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2020年09月28日23:52

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ありがとう!横浜文化体育館(20)

新日本プロレスが91年より秋の横浜アリーナ大会を毎年9月23日の秋分の日に開催することで、横浜文化体育館での興行数が減少していく一方で、全日本プロレスは横浜アリーナに進出することなく、年2回前後の横浜文体大会を堅実に開催し毎回満員にしていきましたが、94年5月18日から、98年1月25日までの3年8か月、横浜文体での興行はありませんでした。

全日本プロレスは横浜文体より都内からさらに遠い横須賀市総合体育会館は定期的に重要な大会を昔から使っており、謎の部分はありますが、理由としてはテレビ放送の深夜移行→放送時間短縮→テレビ収録会場の減少→テレビ放送効果の高い地方興行の落ち込みというスパイラルが生じ、それが毎回満員、超満員が見込める日本武道館大会の開催増加を生じ、首都圏近郊の大会の減少に繋がったと考察します。

日本武道館大会は平成の初めに当たる89年には年4回開催、「春夏秋冬武道館物語」というキャッチコピーも使っていましたが、95年には年7回に増加。「新春ジャイアント・シリーズ」以外は全て日本武道館大会を開催することになり、「至高の闘い」と言われた四天王プロレスの三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太の肉体的負担も増えていきました。

98年1月25日「新春ジャイアント・シリーズ」の横浜文体大会(観衆3,850人満員発表)のメインイベントは小橋&ジョニー・エース組の保持する世界タッグ王座に前97年「世界最強タッグ決定リーグ戦」優勝チームである川田&田上組が挑戦。私はこの大会は生観戦しています。

最強タッグ時点での世界タッグ王者チームは参加にあたってベルトを返上しなければならないルールは94年で撤廃されていました。試合は32分6秒、田上がコーナーポスト最上段からのダイビング・キック(片足蹴り)で小橋をエビ固めで破り、王座獲得。

セミファイナルは三沢&大森隆男組とスティーブ・ウイリアムス&UWFインターナショナルから95年に移籍してきたゲーリー・オブライト組でオブライトが投げっ放しフルネルソン・スープレックスからのエビ固めで大森をフォール。

世界ジュニア・ヘビー級王者マウナケア・モスマンはリッキー・サンタナを破り王座を防衛。モスマンはジュニアにしては身体が大きく、ヘビー級に転向し後にベルト返上しています。

また、2日前の1月23日、後楽園ホールで自身の60歳の誕生日に還暦記念マッチを行った馬場は&ラッシャー木村&百田光雄とのファミリー軍団で渕正信&永源遙&菊地毅組の悪役商会と対戦、13分10秒、馬場の16文キックから百田が首固めを決め永源をフォールしファミ軍が勝っていますが、1年後にはまさかの他界となりますので、これが最後の横浜文体出場となりました。

馬場はこの年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」12月2日、松本市総合体育館大会の会場入りの前に体調不良を訴え東京に戻り、松本大会と翌日の12月3日、ツインメッセ静岡大会を欠場。12月4日の千葉公園体育館には復帰し、ファンを安心させています。最終戦の12月5日、日本武道館に出場した後、12月7日に東京・西新宿の東京医科大学病院に検査入院しましたが…。

馬場不在で迎えた99年の「新春ジャイアント・シリーズ」1月15日、横浜文体(テレビ収録)大会は6,200人超満員発表という大観衆を動員。私はこの興行も生観戦していますが、初めて横浜文体に参戦した84年12月12日の「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦同様、立錐の余地もない程ギッシリ入っています。

それもそのはずで、メインイベントは小橋とベイダーのシングル初対決。ベイダーは新日本プロレスのレギュラーでしたが、92年にWCWへ新日本経由で行ってから新日本と疎遠になり93年5月にUインターに参戦、「ビッグバン・ベイダー」のリングネームを新日本が商標登録していた為に「スーパー・ベイダー」を名乗りました。

96年1月4日の東京ドーム大会で1度だけ新日本プロレスに戻り猪木と対戦していますがWWFへ移籍、WWFとパイプを持っていたビクター・キニョネスのブッキングで97年9月28日、FMWの川崎球場大会に来日しケン・シャムロックと金網デスマッチで対戦しました。

全日本プロレスへは98年5月1日、東京ドーム大会に初参戦、11月の「世界最強タッグ決定リーグ戦」からレギュラー参戦しスタン・ハンセンとの強力タッグでエントリー。リーグ戦に全勝しながらも優勝決定戦で小橋&秋山組の「バーニング」に敗れ優勝を逃しました。

小橋との初シングル戦はケレン味なしの真っ向勝負となり16分59秒、ビッグバン・クラッシュからの片エビ固めでベイダーが勝ちました。

セミファイナルは三沢&みちのくプロレスから参戦の新崎人生組と川田&田上組が対戦、みちのくでは重量級の人生も全日本の四天王の中に入ると小さく感じられ、川田のパワーボムからのエビ固めで敗れました。

小川良成の世界ジュニア・ヘビー級王座にはUインター→キングダム、キングダム崩壊後、高山善廣の誘いで全日本プロレスに参戦した垣原賢人が挑戦、掌底と蹴り、関節技で小川を追い込みましたが小川が老獪さを発揮、腕ひしぎ逆十字固めに来た垣原を押し潰してエビ固めに丸め込んでフォール勝ちで王座防衛を果たしました。

入院治療中だった馬場でしたが末期のS字上行結腸癌に冒されており、1月31日午後4時4分、肝不全の為に61歳で亡くなっています。

また、馬場の愛弟子鶴田も肝炎と闘いながらスポット参戦を続けて来ましたが2月20日に引退を表明、3月6日、日本武道館で引退セレモニーを行い、引退後はオレゴン州ポートランドの大学で客員教授を務める為に渡米しました。

5月2日、東京ドームで行われた馬場「引退」興行の後、行われた役員会で三沢の新社長就任が発表され川田、小橋、百田光雄らも役員になりましたが元子未亡人はオーナーとして実質的に会社を支配していました。
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