リングス横浜文化体育館大会第2弾は初回から1年4か月後の94年8月20日、「RINGS IN YOKOHAMA」(観衆4,587人満員発表)。
93年のバトル・ディメンション・トーナメントから復帰した前田日明がメインイベントに出場、前92年10月には藤原組東京ドーム大会に来日したツハタゼ・ザオールと対戦、僅か4分16秒、クロスヒールホールドでギブアップ勝ちを収めました。クロスヒールはヴォルク・ハンが最初に日本に持ち込んだ複合技で、文化の違う格闘技が交わることで互いに技術交流がされていったのは大きな意義がありました。
ハンはセミファイナルでガルダバ・ゲオルギと対戦、11分35秒、リバース・フルネルソンホールドで鮮やかなギブアップを奪っています。
90年に新日本プロレスのリングにプロボクサーとして上がったトニー・ホームがリングスに登場、ホームは63年フィンランド・ヘルシンキ出身、ヘルシンキ時代にはボクサーとして活躍。90年10月25日、新日本プロレスのグリーンドーム前橋でプロボクサーの肩書きで参戦しザ・ソウルテイカー(パパ・シャンゴ)をKO。同年12月26日浜松アリーナと91年2月6日札幌中島体育センターでは橋本真也に異種格闘技戦で2連勝し欠場に追い込みました。
92年11月22日には両国国技館でスコット・ノートンとのタッグでリック&スコットのスタイナー・ブラザーズを破りIWGPタッグ王座を獲得(同年12月14日、大阪府立体育会館でホーク&パワー・ウォリアーのヘルレイザーズに敗れ転落)するなどプロレスでも実績を上げています。
93年にはルドヴィック・ボルガのリングネームでWWF入り。負傷の為この年WWFをリリースされて再び日本へ。今度は総合格闘技団体の色合いが強いリングスへ参戦しました。ホームはトーマス・ルーロスと対戦、2分5秒に右掌底の連発から豪快なKO勝ちを収めました。
ランキング戦はランキング外の山本宜久がランキング8位、オランダのウィリー・ピータースと対戦、21分54秒にスリーパーホールドでギブアップ勝ちを奪いランキング8位となりました。
89年11月29日、新生UWFの東京ドーム大会、及び91年9月14日、リングス旗揚げ第3戦で前田とメインイベントで対戦したオランダの柔道家ウィリー・ウィルヘルムはロシアのハハレイシビリ・ダヴィドと対戦しましたが3分9秒、腕ひしぎ逆十字固めであっさりとギブアップ負けを喫してしまい、古くからのUファンを悲しませていました。60,000人の大観衆を前にメインを飾った男の現状は厳しく、隔世の感がありました。
この日第1試合で後に「世界のTK」と呼ばれる高阪剛がデビュー、サブミッションアーツ・レスリングの鶴巻伸幸と対戦、5R1分30秒、膝蹴りでKO勝ちを飾りました。
その後リングスは96年にはUWFインターナショナルを退団した田村潔司が移籍、膝の故障で休みがちな前田に代わって実質的エースとなりました。また、ブラジルからバーリ・トゥードのヒカルド・モラエスを招聘。
98年には前田が引退を決意、7月20日、横浜アリーナで山本宜とリングスラストマッチを行い20分時間切れ判定勝ちとなりました。前田は翌99年2月21日に同じ横浜アリーナで96年アトランタ五輪レスリング金メダリスト「霊長類最強の男」と言われたアレキサンダー・カレリン招聘に成功、引退試合をカレリンと行うと発表しました。カレリンはロシアの高名なスポーツ選手のみならず、政府要人に近いポジションにいた為、リングスがカレリンを呼ぶと言うことは大変なことをやってのけた訳であります。
リングス横浜文体大会は4年間開催がなく、次の開催は98年9月21日、「FIGHTING INTEGRATETION」(観衆4,170人発表)でした。
メインイベントはランキング戦、1位の田村に山本が挑戦。リングス生え抜きの山本にとっては業界では先輩ながらも外様で自分より上のポジションにいる田村は不快な存在。18分52秒、フロント・ネックロックで田村がギブアップを奪いました。
セミファイナルもランキング戦、高阪vsイリューヒン・ミーシャの激突、12分、高阪がフロント・ネックロックで勝利。Uインター崩壊後、キングダムを経てリングスへと転戦して来た金原弘光はウィリー・ピータースを6分57秒、スリーパーホールドで倒しました。
リングス2期生にあたる94年11月デビューの坂田亘はクリストファー・ヘイズマンを12分21秒、掌底の連打で3ダウンを奪ってのKO勝ち。金原と同様にUインターでは安生洋二、高山善廣と「ゴールデンカップス」で活躍、キングダムから移籍の「ヤマケン」山本健一はリー・ハステルに掌底の連発を喰らいKO負けしました。
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