84年ブラディ・ファイト・シリーズ9月18日、江南市民体育会館で9月14日の駒ヶ根市民体育館での猪木&藤波&木村健吾組vs長州&アニマル浜口&谷津嘉章組の正規軍vs維新軍の「最終決着戦」の再戦が行われ、13分31秒、長州が首固めで木村健を破り維新軍が勝利。
9月20日、シリーズ最終戦の大阪府立体育会館では猪木は大相撲の大関小錦の実兄にあたるハワイの自称格闘家、ハワイ相撲横綱、フットボールで足腰を鍛えたとされるアノアロ・アティサノエと異種格闘技戦で対戦。
アティサノエはセコンドに付いていたプロボクシング元WBC世界ライト級王者、ガッツ石松からコーチを受けていましたが格闘技に関しては所詮素人、5ラウンド25秒、バックドロップからの体固めで猪木がフォール勝ち。
長州は谷津と組んでロジャー・スミス&トニー・セントクレアー組と対戦、7分51秒、リキ・ラリアットからの体固めでセントクレアーをフォールし最終戦を飾りました。
大会終了後、新日本プロレスの大阪での常宿である「ホテル南海」で正規軍と維新軍ノーサイドでの打ち上げが非公開で行われ、席上、長州、谷津のWWF遠征が発表されています。
しかし翌21日、長州、浜口、谷津、小林邦昭、寺西勇の維新軍5人は新幹線で東京に戻り、そのまま馬場のお膝元である東京・永田町のキャピトル東急ホテルへ直行。そこで大塚直樹が代表を務める新日本プロレス興行への移籍を発表しています。
新日本プロレスにとってはまさに寝耳に水で猪木は「5人の狸に騙された」と怒りを現にしていました。
新日本プロレス興行への移籍はこれに留まらず、9月25日には永源遙、栗栖正伸、保永昇男、新倉史裕、仲野信市が同社へ移籍、9月27日にはアメリカを拠点としていたキラー・カーンも移籍を発表。10月にはフリーとして新日本プロレスに74年から参戦していたマサ齋藤、若手の笹崎伸司、タイガー服部レフェリーも移籍を表明し、社名もジャパンプロレスに変更されました。
猪木は9月26日にテレビ朝日のスタジオで28日に放送されるワールドプロレスリング内(18日の江南大会を放送)で維新軍離脱に伴いコメントを発表するビデオ出演の収録が行われていましたが、「大掃除が出来てスッキリした」と番組内でコメントしています。
これには「猪木よく言った」と礼讃する声と「元々は猪木の身から出た錆、弟子達に対して酷い」と猪木の人間性を否定する声の賛否両論ありました。
新日本プロレスでは残留したメンバーを集めて「一致団結」をスローガンに箱根温泉で強化合宿を行っています。
10月5日、越谷市体育館で「闘魂シリーズ」が開幕。人員不足からザ・コブラの他、カルガリーに遠征していたヒロ斉藤をヒールサイドに、高野俊二(拳磁)を正規軍に参戦させ、タイガー戸口を正規軍に加入させて陣容を充実させました。
この日は首都圏で男子3団体が興行戦争となりました。全日本プロレスが横浜文化体育館で「ジャイアント・シリーズ」開幕戦、UWFが後楽園ホールで「ストロング・ウィークス」開幕戦を開催。「もしや、長州達が姿を現すのでは?」とファンが期待した全日本プロレスの横浜文体はタイトルマッチが組まれていなかったにも関わらず5,400人(超満員)の観衆で膨れ上がりました。
UWFの後楽園ホールも3,000人の超満員発表で、試合前に旗揚げメンバーだったラッシャー木村と剛竜馬が「プロレスに対する考え方の違い」を理由に退団を発表。試合には出場しませんでした。
メインイベントでは木戸修の移籍第1戦として藤原&木戸組vsスーパー・タイガー&前田日明組が行われ、25分35秒、藤原のチキンウィング・フェイスロックにSタイガーがギブアップ負け。
タイガーマスクに変身以降は82年7月23日、金沢・石川県産業展示館でのダイナマイト・キッド戦のフェンスアウトによる反則負け以外は無敗(メキシコでビジャノ�掘▲據璽蹇Ε▲哀▲茵▲侫�ッシュマンに3本勝負で1本取られたのは除外する)だっただけにこの結末は当時衝撃で「完全実力主義のUWFのリングでは何が起きても不思議ではない」と本物志向のファンを驚かせています。
ログインしてコメントを確認・投稿する