国際プロレス73年最終シリーズ「ビッグ・ウィンター・シリーズ」には当時の未だ見ぬ強豪の最有力候補であった"狼酋長"ワフー・マクダニエルが待望の初来日を果たしました。
吉原、グレート草津ラインで徐々にランクを落とされつつあったIWA世界ヘビー級王者、ストロング小林は11月2日、仙台・宮城県スポーツセンターで同王座の当時最多挑戦(4回目)となるレッド・バスチェンを破り25回目の防衛を果たしましたが、11月9日、和歌山県那智勝浦観光会館でワフーに2−1で敗れて2年5か月保持していた王座からついに転落。
11月14日、長野市民体育館でのリターンマッチは1−1から両者リングアウトの引き分けとなりワフーが初防衛に成功しています。
「もう一度挑戦させて欲しい」というS小林のアピールにより、シリーズ最終戦の11月30日、後楽園ホールで最後のチャンスとしてワフーへの2度目のリターンマッチが決定しましたが、その2日前の11月28日、横浜文化体育館で草津とワフーが金網デスマッチでのインディアン・ストラップマッチで対戦しています。
インディアン・ストラップマッチはワフーがアメリカで最も得意としていた試合形式で、ストラップ(革紐)でお互いの両手首を繋ぎ、反則OK。勝敗は倒した相手を引き摺って4箇所のコーナーポスト全てにタッチして決するというルール。
通常は金網デスマッチの併用はアメリカではやりませんが、そこは国際プロレス流ということでしょう。
草津はラッシャー木村と組んでIWA世界タッグ王座を保持していましたが実質的にはS小林、R木村に次いでナンバー3のポジションであり、ストラップの使い方をよく分かっているワフーが草津をコーナーポストタッチの上破るだろうと言うのが大方の予想でした。
しかし、結果は逆で、草津はワフーの攻撃に大流血しながらも、ダウンしたワフーを引き摺って4隅のコーナーポストタッチに成功。草津がワフーの得意とするインディアン・ストラップマッチで現役IWA世界王者のワフーを破ってしまいました。
敗れたワフーは「金網に慣れていなかった」と敗因の弁を述べていますが普通なら草津が勝つことはまずないと思われます。2日後の11月30日、後楽園ホールでS小林がワフーのIWA世界ヘビー級王座に挑戦、反則含みながら2−1で勝利を飾り、ベルト奪回に成功しましたがワフーからは2フォールは奪えずに終わっています。
また、馬場の全日本プロレスは10月の「創立1周年記念ジャイアント・シリーズ」に鶴田友美が凱旋帰国。10月9日、蔵前国技館では馬場と組んでドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組の保持するインターナショナル・タッグ王座に挑戦。1本目、テリーをジャーマン・スープレックスホールドでフォールすると言う大仕事をやってのけました。(1−1から61分時間切れ引き分け)
鶴田はリングネームを「ジャンボ鶴田」と改め、馬場の後継者としての王道を歩み始めています。
また、64年東京五輪柔道金メダリスト、オランダのアントン・へーシンクが日本テレビ主導によりプロレスに転向し全日本プロレス入団を表明。全日本プロレスに吸収合併ざれた日本プロレスの残党達は案の定馬場と軋轢が生じ、10月9日の蔵前国技館大会を最後に上田馬之助、松岡厳鉄が去り、大木金太郎もシリーズ終了後に全日本プロレスを離れています。
坂口征二とNETを獲得し息を吹き返した猪木の新日本プロレスは遠藤幸吉を解説者に起用することで、日本プロレス時代に親密関係にあったロサンゼルスのマイク・ラーベル主宰の「NWAハリウッド・レスリング」とのパイプが出来、少しづつながらアメリカの名の知れた外国人選手を呼べるようになりました。
また、5月に初来日したタイガー・ジェット・シンと猪木の抗争がエスカレートして人気を博しました。11月5日には新宿伊勢丹前にて買物中の猪木夫妻をシン、ジャック・ルージョー、ビル・ホワイトが路上襲撃する事件が発生。警官隊が出動し大騒ぎとなりましたが大きな話題を提供しました。
12月10日には東京体育館で猪木がジョニー・パワーズを破りNWF世界ヘビー級王座を獲得。新日本プロレスに待望のベルトをもたらしました。
1年間で日本プロレス界は大きく再編され、新日本プロレスと全日本プロレスは躍進を見せましたが、国際プロレスは72年と比べると後退した感は否めませんでした。
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