クレイジー・レロイ・ブラウンは79年7月17日、釧路市厚生年金体育館で坂口が保持していたNWF北米ヘビー級王座に挑戦。13分25秒、ブラウンのマネージャー格だったマサ齊藤が乱入して反則負けとなっています。
「北米二冠王」時代の坂口にフォールは許しませんでした。
このままノーフォール、ノーギブアップ負けで帰国するかと思われましたが、7月27日、堺市金岡体育館でのテレビ収録試合で猪木に8分47秒、卍固めでギブアップ負けを喫しました。
このシリーズ、初来日が予定されていたローラン・ボックが来日前に西ドイツ・シュツットガルト郊外のフリーウェイで交通事故に遭い来日出来ず。またボック同様、この前の年の「欧州世界選手権シリーズ」で猪木を苦しめた64年東京五輪アマレス西ドイツ代表のウィルフレッド・デートリッヒも「ボックが一緒でないのなら、私も行かなたい」と来日をキャンセル。
最終戦の8月2日、品川プリンスホテル・ゴールドホールでは猪木とボックのNWFヘビー級選手権試合が行われる予定でしたが、挑戦者はタイガー・ジェット・シンに変更されました。(17分59秒、ノーコンテスト)
他にウィリエム・ルスカが黒のショートタイツで、黒の革手袋を着けたヒールスタイルで試合をし、相手をロープに飛ばして首を絞め、そのまま大外刈りで倒してコブラクロー気味に絞める技でレフェリーストップで連勝していましたが、動きはぎこちないままでした。
よって、シリーズを通してのエースはブラウンであったことは紛れもない事実。
2度目の来日となったエリージャー・アキムとしての参戦は相方のムハマド・カリムことレイ・キャンディのザンビア・エキスプレスの両方が肥りすぎで動きがかなり落ちており、扱いも悪かったです。果たして3度目のシングル・プレイヤーとしての来日で本領発揮となるか!?
英国の魔術師スティーブ・ライトは83年10〜11月の「闘魂シリーズ」以来1年4か月ぶりの来日。75年1月、カール・ゴッチのブッキングで初来日。ゴッチ推薦で来日したピート・ロバーツ、スコット・マギー、ウェイン・ブリッジ、ミレ・ツルノらヨーロッパ勢がUWFに行ってしまいましたがライトは新日本プロレスに留まりました。
ライトは82年3月の第5回MSGシリーズ(リーグ戦には参加せず)に来日した際、前夜祭の3月4日、後楽園ホールと4月1日、蔵前国技館と2度に亘りタイガーマスクのWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦。
特に蔵前の試合はライトの技術がタイガーマスクを上回り、未だに名勝負として語り継がれています。
新日本プロレス初参戦、双子のタッグチーム、パット&マイクのケリー・ツインズは79年9月の国際プロレス「ダイナマイト・シリーズ」に初来日、9月13日、愛知県体育館ではマイティ井上&アニマル浜口組のIWA世界タッグ王座に挑んで敗れました。
ケリー・ツインズもヒギンズ同様、吉原功、大剛鉄之介ルートからのブッキングでした。
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