77年全日本プロレス「世界オープン・タッグ選手権」最終戦は12月15日、蔵前国技館(テレビ収録、観衆12,000人超満員発表)。夢のタッグの祭典の優勝が決まります。
先ず国際プロレス勢ですが、ラッシャー木村&グレート草津組は前日まででリーグ戦全日程は終了。この日はエース、R木村は試合が組まれず。出来れば、蔵前という大会場ですから、アンダーカードでもR木村の試合を組み、公式戦のないホースト・ホフマン、ジム・デュランあるいはサムソン・クツワダを豪快なパワーファイトで撃破して欲しかったと思いました。
ちなみにホフマンとクツワダはこの日シングルマッチを行い、サイド・スープレックスからの体固めでホフマンが勝っていますが、負けたクツワダは後になって表面化しますが、新団体結成に向けて動き、鶴田を誘っていたことが馬場に発覚し全日本プロレスを解雇されており、これが最後の試合となってしまいました。
今の時代のようにインディー団体がある時代ではないのでクツワダは上がるリングがなくなってしまった訳です。ホフマンも結果的にこれが最後の来日になりました。
草津は国際プロレス時代に何回も対戦しているビル・ロビンソンとシングルマッチで対戦。ロビンソンvs草津はロビンソンが初代IWA世界ヘビー級王者時代の69年1月1日、宮崎県営体育館(日本プロレス史上、初の元日興行、新日本プロレスが82年元日に後楽園ホールで猪木vsローラン・ボック戦をメインに開催する13年も前)、70年5月18日、千葉・館山市民センターで2回ベルトを賭けて闘った他、シングルでは多数対戦していますが、草津が勝ったことはありません。
決戦の舞台を全日本プロレスに移しての久々の対戦は12分14秒、ワンハンド・バックブリーカーからの体固めでロビンソンが完勝しています。
マイティ井上&高千穂明久組はザ・デストロイヤー&テキサス・レッド組との最終公式戦。14分16秒、デストロイヤーが高千穂を回転エビ固めでフォール。デストロイヤー&レッド組は2勝6敗の4点でリーグ戦を終了。
M井上&高千穂組は天龍&ロッキー羽田組に時間切れ引き分けのみ7敗1時間切れ引き分けの1点、天龍&羽田組も同じくM井上&高千穂組との時間切れ引き分けの1点だけに終わり、7敗1時間切れ引き分けの1点で同点最下位に終わりました。
セミファイナルは馬場&鶴田組vs大木金太郎&キム・ドク組の日韓師弟コンビ対決の公式戦。11月7日、韓国・ソウル市文化体育館で大木&ドク組に敗れ、インターナショナル・タッグ王座を奪われ、11月25日、前橋・群馬県スポーツセンターでのリターンマッチでも両チームリングアウトで逃げられている馬場&鶴田組はまさに背水の陣。
13分39秒、馬場がドクをランニング・ネックブリーカードロップからの体固めでフォールし、6勝1敗1時間切れ引き分けの13点で次のメインイベントの結果待ち。大木&ドク組は4勝3敗1両リンの8点でR木村&草津組と同点4位が確定しました。
メインイベント、最終公式戦ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスvs地上最悪コンビ、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組の一戦はブッチャーがフォークを持ち出してテリーの左上腕を突き刺すという凄惨な展開となりました。
この攻めをしのいだファンクスは反撃、今度はシークが凶器でドリーを攻撃、しかしシークは凶器を落としてしまい、ドリーに取られてしまいます。
凶器を奪われてエキサイトしたシークはレフェリーのジョー樋口に暴行。14分40秒、シークの反則負けが取られ、ファンクスが6勝無敗2時間切れ引き分けの最多14点となり優勝。ブッチャー&シーク組は6勝1敗1両リンの12点で3位となりました。
R木村&草津組は敢闘賞を受賞しています。
また同年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」ではR木村がIWA世界ヘビー級王座を年間を通して守り抜いたことで、最高殊勲選手賞を受賞。最高殊勲選手賞は準MVPでした。(MVPである最優秀選手賞は猪木、年間最高試合賞、ベストバウトは8月25日、全日本プロレス田園コロシアムでの鶴田vsミル・マスカラスのUNヘビー級選手権試合が選出された)
また他団体のベルトであるアジア・タッグ王座を獲得したまま年越しを決めたM井上&アニマル浜口組が殊勲賞を受賞しています。
吉原の言う「試合の勝敗よりも内容が大事」という方針が良い形で結果に出たのが77年でしたが、翌78年の序盤には、この貯金を一気に吐き出さなくてはならなくなります。
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