステージ・エンターテインメント株式会社に運営が移行。バーリ・トゥードの大会も各種開催され、リングスのUWFに近いスタイルはもはや時代遅れになりつつありました。
そんな中導入されたのがKOKルール、これまでの30分1本勝負などからラウンド制に移行、総合格闘技の団体に生まれ変わりました。
00年のKOKトーナメントでヘンゾ・グレイシーに判定勝ちしたエースの田村潔司は団体の方向性や処遇面で不満を漏らし、前田と対立。01年にはリングスを退団しています。
01年12月21日に3年3か月ぶりに横浜文化体育館大会を「ワールドタイトル・シリーズ」を開催(観衆3,730人発表)。メインイベントは金原弘光のデビュー10周年記念(91年12月22日、UWFインターナショナル両国国技館大会でデビュー)試合、ヘビー級オフィシャルマッチ。(5分3R)金原がポール・カフーンに3R終了判定勝ちを飾りました。
セミファイナルは高阪剛とヴォルク・アターエフの一戦で3R終了後、高阪の判定負け。
世界の強豪格闘家を多数輩出しているリングスですが「ロシアの皇帝」エメリヤーエンコ・ヒョードルの初来日もリングスでした。ヒョードルは00年に初来日しています。この日ヒョードルはアブソリュート級(無差別級)トーナメント準決勝を行い、リー・ハスデルを1R4分10秒、フロント・ネックロックでギブアップさせて決勝進出。
もう一枠はリングス初期からのメンバーであるクリストファー・ヘイズマンがエギリウス・ヴァラビーチェスを1R38秒、腕ひしぎ逆十字固めでギブアップを奪い決勝へ駒を進めました。
軽量級では現在は政治家に転身している須藤元気もこの日リングスに出場、99年にリングスを退団しフリーとなった山本喧一(健一改め)と対戦、2R1分45秒、スリーパー・ホールドで勝利を収めました。
リングスは高額のファイトマネーでPRIDEに選手を引き抜かれました。前田の個人商店だったリングスとフジテレビの地上波放送を持つPRIDEでは資金力が違い、旗揚げからリングスを放送して来たWOWOWも02年からアメリカで93年11月に第1回大会が開かれたUFCの中継に鞍替えし、リングスの放送は打ち切り。02年2月15日の横浜文体大会(観衆4,280人満員発表)、「ワールドタイトル・シリーズ GRAND FINAL」がラスト興行となりました。私はこの興行は会場まで行って観戦しています。
メインイベントのアブソリュート級王座決定トーナメント決勝、ヒョードルvsヘイズマンは1R2分50秒、無類の強さを見せたヒョードルがパンチの連発でヘイズマンから3度のダウンを奪い、ヘイズマンのロストポイントの持ち点がなくなりKO勝ちでヒョードルが優勝しています。
アブソリュート級王者となったヒョードルでしたがリングス活動休止によりPRIDEへ移籍しました。
ヘビー級オフィシャルマッチ、金原とイリューヒン・ミーシャとの闘いは3R引き分け。ラスト興行ということで90年代のリングスで大活躍したヴォルク・ハンとアンドレィ・コピィロフが旧リングスルール、20分1本勝負で対戦、42歳のハンと38歳のコピィロフは総合ではロートルの部類に入り、動きもそれなりでしたが6分15秒、ハンが飛び付き式腕ひしぎ逆十字固めでコピィロフからギブアップ勝ちしています。
リングス活動休止から10年経った12年、前田がリングスを復活させると宣言、3月9日、後楽園ホールでリングス復活興行が開催されました。12月16日、前田が主宰していたストリートファイトを格闘技にしたイベント「THE OUTSIDER」とリングスの共同開催で4,680人満員発表の観客を動員。
メインイベントではリングスの功労者であるハンの引退試合が行われました。リングス活動休止後はチームロシアのコーチとしてPRIDEに行ったハンでしたが、07年にPRIDEがUFCに買収されて消滅、過去の遺恨は水に流しました。
ハンの引退試合の相手となったのは前田と新日本プロレス、新生UWFで行動を共にし、袂を分かちましたが「ビッグマウス・ラウド」、「HERO'S」で再び前田とヨリを戻した船木誠勝。00年にヒクソンに敗れて一度は引退しますが、09年にプロレスに復帰、この時は全日本プロレス所属でした。
ハンと船木の注目の最初で最後の対戦は15分エキシビションマッチで行われ、時間切れに終わっています。ハンと船木の試合は生で観たかったですがOUTSIDERのような素人の喧嘩にお金を払うのは抵抗があり観戦はしませんでした。最近は技術も向上しているようですが、客も出場選手の友達みたいな危険な連中が多そうでした。
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