前回書きました81年5月のアブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス移籍に端を発した全日本プロレスと新日本プロレスの引き抜き抗争は、タイガー戸口、ディック・マードックが新日本へ。タイガー・ジェット・シン、上田馬之助、またチャボ・ゲレロが新日本で木村健吾から奪取したNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座のベルトを持ったまま全日本へ移籍。
しかし、興行戦争では新日本プロレスが圧勝しこのまま全日本プロレスは敗れるかと思いきや、年末の12月13日、全日本の蔵前国技館大会に新日本の強さの象徴であるスタン・ハンセンが全日本へ移籍し、新日本はまさに9回二死、代打逆転満塁ホームランを打たれた形で全日本に引き抜き抗争では完敗を喫しました。
そんな状況で幕開けした82年「新春ジャイアント・シリーズ」。最終戦の2月4日、東京体育館ではハンセンが馬場のPWFヘビー級王座に挑戦するビッグマッチが組まれていますが、その1日前の2月3日、この年初の横浜文化体育館(テレビ収録、観衆5,400人満員発表)が開催されています。
メインイベントは馬場&鶴田組の保持するインターナショナル・タッグ王座にAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルと、ハンセン移籍の陰に隠れた感はありますが新日本のレギュラー外国人だった「ロシアの白熊」ニコリ・ボルコフ組の異色タッグが挑戦。
1本目は11分2秒、カウンターのキチンシンクに来たボルコフを鶴田がエビ固めに丸め込んで先制のフォール。2本目は5分12秒、ボルコフが鶴田をベアハッグに捕らえたまま腰を落とし、水平に仰向けに固定。そこへニックがコーナーポスト最上段からフライング・ニードロップを決め、試合権利のあるボルコフが鶴田を体固め。
決勝の3本目は4分45秒、鶴田がボルコフを回転エビ固めでフォール。2−1で鶴田がボルコフから2フォール奪って馬場&鶴田組が12度目の王座防衛に成功しました。
注目のハンセンはセミファイナルに登場、プリンス・トンガ(キング・ハク)とシングルマッチで対戦、5分11秒、ウェスタン・ラリアットからの体固めで完勝しています。
セミ前に組まれたのはミル・マスカラスとメキシコから来たトップルード、アルフォンソ・ダンテスとシングルマッチで9分1秒、ダイビング・ボディアタックからの片エビ固めでマスカラスの勝利に終わりました。
この年には秋にも10月1日、「ジャイアント・シリーズ」開幕戦が横浜文体(テレビ収録、観衆3,200人発表)で開催されています。秋の陣ジャイアント・シリーズはこれで3年連続の開催となりました。
メインイベントは馬場&鶴田組vsブルーザー・ブロディ&ボルコフ組のノンタイトル戦。ブロディ&ボルコフ組は10月9日、高知県民体育館で馬場&鶴田組の保持するインターナショナル・タッグ王座に挑戦が決定しており、その前哨戦でした。なお、全日本プロレスはこの年5月14日、「エキサイト・シリーズ」開幕戦から通常興行での3本勝負を「原則」撤廃しており60分1本勝負となりました。
ボルコフはこの年2度目の来日、パートナーを超獣ブロディに代えて再びインターナショナル・タッグ王座に照準を定めました。試合は8分57秒、ブロディが場外で馬場をダウンさせてリングアウト勝ち。前哨戦を挑戦者チームが制しています。
セミファイナルでは大仁田厚とチャボ・ゲレロのNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座決定戦三番勝負の第1戦。
前述しましたように、同王座はチャボが80年11月3日、新日本の蔵前国技館大会で木村健にリングアウト勝ちし王座獲得。チャボは翌81年1月に新日本に来日する予定でしたが、ブッカーのマイク・ラーベルと折り合いが悪くなり、5年間活躍していたロサンゼルスを去ることになりました。
この時点ではベルトは新日本の所管でしたが、チャボは業界のルールを破りガチでベルトを持ち逃げし、テキサス州ヒューストンヘ転戦、ヒューストンでジノ・ヘルナンデスに1度は敗れ王座を奪われましたが直ぐに奪回。引き抜き抗争を巧みに利用して馬場にベルトごと売り込んで全日本へ移籍、8月の「スーパー・アイドル・シリーズ」に参戦。
軽量級の選手を評価しない馬場の方針もありこの時全日本の所属選手にはジュニア・ヘビー級のタイトルコンテンダーとなる人材がおらず、9月7日、福山市体育館でドスカラスの挑戦を受け1−1から両者リングアウトで王座防衛。
馬場はアメリカ修行中だった大仁田厚に白羽の矢を立て82年3月7日、ノースカロライナ州シャーロッテ・コロシアムで14分40秒、エビ固めでチャボを破りNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を獲得。馬場の期待に応えてみせました。
大仁田は日本に凱旋帰国する前に馬場の命を受けてルチャムーブを修得する為にメキシコ入り。しかしサングレ・チカナに敗れてベルトを奪われてしまいますが、1週間後に奪い返し、エル・ハルコン、フロリダでドン・ダイヤモンドを相手に王座防衛し5月に凱旋帰国。
ジェイ・ヤングブラッド、ウルトラセブンと防衛した後、7月30日、川崎市体育館で元王者チャボのリターンマッチを受けました。この試合、チャボの放ったジャーマンがブリッジが低く、両者ダブル・フォールの裁定が下り、タイトルはPWF本部預かりに。
全日本は「新日本からチャボが持ってきたベルト」を封印し新たにインターナショナル・ヘビー級、同タッグと同じデザインのベルトにリニューアル、大仁田とチャボとの王座決定戦三番勝負を行うことになりました。先に2勝した方が新王者です。
この日の第1戦は11分48秒に大仁田がブロックバスターから体固めを決めてまず1勝をあげてみせました。第2戦の10月20日、青森県営体育館ではチャボがジャーマンで勝ち、タイスコアに持ち込みました。最終戦の11月4日、後楽園ホールでの第3戦は大仁田が逆さ押さえ込みでチャボをフォールし2勝を挙げて王座返り咲きを果たしていますが、試合後、腹の虫が収まらないチャボが壊したトロフィーの先端で大仁田の左腕上腕部をメッタ刺しにしてしまいました。
さて、前回も書きましたが、テキサスブロンコ、テリー・ファンクの引退まで月日はあっという間に流れ、記者会見から3年後の83年。39歳の誕生日である6月30日には実現出来ませんでしたが、馬場は8月31日、蔵前国技館にテリーの引退試合を持って来ました。
それに先立ち「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�掘廚鬟謄蝓爾気茲覆薀轡蝓璽困箸靴胴圓Δ海箸坊萃蝓�シリーズ終盤の8月2日には横浜文体大会が開催され、5,500人(満員発表)の観客を動員しました。
メインイベントは鶴田とシンのシングルマッチ(ノンタイトル)で11分51秒、両者リングアウト。テリーは上田馬之助とのシングルマッチ。テリーは上田をテキサス・クローバーホールドに捕らえましたが、この後のメインに登場するシンが乱入、8分41秒、テリーの反則勝ちとなっています。
テリー引退試合の相手はブッチャーに代わり世代闘争とも言うべき遺恨のハンセンが来るのはわかっていましたが、その前段階でのテリーの対戦相手は、新日本プロレスから移籍してきたシン&上田では感情移入し辛かったのも事実でした。引退までにはブッチャーと一夜限定で一戦交えて欲しかったとも思います。
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