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2020年09月09日23:15

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ありがとう!横浜文化体育館(1)

今年20年9月6日を以て、神奈川県横浜のプロレスの聖地とし数多くの名勝負、名興行を生み出した横浜文化体育館が58年の歴史に幕を閉じました。そこで今回より、横浜文化体育館の功績を讃え、長い間ありがとう、という意を込めて短期集中連載として「ありがとう!横浜文化体育館」をお送り致します。

横浜文化体育館は62年(昭和37年)5月に横浜市中区不老町2−7に開館、観客席2,999席、アリーナに観客席を設置すれば最大5,000人以上の収容が可能。(90年代位迄は会場の定員が6,000人、消防法により削減された)5月11日に落成式が行われ、正式に開館したのが5月23日、そして記念すべき体育館のこけら落としとなったイベントは、何とプロレスでした。

日本プロレスの「第4回ワールド・リーグ戦」第28戦が開催されています。メインイベントは6人タッグマッチ(60分3本勝負)で結果は次の通り、力道山&豊登&遠藤幸吉組(2−0)フレッド・ブラッシー&バディ・オースチン&マイク・シャープ組� ̄麁�(14分25秒体固め)ブラッシー��遠藤(4分37秒反則勝ち)ブラッシー。という記録が残されています。

セミファイナルはシングルマッチ(45分3本勝負)ルー・テーズ(2−0)吉村道明で�.董璽此複絞�45秒体固め)パイルドライバー �▲董璽此併邱臺�棄)となっております。テーズのパイルドライバーはドリルアホール式ではなく、リバース・スラムとテーズ自身が呼んでいた「固めない」パワーボムの原型のような荒技でした。

吉村はテーズのリバース・スラムを食らって失神、立ち上がれず2本目を試合放棄しました。

馬場は海外武者修行中の為試合には出ておらず、横浜市鶴見区生麦町出身の猪木はデューク・ホフマンと30分1本勝負で対戦、4分50秒、体固めで敗れています。猪木にとっては地元凱旋マッチのはずですが、力道山存命中は「ブラジル生まれの日系二世」という触れ込みになっていたので、地元凱旋マッチとは観客には知らされていませんでした。

日本プロレスでは、遠藤幸吉がプロモーターをやっており、特段ビッグマッチを組まなくとも超満員の観客が入ったところから、大きな興行は数えるほどしかありません。通常興行をやるにはやや大きく、タイトルマッチを行うには小さな会場だったのでしょう。力道山死後もアジア・タッグ選手権試合は行われましたが、インターナショナルのシングル、タッグ両選手権試合ともBI砲両立時代の開催はありません。(UN王座も同様)

しかし特筆すべきは67年5月17日、第9回ワールド・リーグ戦の優勝決定戦が行われ、馬場がザ・デストロイヤーを2−1で破り2連覇を達成しています。この時は7,000人発表の大観衆を動員しました。これまでワールド・リーグ戦の優勝決定戦と言えば、61年の第3回の大阪府立体育会館を除く7回とこれ以降第10、第11、第14の10回が東京体育館、第12回が日大講堂、第13回が府立だけに快挙と言って言いでしょう。

力道山死後、横浜出身をカミングアウトした猪木は地元横浜文体でも名勝負を展開。70年7月28日には初来日のテリー・ファンクとシングル初対決、反則含みながら2−1で勝利を収め、また同年11月27日には東京プロレス旗揚げ戦以来のライバル、ジョニー・バレンタインとシングルマッチを行い、1−1から時間切れ引き分けとなりました。(いずれも45分3本勝負)

71年12月に会場乗っ取りを企てたクーデター犯として猪木が日本プロレスを除名・追放処分となり新日本プロレスを設立、馬場も猪木離脱の影響から後発で日本プロレスを放送していたNET(テレビ朝日)の画面に登場したことによる日本テレビの放送打ち切りにより日本プロレスを退団、全日本プロレスを旗揚げと1年足らずの間にBIが相次いで独立し窮地に陥った日本プロレスは72年12月1日、馬場が返上していったインターナショナル王座決定戦を横浜文体で開催。ボボ・ブラジルが大木金太郎を2−1で破り王座獲得。(3日後の12月4日、広島県立体育館で大木がブラジルを降し雪辱、悲願の「力道山先生の形見」のベルトを獲得する)

末期の73年に入ると、日本プロレスは横浜文体と大阪府立体育会館の使用頻度が増えます。2つとも所管が自治体であり、会場使用料がキャパとアクセスからして破格に安かったからです。90年代終わりに私が調べたところでは後楽園ホールが平日85万円前後、土日が90万円前後だったのに比べ、横浜文体は平日、土日関わらず57万円でした。この使用料のリーズナブルさが、閉館までインディーズや女子プロレス団体のビッグマッチ会場として長く使われてきた所以と言えます。

73年3月2日、「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」横浜文体大会で坂口征二はJバレンタインに敗れてUN王座から転落。3月8日、栃木・佐野市民会館で高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)がバレンタインを降して同王座を奪還。坂口はインターナショナル・タッグ、アジア・タッグのベルトも手放し猪木の新日本プロレスに合流。

同時に日本テレビの放送打ち切り後も日本プロレスを放送していたNETは4月から猪木、坂口の二枚看板が揃った新日本プロレスの放送に鞍替え。テレビ放送を失った日本プロレスは選手会の運営により大物フリッツ・フォン・エリックを招聘して「アイアン・クロー・シリーズ」を開催。

日本プロレスは2シリーズ続けて横浜文体を使用。4月19日に行われた大会では新UN王者となった高千穂がキラー・カール・クラップを2−1で破り同王座を初防衛。しかし力尽きた日本プロレスは翌4月20日、群馬県吉井町体育館大会を最後に興行活動を休止。19年の歴史にピリオドを打ちました。
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