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2019年08月28日22:21

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猪木とビンス(510)最終章

日本プロレスが73年4月20日、群馬県吉井町体育館大会を最後に19年間の興行活動を停止したことで、日本プロレスの「残党」と言われた国内で試合に出ていた大木金太郎、上田馬之助、高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)グレート小鹿、松岡厳鉄、ミツ・ヒライ、桜田一男(ケンドー・ナガサキ)、羽田光男(ロッキー)、伊藤正男の9選手は芳の里社長が敬子未亡人に頼み込んで力道山家(百田家)の仲介で馬場の全日本プロレスのリングに上がることになりました。

敬子未亡人、田中敬子さんとは闘魂ショップ水道橋店で何度かお話をさせて頂いたことがありますが、敬子さんが本当に嫌っていたのは遠藤幸吉だけで、芳の里に関しては悪い感情は持っていなかったようです。

この時も、愛弟子、鶴田友美の凱旋帰国を視野に入れ、日本陣営も充実して来た馬場は「要らない」と不快感をあらわにしています。しかし力道山家の仲介とあっては無碍に断ることも出来ず、また、日本テレビから支度金も出た為、大木達は6月30日、行田市体育館で開幕の「サマー・アクション」(実は末尾に『シリーズ』がついていなかったことが判明)から全日本プロレスのリングに上がることになった訳です。

それでも「対等合併と聞かされていた」(大木)、「潰れた会社の人間が、対等な訳ないだろう」(馬場)と両者の主張は最初から相反するものでピリピリとした緊迫ムードで全日本プロレスの新体制がスタートしています。

国際プロレスでは73年に入ってからはストロング小林がザ・プロフェッショナル(ダグ・ギルバート、後にW★INGに来た選手とは別人)、ホースト・ホフマン、マッドドッグ・バション、エドワード・カーペンティア、イワン・コロフ、ダスティ・ローデス、ディック・マードックと蒼々たるメンバーを相手に累計23回連続防衛に成功、日本プロレス時代の馬場のインターナショナル王座連続21回の記録を抜きました。

欧州遠征から凱旋帰国したラッシャー木村が吉原にS小林への挑戦を直訴。「日本人トップレスラーの同門同士は闘わず」というこれまでの日本マット界の不文律を破った同門によるIWA世界ヘビー級選手権試合が7月9日、大阪府立体育会館で行われ、1−1からの3本目、S小林がバックドロップからR木村をフォールし24度目の防衛を果たしましたが、この日の観衆は4,500人発表と満員には届かない入りでした。

この頃より、前72年7月にアメリカ遠征から帰国したグレート草津がマッチメーカーとして手腕を振るうようになり吉原とのリレーションが構築され、客の呼べない不甲斐ないエースであるS小林と吉原、草津ラインでの確執が生じることになります。

全日本プロレスのチャンピオン・カーニバル開催に対する配慮から、秋に開催と発表していた「第5回IWAワールド・シリーズ」は9月8日、日大講堂で開幕。

ブラックジャック・マリガン(ボブ・ウィンダム)、ラーズ・アンダーソン、ムース・ショーラック、ウィリアム・ホール、デール・ルイス、ボブ・ブラッガーズ、フリッキー・アルバーツ、初来日となるバーン・ガニアの息子、グレッグ・ガニアらの外国人選手が参加しました。外国人勢は第3、4回に比べると若干メンバーが落ちました。

AB2ブロック制の総当たりリーグ戦でR木村、草津、マリガン、アンダーソンがベスト4に残り、10月10日、長崎国際体育館での決勝トーナメントでは草津とアンダーソンが両者KOの引き分けとなり棄権。R木村vsマリガンが優勝決定戦となりR木村がマリガンを降し初優勝を飾っています。

前年度優勝者のS小林はR木村を公式戦では返り討ちにしたもののアンダーソンに反則負け、寺西勇に足を掬われて金星を許し、予選落ちという屈辱を味わいました。

また優勝決定戦より前の話になりますがAWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアが70年2月以来3年7か月ぶりの再来日。ガニアのAWA世界ヘビー級王座にはS小林は2度挑戦。

9月24日、札幌中島スポーツセンターの初戦ではガニアのスリーパーホールドを何故かチョークと取った阿部脩レフェリーに怒ったガニアが暴行を加え34分50秒、S小林が反則勝ちもルールによりベルト移動なし。

9月27日、愛知県体育館での第2戦はスリーパーにいくと見せかけたガニアがバックドロップを放ち21分11秒、体固めでS小林がフォール負け。2戦目は完敗でS小林のエースの座に翳りが見えてきました。

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