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2020年09月12日23:47

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ありがとう!横浜文化体育館(4)

今年20年3月で旗揚げ48周年を迎えた現存する日本最古の老舗プロレス団体、新日本プロレスの横浜文化体育館での興行初開催は、旗揚げ2年目の73年2月20日、「新春バッファロー・シリーズ」でした。近郊の川崎市体育館が旗揚げして間もなくから使用されていたことに比べると旗揚げ1年近く経ってからの進出は意外と遅いと感じます。(猪木の30歳の誕生日でもある。)

日本プロレスがあった当時は同社取締役であった遠藤幸吉の地盤だった為、なかなか手が出し辛かったのは事実でしょう。

「新春バッファロー・シリーズ」のネーミングですが、使われたのはこの年一度限りで、新日本プロレスの象徴の動物と言えばライオンであり、猛牛ではないのですが、この73年が丑年であったことから命名されています。

横浜文体大会のメインイベントは猪木&柴田勝久(柴田勝頼の父親)組とトニー・チャールス&ジェフ・ポーツ(スコット・マギーの父親)組の英国コンビの対戦で、1本目は15分38秒、柴田がポーツを体固め。2本目は8分10秒、チャールスが柴田を体固め。3本目は6分24秒、猪木がチャールスを体固めに決めて2−1で猪木&柴田勝久組の勝利。 

セミファイナルはマスクマンのザ・タイガー(正体はキウイズ、ザ・シープハーダーズ、ブッシュワーカーズ等のチーム名で知られるタッグチームの片割れブッチ・ミラー、パートナーはスウィート(ルーク)・ウイリアムス)が山本小鉄を11分49秒、体固めで破り、前72年3月6日、大田区体育館での旗揚げ興行に来場、「テレビ放送がつくまで」との約束で復帰を果した豊登がブルーノ・ベッカーを5分49秒、逆片エビ固めでギブアップさせています。

まだ坂口征二が加入しNET(テレビ朝日)の中継が始まる前のノーテレビ時代の興行でした。元週刊ゴング編集長、「熱血プロレス・ティーチャー」小佐野景浩氏の初プロレス観戦はこの大会とのことです。

4月に坂口、小沢正志(キラー・カーン)木村聖裔(たかし、健吾、健悟)、大城勤(大五郎)が移籍、NETの中継もスタートし躍進する新日本プロレスですが、日本プロレスが4月20日に興行活動を停止すると、取締役だった遠藤はロサンゼルスのマイク・ラーベルとの外国人ルート提供の見返りに、NETの解説者に復帰。(日本プロレス時代から同局の中継の解説をしていた)以後、新日本プロレスの横浜文体は遠藤が興行を買うことになりました。

2回目は同年10月12日、「闘魂シリーズ」最終戦のテレビ生中継。2日後の14日、蔵前国技館で坂口と組んでルー・テーズ&カール・ゴッチ組と「世界最強タッグ戦」で対戦する猪木がメインイベントでビクター・リベラを卍固めでギブアップさせて、「テーズ&ゴッチ何するものぞ!」と気合いの入ったところを見せています。

75年3月7日にもテレビ生中継が組まれ、翌週から2度に亘りタイガー・ジェット・シンとNWF世界ヘビー級王座決定戦二番勝負を行う猪木がタッグでシンと前哨戦で対戦。猪木&星野勘太郎組vsシン&マイティ・ズール組というカードが組まれ、1本目は13分35秒、猪木がストロング小林との初戦(74年3月19日、蔵前国技館)以来のジャーマン・スープレックスホールドでズールを降しましたが、

2本目は6分44秒にシンが星野を体固め、決勝の3本目はこれまでコブラクロー以外に技らしい技は何も出さなかったシンがブレーンバスターを猪木にかけて、4分16秒、体固めで猪木のフォール負けという衝撃の結末。これが尾を引いて猪木は3月13日、広島県立体育館でのシンとの王座決定戦に敗れ、3月20日の蔵前国技館のリターンマッチでも両者リングアウトで逃げられ、ベルトを海外に流失させました。

76年12月8日には新日本プロレスで初めて横浜文体でタイトルマッチが組まれ、(テレビ収録)坂口&S小林組がパット・パターソン&ラリー・へニング組を2−1で破り北米タッグ王座5度目の防衛に成功しています。この日は「闘魂シリーズ第2弾」最終戦12月9日、蔵前国技館(メインイベントは猪木vsウィリエム・ルスカの格闘技世界一決定戦の再戦)の前日の興行でした。

77年2月9日、「新春黄金シリーズ」で2シリーズ連続で横浜文体大会が組まれ、メインイベントでは猪木が新日本プロレス初参戦となったスタン・ハンセンとシングルマッチで対戦、9分58秒、逆さ押さえ込みで猪木が勝っていますが、この時も最終戦2月10日、日本武道館大会の前日でした。(但しノーテレビ。メインイベントは猪木とシンのNWFヘビー級王座戦)

遠藤がプロモーターをしていたせいか、新日本プロレスの横浜文体は地方を回って最終戦の大会場の前にコース割りとして関東近郊大会に組まれる「消化試合」的な興行が多く、「新日本プロレスの横浜文体は客が入らない」というのが定説になっていました。

78年12月13日には「プレ日本選手権」が開催され、決勝トーナメント準決勝で狼軍団の首領、ヒロ・マツダが坂口を10分、首固めで破り優勝決定戦進出を決めています。メインイベントは猪木&藤波辰巳&木戸修組が上田馬之助&マサ齋藤&サンダー杉山組を2−1で降しています。

画期的と思われたのが79年4月27日にテレビ生中継として開催された「第2回MSGシリーズ」の開幕戦が行われたことです。

元NWA世界ヘビー級王者、ジャック・ブリスコが新日本プロレスに初参戦。「全日本プロレス系大物外国人」が初めて新日本プロレスのリングに上がった記念すべき大会。ブリスコは公式戦には参加しない前半戦特別参加でしたが、ブリスコの新日本初戦を迎え撃ったのはWWFジュニア・ヘビー級王者の藤波。11分42秒、後方回転エビ固めでブリスコが勝ちましたがなかなかの好試合でした。

また公式戦予選トーナメント1回戦でハンセンと上田が対戦。「やられっ放しの上田が反則負けで逃げるだろう」という大方の予想を覆し、7分7秒、ウェスタン・ラリアットからの体固めでハンセンが豪快にフォール勝ち。観客とテレビ視聴者の溜飲が下がりました。

この完勝でハンセンは「覚醒」。シリーズ中盤の決勝リーグ戦から参戦のアンドレ・ザ・ジャイアントと5月18日、新潟市体育館で公式戦で対戦、アンドレを凶器入りサポーターでのラリアットで額を割って流血させて追い込み、両者リングアウトに持ち込み、アンドレと互角に闘える外国人として一気に新日本プロレス外国人のトップの座に昇りつめました。6月7日、蔵前国技館ではアンドレを押えて猪木と優勝決定戦を行い、敗れていますが翌80年2月8日には東京体育館で猪木にリングアウト勝ちしNWFヘビー級王座を獲得しました。それ以降のハンセンの活躍ぶりは言うまでもないところです。

横浜文体開幕戦のメインイベントは猪木&長州組がM齋藤&Vリベラ組を2−1で撃破しました。

豪華カードを提供した第2回MSGシリーズ開幕戦でしたが、観客は2,500人発表と満員には程遠い入りでした。
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