国際プロレスはエース、ストロング小林の離脱、TBSの放送打ち切りというダブルショックに見舞われましたが、さらなる衝撃が…。
ノーテレビ体制で心機一転の巻き返しシリーズとなる74年「チャレンジ・シリーズ」にカナダ遠征から凱旋帰国する大剛鉄之介が帰国直前の3月18日、カナダのカルガリー郊外のフリーウェイでアイスバーンによる自動車転落の交通事故を起こし、右足切断を余儀なくされるアクシデントが発生しています。大剛はレスラー生活を断念せざるを得なくなっています。
大剛は73年4月の「ダイナマイト・シリーズ」に来日したマッドドッグ・バションにその思い切りのいい試合ぶりを買われ、吉原に「俺に預けてみないか」と打診。バションが主宰していたカナダ・モントリオールのGWAへ海外修行に出発。トーキョー・ジョーのリングネームでヒールとして活躍。カルガリーのマットにも上がっていました。車には同じく修行中のはデビル紫が同乗していましたが、こちらは軽傷で助かっています。
国際プロレスでは開幕戦の3月26日に、大剛の出身地である仙台・宮城県スポーツセンターを押さえて、晴れの凱旋帰国マッチを組む予定でしたが残念ながら主役なき開幕戦に。
国際プロレス最大のピンチに自身の全日本プロレス旗揚げ時、選手を移籍、レンタル参戦してくれた吉原の恩に報いる為に馬場が立ち上がり、所属である大熊元司、高千穂明久、サムソン・クツワダを連れて4人で国際プロレスのチャレンジ・シリーズに友情参戦しています。
馬場ら全日本プロレス勢は3月26日、仙台の開幕戦から4月10日、出雲市体育館まで約2週間に亘り参戦。苦戦が予想された地方興行でしたが、観客動員はまずまずでした。
馬場はチャレンジ・シリーズに初来日していたセーラー・ホワイトを気に入り国際のシリーズ終了後も4月13日、船橋ヘルスセンターローラースケート場で開幕した全日本プロレスの「第2回チャンピオン・カーニバル」に参戦させています。ホワイトは全日本参戦後も日本に残り、5月11日、新潟県五泉市民会館で開幕した国際プロレスの次期「ダイナマイト・シリーズ」にも継続参戦しました。
全日本プロレス旗揚げ時、敵に塩を送った吉原の経営者判断はピンチの時に吉原を救いました。これにより翌75年以後、全日本プロレスとの提携は強化されていきますが、主導権は馬場に握られてしまうことになります。
そのダイナマイト・シリーズにはビル・ロビンソンが来日。S小林の離脱による王座返上で空位になっていたIWA世界ヘビー級王座決定戦にAWA代表として出場が決定。
日本側代表は5月26日、豊田市体育館でラッシャー木村と草津が日本代表決定戦を行いR木村が勝利。6月3日、後楽園ホールでロビンソンと王座決定戦を行うことになりました。
王座決定戦はロビンソンが2−1でロビンソンが勝ち4年ぶりに第7代王者に返り咲きましたが、この試合を東京12チャンネルが同日20時より単発で生放送。
窮地の吉原に救いの手を差し伸べたのは吉原の早稲田大学レスリング部の同期で東京12チャンネル運動部長の白石剛達(たけみち)でした。東京12チャンネルはこの日の視聴率がまずまずだったところから「秋からのレギュラー放送」の方針に動いていきます。
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